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カルタータ  作者: 希矢
第八章 『手繰り寄せて』
454/992

その454 『さようなら』

 まるで体から剣でも抜き取られたかのようだ。

 母の手が離れていくのを感じて、ブライトの膝が崩れ落ちた。

 目の前の母の手が、再び垂れ幕の奥に入っていく。まるで、そこに巣でもあるようだ。

 さて、どうなったことだろう。ブライトは倒れたまま、記憶を遡る。目を閉じただけで、吐き気と共にここ数日の記憶が鮮明に浮かび上がる。魔術の後遺症のようなものだ。

 エドとの会話。そして、やってくる指示。

 場面だけで見れば、何もおかしくはなかったはずだ。記憶を読む魔術では、人の思考は読めない。エドとの会話も表面上はどうとでもとれる内容だ。言葉の裏に気付いたとしても、その内容まで全てを推し測れるとは思えない。それに、内容だけをみれば、母の身の安全と今後について確かに約束を取り付けたことを確認できたはずだ。安心してもらえたことだろう。ただちょっと、エドが涙目なのが気にかかったが、なるべく本人の目を見ないようにしていたから、そこも大丈夫であるとは祈りたい。

 魔術書を盗んだ現場。セーレに乗り込んだ瞬間。閉じ込められた部屋のなかで、魔術を発動させる時間。レパードたちに問い詰められても、のらりくらりとかわす様子。

 ここは、何も問題ない。結果として、ブライトは彼らを裏切ったのだから、そのあとの出来事も記憶に読まれている以上、おかしいとは思われないはずだ。

 そう思ったが、ひらりと紙が舞い落ちた。

「何故、手紙を送った」

 紙には必要最低限のことしか書かれていない。サロウへ送った手紙について、特別何かを聞いてくるとは思いづらい。そうなると、質問の手紙を送った相手とは、ワイズのことだろう。イユに掛けた暗示を解いてほしいと綴った内容だ。

「できれば、最後に一矢報いるため、おびき寄せたかったのですが……、さすがに乗ってこなかったようです」

 もとよりダメ元だと、そんな自分の気持ちを想像して表情を作った。エドの命令から、こうするよりなかったブライトの、最後の一手。これにワイズが飛び付けば、ワイズだけでも葬れるかもしれないという、そんな表情。

 実際は、ブライトはワイズに会っていない。そうなるとは、見越していた。

 そもそも、イユの件についてのお願い自体が、念のためだった。暗示の掛かった娘を返されて嬉しい親はいないだろう。勿論、ブライト自身が解けば良い話だが、サロウはこうした魔術には明るくないから、ブライトが解いたところで信用できないかもしれない。それなら、ブライトの敵であるはずのワイズ派から、声が掛かったらどうか。ワイズなら、そのあたりは上手くやる。首尾よくいけば、そのままサロウとのパイプを繋げる機会にもなる。シェイレスタを支えていくことを考えれば、他国とのパイプはあって越したことはない。

 というのが、ブライトの筋書きだ。だが、正直に言うとワイズは我が弟ながら動きが読めないところがあり、サロウもサロウで付き合いが短いためにどうでるか読めず、あまり頼りたくない手だったのも事実である。

 実際、サロウはすぐにイユを刺してしまった。ワイズは、ワイズ派として議事堂に押し掛ける邪魔者となり、レパードたちが殺される寸前、正に絶妙なタイミングでやってきたのである。

 薄々こうなる予感もあったからこその伝言でもあったから、悔しい。『手』に魔術書を渡した時点で、ワイズにも情報がいく。ワイズならきっと、議事堂まで追い付いてくるとは思っていた。

 だが、これでは、サロウとパイプを繋ぐどころか、立派な敵対関係だ。エドが回してくれていた兵士たちの正体を、ワイズ派だとしておけることは良かったが、あまり嬉しくない。おまけに、レパードたちを通して余計なことをしていないかが、心配の種だ。ワイズのことだから、事情を聞いたらレパードたちを支援するだろう。頼むから、深入りせず支援で終わってほしいものだ。そして、大人しく官吏職務に戻ってくれているだろうと願っている。

(さすがに、あたしはもう口出しできないし)


 質問の回答に満足したのか、まだ暫く沈黙が続く。ブライトは再び、記憶を辿った。

 次に突っ込まれそうな部分といえば、魔術書を回収し、シェイレスタの都へ向かったときだろう。ギルドへと赴き、受付の男に魔術書を手渡したのだった。

「あのギルドの男は何者だ」

 はらりと紙がこぼれ落ちた。案の定のタイミングだ。

「国王の『手』の者です。国王からの命令を伝えた男のなかに同じ背格好の者がいたはずです」

 魔術書を渡した時点で、身柄を取り押さえられる予定だったが、ここで不測の事態が起きるという筋書きだ。ブライトに、サロウから言伝が入っていた話を男からされる。内容は土産の引き渡しだ。

 ことが大きくなるのを面倒に感じた国王の手は、ブライトに暫しの猶予を与えた。刹那がやってきたのも大きかった。ブライトはリュイスを引き渡し、約束通りシズリナをサロウにくれてやって、戻ってきたというわけだ。

「あの紙は?」

 続けて渡された紙に、克望にもらった式神のことだと気がつく。

「あたしが生き残るための手段です。駄目で元元ではありますが」

 とブライトは返した。嘘はついていない、正真正銘の本当の話だ。


 母はそれから、暫く静かだった。記憶を読むということは、ブライトの記憶を追体験するということだ。何を感じているのだろう。それは、聞かせてもらえないブライトには分からない。

「お母様」

 ブライトは言葉を発した。少しでも考えてくれていたら、きっとブライトの言葉は通じるはずだと思いながら。

「あたしはともかく、先ほど報告した通り、お母様には害は及ばせません。ですから、心配するようなことは……」

 紙とペンが飛んできて、ブライトの額にぶつかった。紙を裏返すと、

「発言を許可した覚えはない」

 と書かれている。

「…………」

 どうすれば伝わるのだろう。話すなと言われてしまっては、ブライトには断れない。

「去れ」

 と再びの紙が投げつけられる。ブライトは慌てて身体を起こした。

「申し訳ございません」

 機嫌を悪くするようなことを言ったと思い、すかさず謝る。

 しかし、もう一度飛んできた紙には、

「去れ」

 という、同じ文字が書かれている。

 ブライトは思わず寝台を見つめた。

 ブライトがもう二度と会いに行けないことを、母は、理解しているのだろうか。垂れ幕の向こう側にいるはずの赤い瞳を、本当はもう一度、見ておきたかった。許されるのなら、寝台に飛び込んで、子供のように甘えさせてほしかったという思いもある。

「失礼します」

 けれど、その自由はブライトにはない。大人しく礼をして、部屋を立ち去る。

 ふと、ブライトは、自分が暗示を掛けた少女のことを思い出した。

(あぁ、羨ましいなぁ)

 娘が助かってほしいなんて、きっと、ブライトの母は微塵も思ってくれはしない。娘は自分の手元にいて当たり前、自分の思い通りに動いて当然だと思われている。それも、そうだろう。そう、仕向けたのは、母なのだから。

 だが、今回ばかりは、今生の別れになるはずなのだ。それなのに、心配の「し」の字もなかった。せめて、あの怒りが、心配の裏返しだったら良かったが、あの母を知っているからこそ、それはないだろうと断言できてしまうのも辛かった。

「さようなら、お母様」

 口の中で呟いた言葉が、思いのほか空しかった。

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