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カルタータ  作者: 希矢
第八章 『手繰り寄せて』
480/993

その480 『(番外)退学届け(アンナ編4(終))』

「君は、学びを止めて、何をしたいというのかね?」

 校長の話に、アンナの意識が呼び覚まされた。

 場所は、学び舎の校長室だ。こじんまりとした部屋の隅の戸棚に、表彰状やシェパングの国章を描いた旗が並べられている。

 いつの間にか、当時を思い起こしていたらしい。切り替えようとして、小さく首を横に振る。

「自分に足りないものを埋めに」

 剣をろくに握ったことのないはずの父はアンナたちを先にいかせた。母も足一本動かせないアンナとは違い、飛ばされたフランに駆け付けようとした。そして、がくがくと震えていたはずのフランでさえも、ナイフで抗ってみせたのだ。そのどれもできなかったアンナには、必要なものがあった。

 アンナが求めるのは、自分の命が脅かされたときに、満足に動けるだけの力、或いは知識である。

 最も、自身の技量は分かっている。だからアダルタほどの力を求めるわけではない

 最低限、自分の身を自分で守ることができるようになりたいと考えていた。そうした一見すると当たり前のことが、今までできていなかったからだ。

 尤もそうした願いが、いかに傲慢なものかも知っている。幾ら力を身に付けたとしても、その人の死を決められるのは、その人とは限らない。どれほどのものを積み重ねて人生を語ったとしても、ふとした瞬間に、人は死に直面する。魔物の襲撃、『魔術師』の謀略、病気や事故、可能性を挙げたらきりがない。だが、そうした命の危機にさらされたときに、何もできないでいるのはもうごめんだった。

 矛盾しているとは思っている。アンナは、『スナメリ』の入団を考えているのだ。それは間違いなく、危機に直面する機会が増えるということだ。

 だが、そうした機会を増やすことが、自分の力を伸ばすことに繋がるとも思っている。

「或いはこれも学びかもしれません。私は学び舎では学べないことを学びに行くんです」

「それは……、どこかの『魔術師』の麾下に入るということかね?」

 校長の予想外の問いに、アンナの反応は遅れてしまった。

「そうなのだろう? どこの誰が……。いや、そういうことであれば、君は私の下に来るべきだ。私は君の優秀さを高く買っているのだ。その人物よりもよほど良い待遇を約束しよう」

 話を勝手に進められたことで、理解が進む。校長は、あくまで『魔術師』としてアンナを引き留めるつもりらしい。

「校長先生。私は誰の下にも入るつもりはありません」

「杏奈君。君が相手のことを庇いたい気持ちはわかる。しかし、嘘は良くないことだ」

 校長のなかで、アンナの行き先は決まっているらしい。断言されてしまった。

「校長先生、私は嘘をついていません」

「良いんだ。庇い立てすることはない。だから、素直に言いなさい」

「だから、嘘はついていません」

「そこまで相手に義理立てする必要はない。正直に白状しなさい」

 会話は驚くほどに平行線だった。同じ人間と会話している気がしなかった。まるでアンナが校長にぶつける言葉のすべてが見えない何かに吸い取られ、別の言葉となって校長に響いているような心地さえした。

 埒が明かない。そう気づいたアンナは、やり方を変えることにした。

「そう、ですね……。それでは、敢えてお伝えしますと」

 そっと耳打ちするぐらいの小さな声で、アンナは呟いた。校長の意識は、アンナの声を聞くことに夢中である。アンナはその隙に、そっと腰かけた長椅子の下を、足で探った。擦るだけでも効果はあるかもしれないという、気休めだ。

「ギルドのマドンナ、でしょうか」

 嘘は言っていない。ギルド名まで出したくはなかったので、敢えてギルドの創設者の名前を出したのだ。

 はっとした校長の顔面に向かって、アンナは腰を上げた。

 そこに、校長の腕が抑えにかかる。両肩を抑えられて、これでもまだ納得がいかないのだろうかと、ぎょっとした。

「待つんだ。君は正気か。まさか、ギルドに与するつもりなのか」

 唾を掛ける勢いの校長には、既に冴えない男だと思った顔はなかった。その男の瞳は絶えず揺れていて、アンナを映してはいない。そこには、アンナではない、別の誰かを見ているような、狂気を感じた。

「考え直してくれ! 君ほどの知性なら、この国の役に立つ人材になれる。そんなどこの馬の骨とも分からない場所に行くより、円卓の朋を目指したほうが、良いに決まっている。頼む、考え直してくれ!」

 叫ぶ勢いの校長に、アンナの体温はすっと下がったのを感じる。

「お言葉ですが、校長先生」

 自然と固くなる声に気がついたのか。それとも、手を払われて驚いただけか、校長の目がようやくはっきりとアンナを捉えた。

「『出来る人間に何かをしてほしいと頼むときは、それだけの見返りを相手に与えるべきである』というのは、校訓の一つだったはずです。ここでは、私の欲しい見返りは手に入りません」

 アンナは戸惑うように視線を下げるふりをして、予備に持ってきた退学届けを机に差し出す。校長の手の中の退学届は、しわしわで、もう使い物にならないからだ。

「失礼します」と、頭を下げた。

「杏奈君……!」

 校長の悲鳴にも近い言葉に、アンナは念を押すことにした。

「お願いですから、せめて幻滅はさせないで下さい」

 ごくりと校長の喉が鳴る。それを見届けて、くるりと体を反転させる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()それが、校長に念を押した結果か、さすがにそこまでするつもりもなかったのか、はたまた、靴の底で擦っておいたのが良かったのかは、分からない。

 だが、ずかずかと校長室を出たアンナの気分は、嘘みたいに晴れ晴れしていた。




「それで本当に、『スナメリ』の書類審査も通っちゃうんだもんな」

 呆れた口調で言う少年に、アンナは「文句ある?」と視線を投げる。

「ないけど、まさかアンナのほうが受かるとは思わない……」

 『スナメリ』に助けられたアンナたちは、アダルタに連れられ、治癒院に入った。アンナは無傷だったため、簡単な検査で済んだが、フランは体中傷だらけでそうもいかない。ギルドも全滅してしまっており、行き場に困ったフランは、ある程度の回復が見込まれた後、『スナメリ』に志願したのだった。だが、書類審査で落ちた。

「別におかしなことはないわ。治療費は今後も払ってあげるから、後は好きにしなさい」

 辛辣な物言いには慣れているらしく、フランは「ちぇっ」と唇を尖らせるだけだ。

 フランに対するアンナの印象は、当初とは大きく変わっている。頼りない少年というイメージだったが、こうして話すと、意外なほどに口が悪い。孤児は口が悪いもので、客前でだけは気を付けているのだとフランは言い張るが、実際のところどうだかは知らない。『スナメリ』に入ってみればわかることだろう。

「けど、実際、『スナメリ』は他よりはマシってだけで、お嬢様がいくには厳しいと思うぞ」

 お嬢様と、フランは言った。間違ってはいない。そうでなければ、飛行船に、護衛にと、商人でもないアンナの両親が、雇えるはずがない。

 ついでにいえば、『魔術師』と縁を持てるはずもない。『魔術師』に縁があるのは、父方の祖父が『魔術師』だったからだ。残念ながら父に魔術を覚える素養はなく、アンナの家は没落した。

 だが、祖父の代の富がまだ残っていて、校長が懸念したことなど全く杞憂なことに、暮らしには困っていない。

 ちなみに、アンナが法陣を知っていたのは、その祖父の財産である魔術書がまだ家に残っていたからである。父は魔術書を読もうとすらしなかったが、アンナの成績を褒める父は、アンナを『魔術師』にはしたがった。それで、魔術書を読ませてもらう機会は多かった。最も、書は読めても魔術が放てたことは、過去に一度もない。それほどに習得に時間がかかるものか、或いは何かコツがあるのか、勉学の類では後れを取らないアンナにも、魔術が放てる自分は想像できないでいた。

 むしろ、出来なかったからこそ、『魔術師』を目指していたのだ。アンナの原動力には、大なり小なり、常に『悔しさ』がある。

 それにしてもフランは自分だけが落ちたことが余程未練がましいらしい。アンナは言い切ってやった。

「結構よ。それぐらいじゃないと楽しくないわ」

 無力を嘆くのは自身には似合わない。だから『スナメリ』を志望した。

「それに、あんたの怪我が治ってないから忘れそうになるけれど、あの事件から結構経っているのよ? もう十分待ったわ」

 フランの怪我は、見た目以上に酷かった。半年以上寝込んだ挙句、目を覚ましてからもリハビリ生活が続いている。アンナは、そんなフランの治療費を全部支払っているわけだ。

「自分はまだ復帰できないんだけれどな」

 復帰できないのに『スナメリ』を志願したら、それは落ちるに決まっていると思うのだが、実際のところもう数日で退院できる目途はついている。

「それよりも、学校。あ――、シェパングだと学び舎って言うんだっけか。結局、退学処分は最後まで受け入れられなかったって?」

 どうでも良いことを持ち出されて、アンナは「そうよ」と答えた。

「何故か卒業扱いにしてくれたんだから、校長先生も悪い人ではなかったかもしれないわね」

 お蔭で書類上は、シェパングの学校を出たとしている。まさかそれで受かるとは思えないが、『スナメリ』に書類審査があると思っていなかったアンナとしては、良いアピールポイントになったのかと首を捻りたくなるところだ。ひょっとすると、数年でギルドを止めて、自分のところに泣きついてくるかもしれないと言う、校長の癪にさわる予想があるのかもしれない。そのとき、学校を卒業していることにすれば、今後の就職先は、校長の下と言うことも可能だと、そうした思惑があったのだろう。

(冗談じゃないわ)

 そんな易々と、ギルドを辞めるつもりは毛頭ない。アンナはギルドで、今度こそ自分の身を守る力を身に着けるのだ。

 それに、『魔術師』が、アンナから両親を奪ったのだ。それなのに、別の『魔術師』は、アンナを積極的に重用しようとする。勝手に人の人生に茶々を入れるのはやめてもらいたいところだ。人はどうせいつか死ぬ。それを、知ってしまった。だからこそ、生き方は自分が決めるべきである。

「いつか死んだとき、後悔しても遅いから、私は好きなように生きるの。あんたの見舞いはそのついでよ。治ったら、冗談抜きで好きなところに行きなさい」

「はいはい。治療費を払ってもらっただけ感謝しているよ、お嬢様」

 簡単な挨拶で返すフランのことなど耳に入れず、アンナは窓から見える外の景色に思いを馳せた。青空に、飛行船が飛んでいる。シェパングらしい紺色の船体に紛れて、イクシウスのような木造船も紛れている。『スナメリ』は他国にも多く遠征することから、後者の船を使用していると聞いている。こちらのほうが、アンナとしても気分は良かった。紺色は夜空には紛れるが、鴉を拝んでいる気分にさせられる。

(あと少しね)

 『スナメリ』に入るまで、あと数日。過酷な状況が想像されるが、間違った選択はしていないとアンナは確信している。誰かを失っても、或いは自分が死んだとしても、後悔しない道であると。

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