その467 『無茶苦茶な意思』
「待って、どこにいくつもり?」
男が、包帯を巻いた後すぐに出ていこうとするので、イユは引き留めた。当たり前だろう、軽傷とはいえ、先ほどイユが包帯を巻いた腕はばっくりと割れていた。イユなら異能があるから平気だが、そうではない人間があの傷を負ってしまっては、満足に動かせまい。
「助けに行く。仲間はまだ戦っている」
その言葉に、イユは思わず息を呑む。
「今も?」
「あぁ、今もだ」
イユの頭に、シリエの顔が浮かんだ。イユが何者か聞くことはせず、ぼろぼろになったセーレへと飛行船を飛ばしてくれた。イユの代わりに、唄を歌ってくれた。
「シリエたちを知っている?」
男は怪訝な顔をした。そういえば、スナメリは規模の大きなギルドだったと思い出す。それならば……、
「アダルタは? ヴェインはまだ戦っているの?」
スナメリの中でも有名と思われた二人の名前を出す。その瞬間、男は唖然とした顔をした。
「そのはずだ。だが、二人を知っているのか?」
こくんと頷きながら、イユは考えた。
彼らが戦っているというのならば、シリエやアンナたちはどうなのだろう。少なくとも今運ばれている患者には混じっていない。
「イユ、こちらは全員終わりましたが、どうかしましたか?」
考え込むイユのもとに、リュイスがやってくる。
イユは言い出そうとして、躊躇した。
(勝手すぎるかもしれない)
助けに行きたいといったら、リュイスなら「分かりました」と言ってついてきてくれるだろう。だが、それはイユの勝手だ。リュイスは、シリエたちとは殆ど面識がない。むしろ、イユはシズリナを助けたいというリュイスの頼みを断ったのだ。それなのに、リュイスには自分の都合で助けろなどと言えるほど、イユは自分勝手にはなれない。
そもそも、助けたいのだろうか?
自問自答するが、答えが見えない。親切にしてくれたシリエたちが死んだと聞いたら、良い気分にはなれないというのは、事実だ。だが、助けに行くほどの仲だとも言い切れない。彼らは所謂普通の人間だ。イユのような『異能者』ではない。彼らに手を差し伸べたところで、イユの正体が露見する心配が増えるだけだ。そのうえ、シリエは既に戦線を離脱して戦っていない可能性もある。そのような、『かもしれない』だけで、危険を払えるだろうか。とてもでないが、釣り合わない。
「……何でもないわ」
そう答えたものの、リュイスの訝しむ表情は変わらなかった。
「そんな顔はしていないです。何があったんですか?」
「何でもないって言ったでしょう」
こういう時、表情を読んでくるリュイスが、煩わしい。しかも、リュイスは人の傷に敏感なうえに頑固だから、中々引き下がらない。
「教えてください。大したことでなくても構いませんから」
絶対に、大したことではないと思っていない顔で、強く質問してくる。
「俺らのギルド、スナメリに知り合いがいるみたいだな」
「ちょっと!」
黙っているイユに代わって、答えたのは先ほど包帯を巻いた男だ。
「おおっと、怒らせちまったか? だが、これぐらいはいいだろう」
全く良くはない。
「……お知り合いですか?」
リュイスが余計に訝しんだ顔を向けてくる。それもそのはずだ。イユの境遇を知るリュイスは、イユに殆ど知り合いがいないことを知っている。
「シリエとアンナよ。覚えている? シェイレスタの都で会ったわ」
イユはとうとう白状した。
リュイスは「あっ」と驚いた顔をする。
「あの二人が……」
「マゾンダに初めて来たときに偶然再会して、いろいろ助けてもらったの」
リュイスの中では、二人は酒場で偶然会い、話をしただけの間柄のはずだ。その印象だけでは話がつながらないだろうと思い、補足をした。
「まさか、彼女たちが大蠍と戦っているんですか?」
大蠍の話はリュイスにはしていないが、他のスナメリ患者たちに聞いたのだろう。
「分からないわ。その可能性があるというだけ」
イユが何かを言い出す前に、リュイスは先回りをしていた。
「助けに行きたいんですよね?」
「……どうしてそう思うの?」
慎重に、イユはリュイスに窺う。
「そういう顔をしています」
全く、イユがどのような顔をしているというのだろう。決めつけないでほしいと、心の中で反論する。少し前のイユなら、間違いなくシリエたちが危険な目に遭っていても、他人のことだからと放っておいた。そういう人間だということを、リュイスは何も分かっていない。
「行かないわ。関係ないもの」
イユはそう言い切って、その場を立った。まずは、包帯を片づけなくてはならない。
後ろから、何か言いたげなリュイスの視線が刺さる。
イユは心の中で、呟いた。
(どう思われようと関係ない。私の決意は揺るがないわ)
廊下を走りながら、イユは心の中で、盛大に愚痴っている。
抜け出してくるのに、想像以上に時間がかかってしまった。隙を見て、フェフェリに飛行ボードを借りる約束を取り付けるのも、厄介だった。それもこれも、リュイスが気にしていたせいだ。
頭の中で、理不尽な怒りをリュイスにぶつけながら、イユは遅れて走ってくる男を振り返った。
「あんた、速いな!」
男が息を切らせながら、声を発している。
「それだけ、あんたの怪我が、酷いってことでしょ」
なるべくその声の感じを真似て、イユは言い切った。息を切らしているふりをしないと、助けに行く前に『異能者』だとばれてしまう。
男は、イユが隙を見て、一人抜け出すつもりだということを見抜いていた。だから、一人で仲間のもとに駆けつけはせず、イユが抜け出すタイミングを見て追いかけてきた。観察眼の鋭い、強かな男なのだ。いつ見抜かれてもおかしくない。
見抜かれるといえば、異能を見せずに大蠍と戦うのは無理だろうという予想はあった。こうして、いるかどうかも分からないシリエへと駆け付けたとしても、イユのことが明るめになってしまったら、彼らは簡単に手のひらを返すだろう。そもそも、『異能者』だからといって大砲も効かないような魔物に太刀打ちできるとも思えない。つまるところ、イユはこれから自分でもどうするつもりなのか、よく分かっていなかった。
それでも、動くしかなかった。『かもしれない』の可能性に目を瞑って、何もせず、ただ結果だけを聞くのは嫌だった。それは、自分がその場にいないうちにセーレが燃えていたときと何も変わらなくなる。少しでも手が届く可能性があるならば、無策でも動きたかったのだ。
それが、イユの意思だった。我ながら、支離滅裂、無茶苦茶であることは百も承知だ。きっと、真っ直ぐな一本筋で行けるほど、イユという人間は人ができていない。矛盾をこれでもかと抱えながら、向きたい方角を探すだけで延々と遠回りしてしまう。だが、後悔だけはしたくなかった。これ以上無様を晒さないための、新しい無様な姿だ。
足で思いっきり床を蹴った。




