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カルタータ  作者: 希矢
第四章 『コノ素晴ラシイ出会イニ感謝ヲ』
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その45 『その思い打ち明けて』

 バスケットの上に置かれた布を取り去ると、いろいろな形をしたパンが入っていた。茶色に白に黒、パンにしては色合いが豊富で、九個もある。つやつやと光っていて、どれも美味しそうだ。

 たまらず、バスケットへと手を伸ばす。

 手に取ったのは、一番上にあった白くてふわふわしたパンだ。そこに二粒チョコが入り込んでいる。チョコ味とは豪華だと胸を高鳴らせたところで、二か所だけ奇妙に出っ張っている形が目に留まった。

「何よ、これ」

「猫の形をしていますね」

 リュイスの言葉でイユにもようやくそれが猫に見えた。猫ならばイニシアの通りでも見かけている。耳が尖りチョコの目のついたそのパンに、遊びを感じる。先ほどの女が作ったのだとしたら、愛想の悪さとは裏腹に意外な面がある。

「猫にする意味はわからないけれど」

「可愛いと思います」

 イユの疑問にリュイスから返答があるが、意味はよく分からなかった。

「食べ物を可愛くしてどうするのよ」

 言ってやるが、リュイスには困った顔をされる。通じないものを感じ、話を止めた。食べ物を前にして、不毛な会話をするなど時間が勿体ないと気がついたからだ。

 早速頬張ると、甘い香りが広がった。

「美味しいわ、これ!」

「一人で全部食うなよ」

 椅子を引く音がする。レパードもリュイスも、バスケットのパンを手に取り食べ始めたようだ。イユががっついていると、

「そういえば」

 と、普段の口調でレパードから話を振られる。頬張りながらも視線を向けると、先ほどまでの冷たい表情は窺えなかった。同じ人物かと疑いたくなるほどである。

「前から思っていたんだが、こういう食事はあまり経験がないのか」

 怪しまれないようにしていたつもりだったが、毎回食事の度に反応をしていたからか、不思議に思われていたようだ。烙印のことがばれなくてもそのうち食べ物でばれたかもしれないと、ちらりと反省する。

「施設じゃ、こんなふわふわなパンは食べられないわ」

「何が出たんだ?」

 思い出して、眉間に皺が寄るのを止められなかった。

「いや、言いたくなければ言わなくていい」

 レパードが慌てて付け足す様に、妙な気を遣われていると感じ、気持ちを振り払う。食べたものを言うだけだ。それだけなら口にできるはずだと、自身を説得する。

「……パンよ。あとスープ」

「おい」

 結局パンが出ていたのではないかと、そう言わんばかりの口調である。

 けれど、イユには同じ食べ物には思えなかったのだ。

「こんなに大きくないしふわふわでもないわ。これぐらいのパン」

 手で、大きさを示す。リュイスとレパードの目が、イユの手に釘づけになったのが分かった。

「それだけで足りるのか?」

 記憶の底からカビ臭さが蘇って、すぐに手を下ろす。

「……頑張れば余分に食べられるわ」

 先ほどの『つけ込む』という話が思い出されて何とも言えない気持ちになる。これを利用したと言えるならば、利用された人は恐らくこの世にはいない。正直、あのときは人の生き死にすらもイユの視界には入らなかった。

「何かこなすと余分にもらえたりするんですか」

 理解していないリュイスから不思議そうな顔を向けられる。

「そうじゃないわ」

 レパードは押し黙っている。気づいたかもしれない。

 イユは口に残りのパンを放り込む。美味しい。心の底からそう思う。異能者施設のパンは、いろいろな意味で本当にまずかった。


「奪うのよ」


 イユの一言に、リュイスの目が丸くなった。

「互いに奪い合うの。それで……、餓死した異能者もいる」

 あのときの女の姿が離れない。そう思い返してから、自嘲気味に笑った。誰かを女と同じような目に遭わせたかもしれないというのに被害者面とは、我が事ながら吐き気がしたのだ。

「レパードの言う通りよ」

 庇ってくれたリュイスに申し訳なさはある。

 だが、間違ってもイユはリュイスに庇ってもらえるほど人のできた人間ではない。

「私は生きるためなら人に付け入るし、奪うし、必要とあらば殺しもするわ」

 たとえ発端が魔術師の仕組みだったとしても、イユを助けてくれた女のように、抵抗して生きる道もあった。そこを、イユは敢えて他者を踏み潰してきた。

「そんなこと……」

 リュイスのか細い声に、イユは否定をする。

「事実よ。そうしなかったら、私は今ここにはいないわ」


 もし、この世に神がいるのならば、聞いてみたいことがある。

 『生きるためという理由で、一体どこまでの行為が許されるのか』と。

 神が無理なら、人殺しに否定的なリュイスに尋ねたい。

 『自分の命を天秤にかけてまで、他者を殺さないつもりなのか』と。


 確かに心は痛まないだろう。だが、生きなければならない人間は、自分も他者も救えない程に強くない人間はどちらを選ぶべきなのだろう。


「私は、自分が生きるために他者を踏みにじる道を選んできたの」

 リュイスでさえ、イユの烙印のことを黙っていてはくれなかった。それはリュイスがイユではなく仲間の命を優先した結果だ。そのことをとやかくいうつもりはない。ただ、優しさでさえ方向次第で変わるものだと言いたいだけだ。

 イユの生きたいと考える意思もまた、その選択次第で簡単に他者の命を奪うのだ。

 だから、割り切れば良いはずだった。仕方ないことだと諦めていたはずだった。それはそんなに悪いことなのかと開き直りたかった。


「それで?」

 僅かに生まれた沈黙を破ったのはレパードだった。深すぎる帽子をさらに抑え込み、片目だけはイユを見据えている。

「そんな自己中なお前は、これからどうしたいんだ」

 自己中心的であることは、よく自覚していた。だからこそ、幾ら言い訳を積み上げても、こみ上げる罪悪感は消せそうにない。いつもどこかで後悔しながら突き進んでいる。

 今もまた、そうだ。

 諦めればよいのに手放せない思いを、口にする。

「セーレに乗りたいわ」

 イユの気持ちは、変えられない。我が儘で身勝手だと自覚しながらも、やめられない。

「何度もいうが、だめだ」

 レパードもまた、決して首を縦に振ろうとしない。

 分かっていたことだ。セーレに危険な異能者を乗せたくないというのが、レパードの主張だ。レパードもまたイユと変わらない。自分たちの命を大事に思ったうえで行動をしているだけだ。

「大体それがおかしい」

 レパードから指摘がある。

「どうして、セーレに残りたがる? イニシアにいては何故いけない?」

「何故って、ここは警戒が必要だって」

 反論の言葉は遮られ、レパードから続けられる。

「警戒はいるが、こんな平凡な街だ。異能者一人なら混じってもばれないと思うぜ」

 ばれたら逃げ場がないと言おうとしたところで、首を横に振って否定された。

「その気になれば観光客を乗せた船に乗り込める。難しいだと? そんなことはない。それまでにきちんと働いて金でも貯めれば、案外口裏を合わせてくれる奴はいる。働き口なら観光街だ。幾らでもある。そんなに不安なら探してやってもいい」

 逃げ先や働き口まで探してくれるとなると、これは破格の条件だ。一人、島に置いていかれるよりもずっと良い。

「けれど、私は……」

 良い誘いだ。そう思うが、首を縦に振れない。

 その様子を見てか、レパードから諭すように告げられる。

「俺はな。お前がセーレに乗りたがることこそが、暗示じゃないかって疑っているんだ」

「違うわ」

 間髪いれず、否定した。リュイスと出会ったのは完全な偶然のはずだ。そこからセーレに乗ったのも成り行きである。だから暗示のはずはないと、自身に言い聞かせるように振り返る。

「それなら、セーレに乗りたい理由はなんだ」

 答えられないだろうと、或いは答えても論破してやると言わんばかりの口調だった。

「俺たちは、下手をするとお前を殺していたのかもしれないんだぞ」

 命を脅かした相手であれば本来なら離れたいはずだと言われたら、確かにそのとおりだった。

「それでもお前は残りたいと言う。その理由は何だ?」

「それは……」

 正直、暗示かどうかは分からなかった。確かにセーレにいたいという度に、心のなかのどこかが警鐘を鳴らしている。きっと、レパードの言う通りだろうとも感じる。イユは今、生きること以外のことを自分の意志で選択しようとしている。


「セーレの皆には、初めて人らしい生活をさせてもらったから」


 イユには分かっていた。ただ生きることとは違う。セーレには温かさがあった。レパードはイユに上着を渡してくれた。刹那はベッドで横になるイユの手を握ってくれた。リーサはうなされて目を覚ましたイユを気遣ってくれた。クルトは鞄と靴を直し、マーサは髪を梳いてくれた。そしてリュイスは……。

 胸元で飾られている宝石を見る。窓からの光を浴びて、きらりとその緑色が光った。

 そう、リュイスはイユとリーサが友達である証をくれたのだ。イユがセーレを離れることになっても、イユのことをなかったことにはしなかった。一生別れたままになる相手に敢えてネックレスを贈るのだ。それはある意味ではとても残酷で、しかしイユには消したくない出来事だった。イユの我儘をリュイスは呑んだのだ。だからこれは、リュイスがイユを切り捨てたとしても変わらない事実だ。


「それが嬉しくて、離れたくないと願うの」


 言い切ってはじめて、決心する。


 自分勝手な人間だと自覚するからこそ、自分のやりたいことははっきり言うべきであると。人として接してくれた人たちともっと長く一緒にいたいという、その素直な気持ちを伝えるのだと。


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