その456 『異能』
後方で再度刹那が風に煽られている気配を感じながら、ブライトは頭の中で必死に策を練り始める。
克望がブライトを殺すつもりなら、初撃に眠りの魔術など掛けようとしないだろう。ブライトが生きていないといけないという条件がある。恐らくは、ブライトの記憶が欲しいのだ。殺されるのは、その後だ。そして、そこまで欲する記憶とは――――、
(十中八九、魔術書のことな気がする!)
勘と当て推量だが、あながち外れていない自信があった。セーレだけでは飽き足らず、欲深いことだ。最も、克望からするとシェイレスタが危険な魔術書を手に入れようとするのは絶対に避けたい事態であろう。予想はできていたのである。それが外れたのは――――、
(なんで、サロウから話を聞いているはずなのにそんなことをする必要があるか、だけど)
サロウが裏切ったとは思えない。もしそうであれば、もっと早くから、いつでも、手を出せたはずだ。それこそ二人が結託していたなら、シズリナを確保した直後に、殺されていてもおかしくはない。だから、克望に予想外の動きをされたのは、克望自身に予想外のことがあったからだろう。そう結論づけた。
(ただ、あたしももう一度式神が欲しい)
残念なことに、よくある平和的解決方法、物々交換は使えない。ブライトにとって、魔術書の場所をぺらぺら話すのは得策ではない。国王の『手』に渡っていると知られたところで、克望が既に手遅れであることを教えるだけである。克望が納得して素直に引き下がる未来は見えない。むしろ、今ここで殺される危険が高まるだけだ。
(それなら、まだ式神を諦めた方がよいと思うし)
だが、式神を諦めた場合、次の策がない。ここまできてしまっては何かあったときの予備案など使えもしない。かといって、処刑されないように逃げだしたら、何のためにここまできたのか分からない。どのみち、自分の家に戻っている時点で、もう捕まるのは時間の問題だ。
(二兎を追う者は一兎をも得ず、というけれどさ)
なるべく欲張りにいきたいものである。
ブライトは急ブレーキを掛けると、その場で法陣を描き始める。
既に、刹那は立ち直ったらしく、廊下を駆ける音が聞こえてくる。刹那の走り方は、まるで忍者のごとく静かなので、駆ける音というより風を切る音と言った方がよいかもしれない。あっという間に追いつかれることは分かっている。
(だったら、逃げるが勝ちなわけでして)
ブライトが描いていた法陣が光を放つのと、駆けつけた刹那がナイフを振り上げるのがほぼ同時だった。かつては同じ飛行船に乗っていた仲間だったというのに、全く容赦なくそのナイフが振り下ろされる。
その気配を感じながら、ブライトは自身が闇に吸い込まれるのも同時に感じていた。
次の瞬間、刹那のナイフは空を切った。そこにあったはずのブライトの姿がなかったのだ。真っ先に疑うのは、幻影の魔術だろう。普通ならうろうろと左右を確認するところを、刹那はなんと敢えて目を閉じた。視覚情報を狂わされたのだと思ったのだ。
中々に鋭い着眼点だが、今回ブライトが放った魔術は違う。
全身に現れた気怠さに、込み上げる吐き気を堪えながらも、ブライトはどうにか法陣を描こうとした。何せ、実戦では初挑戦の魔術だった。原理は理解していたが、実際に自分を実験に使ったことはない。初回に使った鼠の末路は――、思い出すと余計に吐き気がするからやめておく。欲張りにいこうとして、ハイリスクを選んだからこそ、ブライトは仕上げの法陣を描き始める。
「狙うは、術者というところか」
それまで、ぴくりとも動かなかった克望が、くるりとブライトの方を向いた。
まぁ、ばれるだろうとブライトは諦める。何せ、今のブライトは克望のすぐ目の前、式神だった紙があったところに現れただけである。身を隠すような工夫を施す余裕は一切なかった。
ブライトが放ったのは転送魔術だ。刹那の様子はブライトが遠くから覗いて直接確認したに過ぎない。あくまで後ろ姿をみて、刹那が目を閉じたようだと判断しただけだ。実際はそんなことはしていないかもしれないが、知ったことではない。
それより、無茶をした転送魔術についてだ。目視で確認できる距離のことであっても、身体が鉛のように重くなっている。負荷がかかりすぎたのだ。そもそも、大昔の人間が発明した転送装置或いは瞬間移動という技術を、今この世界で再現できたのは、ブライトだけだろう。それほどに、あり得ない難易度だ。正直に言うと今いる自分が本当に先ほどまでの自分だったのか、ブライト自身、自信がない。あれは、一度自分の身体をばらばらに分解してからそれを運び、再物質化する魔術なのだ。
それほどにあり得ない魔術を使ってみせたのだから、もう少し動揺するなり、驚くなりしてくれればよかった。こいつならやりかねないだろうという顔で、あくまで淡々とブライトの狙いを的中させる克望に、見返りの少なさを実感する。
それでも、突き進んだら止まらない猪のごとく、ブライトは魔術を放つしかない。熱と風に働きかけて、炎を生み出すとすぐに克望へと投げつけた。
「しかし、術者が無防備ということはないだろう」
克望がブライトに向かって手をかざした。そのぴんと伸ばされた指に挟まっていたものを見て、理解する。紙だ。ちょうど克望がブライトに渡した式神と同じ、紙である。
それが目の前で、文字通り人の姿を取った。白い髪の、刹那にどこか雰囲気の似た子供の姿だ。
急に人の姿を取ったせいか、反応は遅かった。子供は目を見開くまでもなく、ブライトの投げた炎に顔面を焼かれた。すぐに子供の姿が掻き消え、元の紙が地面へと落ちる。同時に、炎も消えてしまった。
反応速度を見るに刹那ほどではないようだが、刹那以外の式神も出せる状態のようだ。というのも、この男、ここまで一度も刹那以外の式神を使わなかった。原因は、おそらくセーレを襲わせるのに式神を割いたからだろうと思われた。しかし、さすがに刹那だけということはなかったか、時間的にセーレの回収も終わったのか、こうして使えるらしい。
すかさず描いた二発目も、三発目も同様に無効化される。数を打てばいつかは途切れるのだろうか。この手の残り回数とやらが、ブライトにははっきりとしない。これが魔術で、同じ魔術書を手に入れていれば、限度回数を知ることができたのに、だ。
「全く、厄介な『異能者』だね」
克望が、にやりとその口元を歪めた。
「貴様がいうか、アイリオールの魔女よ」
式神は、克望の魔術――、ではなく、異能だ。克望は暗示も使えるし人の心も読める『魔術師』だが、同時に『異能者』でもある。シェパングは、自国の民ならば『異能者』であっても弾圧はしない。だから、厄介なのだ。
刹那が駆け込んでくる音がする。己の不利を悟って、ブライトはすぐに走り出した。




