その46 『返答』
くしゃり。
レパードの帽子がこれでもかと潰される。遅れて言葉が紡がれる。
「勿体ないな」
その言葉に宿る遺憾という感情を噛みしめると、唇から血の味がした。
「本当にそれだけだと分かれば、良かったんだが」
変わらない。どれほど言葉を積み上げても、どんなにか本音で語っても、レパードは首を縦に振らない。そういう人間なのだと悟る。
「分かったわ」
だからイユは腰を上げた。
「イユさん?」
リュイスの戸惑ったような声を聞く。レパードも何事かと見上げている。
「私が今からダンタリオンに行って魔術師を連れてくるわ。暗示を解くために必要な、手と頭と口だけ残っていればいいのよね?」
行動で示すしかない。それが、イユの気づきだ。
「まさか一人で行く気ですか」
リュイスの驚きの声に、頷いて返す。
「最初はリュイスと一緒にダンタリオンに行こうと思ったわ。けれどそれだと、私が魔術師と共謀していた場合、リュイスの身が危ないもの」
一人だと暗示を解いた証明をしてもらえないと思ったが、よくよく考えれば何もダンタリオン内で解いてもらう必要はないのだ。
「魔術師をここに連れてきたほうが早いわ」
レパードが口を開こうとするのを確認し、先にそれを制した。
「この場所が問題なら、場所を指示して。すぐに指示できないっていうのなら魔術師を捕まえたぐらいを見計らって鳩でも飛ばして地図を送ってくれたらいいわ」
イユの言動にはじめて、レパードが狼狽した表情をみせる。
「本気か? 魔術師だけじゃなく、その護衛もいるだろう。はっきり言って自殺行為だぞ」
まさか今更、自身の考えが浅はかであることを認めるなど、イユにはできない。
だから、断言する。
「当たり前でしょう」
バスケットのなかにあった最後のパンを掴む。口に放り込むと踵を返した。
「おい、待て」
しかしレパードは言うだけだった。その気になればすぐに魔法を放つこともできただろうに、そうはしなかった。今までの厳重な警戒はなんだったのかと言いたくなるほど、棒立ちである。
悠然と部屋を出るイユを、誰も止めようとしない。だから認めてもらえたのかもしれないと解釈する。ひょっとしたらまだ気に入らないことがあるのかもしれないが、この行為こそがレパードの返答と受け止める。
扉を閉めるとともに、背後から深々と溜め息が聞こえた。レパードのものだ。くしゃりと帽子を潰す音が聞こえた気がした。
「僕は」
三人以外特に客のいない静かな廊下だ。扉一枚隔てていても、リュイスの声は凛と響いてくる。
「このままだと魔術師の思うツボだと思います」
天を仰ぐレパードが見える気がした。
「このままでは僕たちはいつまでたっても、いないかもしれない裏切り者に怯えないといけません」
異能であれば、扉越しでもはっきりと聞こえる相談事だ。気になってしまったが、恐らく足音からイユがまだ離れていないことはばれているだろう。そう気が付いたから歩き始める。
「前にお前から似たような話を聞いた」
聞こえてくる再三の溜め息。レパードの悩みは、どちらかというとイユではなくリュイスにあるようだ。
「仮にあいつの望みどおりセーレにいられるよう俺が許可を出してもだ。皆にはなんて説得する気だ。殺す殺さないの件で置いていく方向に持っていったのはリュイスだろう? あれだけの啖呵を切っておいて、一体どう説得するつもりなんだ」
歩いていても会話は微かに聞こえてくる。その内容に納得感があった。
リュイスは烙印のことを黙っていてはくれなかったが、仲間を説得してくれたのだ。そのうえで、イユの気持ちを汲もうとしている。
嬉しい反面、迷惑を掛けているのだろうと察する。知らぬ間にリュイスの優しさにつけ込んで、利用していたのだと自覚する。
けれど、イユのやることは決まっている。やることが決まればあとは行動に移すだけだ。
歩き続けるイユの耳に、言葉の断片が聞こえてくる。リュイスの声はいつも凛としているから、聞き取りやすいのだ。
「どうにか説得してみます」
口のなかで残りのパンを噛み切って、呑み込む。やはり、この店のパンは美味しい。
「全く、餓鬼を殺せない俺の弱みだな」
レパードの呟きが最後に耳に届いた。
そうして、扉は開く。
「おい」
足を止め振り返ったイユの目に、二人の姿が映る。
「お前の言い分は分かった。だが、単身は自殺行為だ」
レパードがこれでもかと帽子を深々と被り直す。
「行くなら、三人だ」
「え?」
意外過ぎる言葉に、すぐに頭が追いつかなかった。
「暗示の件はまだ怪しいままだ。それをはっきりさせたいんだろう?」
そうしなければ、レパードは納得しないだろう。それがわかっているから、頷いた。
「なら、三人で行くべきだ。多少は勝算が出てくる」
じわじわと胸にくるものがあった。イユの言うことを初めて認めてもらった気がした。
「にやつくなよ! 行くぞ」
イユの横を通り抜けて、レパードが振り返る。その後をすぐリュイスが通り過ぎてイユに視線をやる。その顔が『良かったですね』と言っている。レパードからは催促があった。
「何してる、置いていくぞ」
精一杯の声で、返事をした。
「あれが、ダンタリオンね」
見上げた先に、巨塔が見える。塔の先は雲がかかっていて見えにくいのもあるが、どれだけ目を凝らしても先が見えない。想像以上に広そうな場所だった。
「みたいだな。兵士がいる」
家の物陰に移動するようにと指示される。レパードの言うことに従ってから、目を凝らす。階段を登った先、塔の扉の前に兵士の姿が見えた。イニシアでははじめて見掛けたその姿は、レイヴィートで見た甲冑とまるで相違ない。
「『反応石』はぶらさがってないみたいだけれど」
一番の懸念事項はそれだ。あの石が兵士に支給されていたら、すぐに正体がばれてしまうのである。
「中の連中はどうかわからないぞ」
「そうね……」
最もな言い分をされ、憂鬱になる気持ちを押し隠す。
「誰か出てきます」
リュイスの言葉に、食い入るように開かれていく扉を見つめる。魔術師が出てきたのかと期待したのだ。
そこに黒髪の男の姿が現れる。少しふっくらとした如何にも人の良さそうな顔をした人物だ。そのすぐ後ろから、本を両手に抱えた子供が走ってくる。兵士に向かって楽しそうに手を振ると、兵士も手を振り返す。
魔術師ではないと、断言できた。魔術師が子連れの可能性もないわけではないが、兵士の態度があまりにも気軽に映ったのだ。加えて、親子の衣服はよく見ると、ところどころほつれがある。あれはどうみても町民のそれだ。
「家族連れみたいだな。一般にも開放されているのか」
レパードの言葉に、イユは唸る。
どういうことであろう。てっきり魔術師が来ているから一般人の立ち入りは禁止されているものと思っていたのだ。
――――まさか、もう帰ったわけではあるまい。
浮かんだ可能性に、ぎょっとする。そうなると今までの説得が水の泡だ。
親子は階段を下りて、イユたちの近くへとやってくる。
「ちょっと、聞いてみましょうか」
リュイスが一人、歩き出す。
レパードが特に止めるつもりがないのを見て、イユは尋ねた。
「行かせていいの?」
「まぁ、大丈夫だろ」
過保護な印象のあるレパードだが、ここはリュイスに任せるつもりらしい。
リュイスが早速男に声を掛けている。
男はたじろいだ後不審そうな視線を向けるが、すぐにばつの悪そうな顔に変わる。
会話の内容が気にならないと言えば嘘になる。イユはすぐに耳に意識を傾けた。
「……大丈夫、気にしていません。それよりダンタリオンに天才魔術師がいるとお聞きしたのですが」
リュイスの冒頭の言葉から、男はフードを被ったリュイスを警戒していたのだと気が付く。それが、怪我のせいと語られて気まずくなったのだろう。
次の男の言葉は比較的優しげだ。
「あぁ、君も気になってきたのかい」
「はい。魔法石屋さんで教えてもらったので」
男の後ろに隠れていた子供が出てくる。リュイスのことが気になるらしい。
フード姿では気になるだろうと子供の気持ちを察する。龍族の特徴を隠すためだとはいえ、余所者だということがすぐにわかる恰好なのだ。見慣れない存在は、どうしても関心を持たれやすい。
「なんだよ?」
レパードの髪に視線を向けたせいか、不満そうな声を向けられる。
「別に何でもないわ」
レパードの髪はもじゃもじゃだ。ここまであると、耳が髪に完全に隠れている。耳の大きさに違いがあるのもあるが、レパードならではのカモフラージュであった。
リュイスの髪ももじゃもじゃであったら、相手の警戒はもっと薄れるだろうかと考え、それはどうも無理だと結論づける。リュイスにレパードの髪型をさせたところで似合う気がしない。逆に周囲に不信感を与えるだけだろう。
「お兄ちゃん、図書館に行っても魔術師さまには会えなかったよ」
「そうなんだね」
リュイスがそう言って相槌を打つのが聞こえる。子供にはタメ口を使うようだ。
「一般に開放されているのは四階までなんですよ。その先にいらっしゃるらしくてね」
リュイスの応答に安心した様子をみせた男が、親切心のつもりか説明を入れる。
この様子ならば、魔術師は帰っているのではなく図書館の四階以上にいるのだろう。半ば願いも込めて、そう信じることにする。
その後リュイスは、この町に住んでいなくても入れるのか、何か許可証がいるのか等、細かいことを聞き出す。手早く話を終わらせると、男と子供に別れを告げて帰ってくる。
「どうだった」
レパードの耳では先ほどの会話は聞き取れない。リュイスの説明の後、三人は堂々とダンタリオンに入ることにした。




