その474 『開幕』
「でも、本当に報酬はなくて良かったの? タダで助けただけって感じになるけれど」
作戦会議が終わり、リュイス、レパードと先に船外に出たところで、イユは口を開いた。
「お前が助けたいって言ったんだろ」
呆れたようにレパードに言われて、それもそうだとは納得する。
元々、イユは、シリエたちが心配なだけだった。『異能者』であることがばれる危険も当然理解していたはずだ。だから、無償はおろか、覚悟すら決めて挑んだのである。それなのに、今更他ならぬイユ自身が、報酬欲しさに確認するなんておかしな話である。
「イユちゃん、ごめんね」
後から出てきたシリエが、イユたちの会話を聞いてか、そう謝った。
「シリエが謝ることじゃないわ」
イユは首を横に振る。イユはシリエに謝ってもらうために、ここまで駆けつけたわけではない。それが分かって、言い切った。
「私が勝手にやりたいって思ったことをしているだけよ」
そのイユの勝手に付き合う仲間がいることに、少しばかり戸惑いを覚えただけなのだ。
「でも、まさかレンドさんが、イユと同じギルドなんて」
アンナが、しげしげとイユを眺める。今更ながら、アンナたちにとってレンドの存在は大きいらしいと気が付いた。こういう場合、二人の反応から予測できることは一つだ。
「レンドって、スナメリにいたときは、ひょっとして、偉かった?」
イユの問いに、シリエとアンナが、案の定、こくんと頷いた。
「スナメリのレンドって言ったら、ヴェインさんと同じくらいの有名人じゃないかな」
「ナイフの腕からして常人じゃないことは隠しきれないと思うけれど」
シリエの発言に、アンナが続き、イユは「うーん」と唸る。確かに、レンドの腕は立つのだが、刹那の動きが異常だったために、影に隠れていた印象だ。
「腕が立つとは知っていたが、うちはあんまり他人の過去は詮索しないからな」
「まぁ、それが普通ね。うちがおかしいんだわ」
イユが余計なことを言わないようにだろうか、助け船を出すように告げるレパードの言葉に、アンナが納得した様子をみせた。
首を傾げるイユには、アンナから説明があった。まとめると、ギルドは普通、過去の詮索はしないものらしいが、スナメリほどの規模となると、厳重に入団希望者を審査するようだ。何でも書類審査まであるらしい。
「私なら絶対、落ちているわね」
「お前の性格じゃ、まず無理だな」
しみじみとその難しさを実感していると、レパードに、気に障る発言をされる。
「性格は関係ないでしょう! そうじゃなくて、文字が書けなかったから書類審査なんて通るわけがないでしょうが……!」
真面目に力説したのが不味かったのか、少し反応に困った顔をされてしまった。
「そうだよね、文字は確かに第一関門かも」
そんな空気を敢えて割ってか、シリエがイユの言葉に同意を示す。
「文字なんて、簡単に覚えられるでしょう?」
不思議そうなアンナには、首を横に振った。
「アンナちゃんは学校に行っていたもの。私も施設で先生が教えてくれたから良かったけれど、普通の孤児たちは文字の読み書きなんてできないよ」
そう聞くと、文字が書けないイユは何も珍しいことではなかったようだ。だが、現実に街に行けば文字が溢れ返っている。読めない人がいるのに、街にそれは存在するのだ。そのことに引っ掛かりを覚えたが、それが何かは分からないままだった。
「それにしても、懐かしいなぁ、新入り研修」
シリエが当時を思い出してか、目を細めた。
「アンナちゃん、あのときは確かナイフを持ったことがあまりなくて、苦労していたよね。私より非力だったから、訓練でも負けたことなかったなぁ」
間違いなく、シリエは地雷を踏んだのだろう。
「大蠍を前にして、おばさんみたいに昔を振り返っている暇があるなんて、全く余裕があることね」
アンナの舌蜂が、鋭くシリエを突き刺す。
「アンナちゃん、酷い。私、まだそんな年じゃないもの」
シリエにも、やらかした自覚はあったのだろう。大人しく、うなだれてみせた。
「おいおい、お前たち。余裕があるな」
「そろそろ奴の針が届く範囲だぞ」
シェイクスに、遅れてレンドが扉から出てくる。アンナが、「はい!」と返事をする。シリエが、大蠍を意識したのか、ごくりと息を呑んだ。
「何よ、シリエ。急に緊張することはないじゃない。昔は私にだって勝っていたんだから、大蠍ぐらい楽勝でしょ?」
アンナが、シリエをからかう。わざとだろう。
実際にシリエは、緊張が解れた様子で、仕返した。
「確かに、アンナちゃんは、大蠍より怖いかも」
「言ったわね? そんな油断していて、本当に大丈夫かしら」
言葉はきついが、会話の弾む二人を見ていると、本当に仲がよいのだと実感する。少しだけ、クルトとラビリを相手にしている気にさせられた。レンドたちも同じことを考えたのか、特に二人の会話に口を出さず見守っている様子だ。
「大丈夫、分かっているもの。私たちにだって、出番はあること」
そう言い張るシリエに、イユは頷いてみせる。
「むしろ、大砲を撃ち込むのは、スナメリにしかできないことよ」
だから、よろしくと続けようとしたところで、イユはシリエの視線に気づく。
明らかに、シリエの視線は、船頭まで歩いていくリュイスを追っていた。
イユの耳には、遅れて歩くレパードが、リュイスに「お前が俺の名前を呼ぶときは厄介ごとに突っ込みたいときと相場が決まっているが、今回ばかりは本当にいけそうか?」などと確認する声が届いている。
小声だから、シリエたちにこのやりとりは聞こえていないはずだが、どこかで勘づかれたのだろう。
「やっぱり、…………だったんだよね」
意図して聞こうとしていなかったため、シリエの呟きはイユの耳では拾えない。だが、言いたいことはすぐに分かった。シリエの中では、リュイスこそがこれから砂嵐を消し去る『異能者』だ。
「怖い?」
それもあって、間違っても、『私たちが』とは続けられなかった。
「ううん、悪い人じゃないのは分かっているもの」
シリエはイユの心情を知ってか知らでか、首を横に振っている。
「使えるものは使うだけよ」
アンナのほうは、明朗にそう言い放つ。それから、シェイクスが、ちらりと上空に視線をやったのに気がついたようだ。同じように、上空を見て、顔を少し険しくした。
「アダルタさん、凄い旋回してるわね」
声は、言葉とは違い、落ち着いている。シリエが後で教えてくれたが、こういうときのアンナは、他人をひどく心配しているらしい。
「そういえば、今回、お前たちがヴェイン船の乗組員なんだな。普段は……」
シェイクスの問いかけに、シリエは頷いた。
「はい。レンドさんが入るから、レンドさんの知っている人たちがいいって」
それを聞いていたレンドが呆れた声を出した。
「あいつは気遣い屋か? 全くらしくもねえことを」
それに応えるように、シェイクスの持っている通信機器が、ジジジ……と鳴いた。
「そろそろ飛んでくるらしいぜ」
ヴェインの声で警告が入り、それに合わせて機体が大きく動き始める。
「まずは砂嵐にできるだけ近づく、だったよな!」
急にかかったGに、全員がよろめく。相変わらず、ヴェインの操縦は、船内の人間に容赦がない。
だが、容赦をしている暇がないということをすぐに思い知った。見てしまったのだ。前方にきらりと何かが光り、すぐ横を通り抜けていく瞬間を、だ。きっと時を巻き戻してじろじろと眺められたら、金色の針の形をしているに違いない。
いよいよ、スナメリとの大蠍討伐、共同戦線が始まる。そう、意識させられた。




