その464 『姉の決意』
一瞬、周囲に沈黙が漂った。
それを見て、「違う違う!」とラビリが慌てて否定する。
「別に暗示に掛かっているとかじゃないと思う! そうじゃなくて、やっぱり私にできることを考えたときに、こうするのが一番良いんじゃないかって思ったの」
ラビリが言うには、こうだ。今後、フェンドリックは、ラビリを通さず、直接セーレと手紙のやり取りをするようになる。だが、フェンドリックが嘘の情報を与えていたとしても、セーレではそれが嘘か本当か判断することができないだろう。
「だから、姉さんが、フェンドリックとは別口で、セーレに手紙を送るってこと?」
こくんと、ラビリは頷いた。
「両方の情報があれば、どちらが正しいか判断がつきやすいと思うの」
「ですが、もう一度、暗示に掛けられる可能性があります」
リュイスが危惧を口にする。
「分かってる、その危険も。でも、フェンドリック様は、同じ手を何度も使う人じゃない」
フェンドリックと最も付き合いが長いのは、この中ではラビリだけだ。ラビリが言うなら、確かにそうかもしれない。だが、信憑性があると断じ切るには、危険が大きすぎるのではないか。
イユたちは互いに顔を見合せる。その動作で、皆が同じ事を考えているのが伝わった。
そして、ラビリもまた、皆の反応を見越しているように、再び口を開く。
「それに、私、こう見えて優秀な召使いらしいから、フェンドリック様が私を切るとは思えないんだよね」
確かに、フェンドリック自身、ラビリのことは世話になっていると言っていた。召使いなど幾らでも替えが効くのではないかと思うが、フランドリック家は一度はイクシウスを裏切った『魔術師』の家系だ。進んで仕えたい者が現れるような家でもないのだろう。だから、切らずにすむならそうしたいはずだと、言いたいらしい。
「幾ら私でも二回も三回も暗示を掛けてくるような『魔術師』の屋敷にはいたくないよ。だからそれは、フェンドリック様も分かっていると思う」
その通りかもしれない。だが、例え今はラビリが惜しかろうとも、フェンドリックがその気になれば簡単に覆る話にも感じられた。だから、それだけでは、到底イユたちの不安は拭えない。
その様子を知ってか知らでか、ラビリは言い切った。
「それに、仮に暗示に掛かっても、皆が私に重要な話を伝えなければ何も問題は起きないと思う」
「それって!」
と、クルトが声を上げた。
ラビリはクルトの狼狽する様子を見て、遮るように続ける。
「いいの、私はクルトが元気だってことが分かれば充分。『魔術師』が欲しがる情報は送ってくれなくていい。元々、私の暗示に気付いたときからそうしていたんでしょ?」
その通りだったらしく、クルトとレパードが苦い顔をする。
「それにしたって、暗示に掛かってもいいなんて……」
レッサの言葉に、ラビリは首を横に振った。
「良いとは思わないよ。これは、保険。そして、多分、フェンドリック様も」
「同じことに気付いているはず、ということですか」
ラビリの言葉を引き取って、ワイズが続けた。
確かに、フェンドリックの視点に立つと、今までとは条件が大きく違う。前まではラビリに暗示を掛けたことがセーレの皆に伝わっていないと思っていた。だから通用した手口だったのだ。しかし、次からはそうではない。既に暗示の危険を知ったセーレの皆はラビリの万が一を警戒して、手を打つはずだと考える。それならば、ラビリからは欲しい情報は入らない。そう考えると、わざわざセーレの皆の怒りを無為に買ってまで掛ける魔術でもないと言えるわけだ。
イユはようやく、ラビリが「フェンドリック様は同じ手を何度も使う人じゃない」と言った意味を察した。そこまで考えているのだから、ラビリはやはり頭が回る人物だ。
「ですが」
『魔術師』であるワイズが、警告を発する。
「フェンドリックはあなたが今発言した提案をすることまでも、見越しているでしょう。それぐらいは読んでくる相手です」
ワイズの断言に、しかしラビリの表情は変わらない。
「それでも、乗らないより手はないってこと?」
ラビリの心の内を察して確認するイユに、ラビリは頷いた。
「うん。正直、私が皆と残るよりは役に立つと思う。私は私で、フェンドリック様だけじゃなくて大婆様の伝手も使って、皆の行方を探れるから」
それから、「ごめん」と、ラビリは手を合わせた。
「セーレがなくなって、皆の消息も分からなくて大変っていうときに、私はまたクルトを一人にしようとしている。いざってときにダメな姉でごめんね」
そのとき、イユは見た。クルトが、あからさまにむっとした顔になって、姉の額にデコピンを放った瞬間を。
それはそれは、いい音がした。
涙目になりながら、額を抑えるラビリは、とても痛そうだ。額が赤くなっているかもしれない。
そこに、クルトが言い放つ。
「そんなこと言うべきじゃないって」
クルトより背が高いはずのラビリが、上目遣いでクルトを見ている。
「姉さんは間違っていることを言ってないじゃん。だったら、変にダメとか言わないで、堂々としていればいいんだって」
ラビリが、驚いたように目をぱちぱちさせている。それでも、額から手を放して、ぽつりと一言。
「……クルトが、なんからしくないこと言ってる」
「姉さん?」
空気を壊す一言に、「あははは」とラビリは頭を掻く。
「困ったなぁ。本当に、立つ瀬がないや」
気のせいでなければ、ラビリの声は涙声だった。
「分かった。それなら、言い方を変える」
ラビリは、ぽんぽんと自分の頬を叩いた。クルトにしっかりと向き直って、告げる。
「私は、私が正しいと思ったことをする。その結果、クルトとまた別れることになると思う。でも、私はクルトのこと、とても大事な妹だと思っているから、それだけは忘れないで。自分を大事にしてね」
それを受けた、クルトから思わず一言。
「姉さんが今更、恥ずかしいこと、言ってる」
「クルト! そこは空気を読んでよ、ねぇ!」
中々しまらない姉妹だった。




