その447 『意外な言葉』
客間に案内されたイユたちが待っていると、ノック音とともに、フェフェリが声を掛けた。
「皆さま、お待たせいたしました」
慌てて、テーブルの前で着席していたイユたちは、立ち上がる。
扉の向こう側からやってきたのは、白い羽根のような衣装に身を包んだジェシカだ。
その後ろから、見慣れない長身痩躯の男がやってくる。流れるような金髪。ぱっとみて伝わる優男の雰囲気。話に聞いていた通りの特徴だった。
更にその後ろを、ラビリが付き添う。イユと目があったが、その瞳は反らされ、俯かれてしまった。
ウインクでもしろとは言わないが、どこか暗い反応に、心がざわめくのを感じる。イユですらそうなのだから、クルトの心中は穏やかではないだろう。
「皆さま、旅からお帰りになったばかりというのに、お呼び立てしてしまいすみません。ご紹介いたします。私の従兄のフェンドリックです」
ジェシカが館の主らしく先に挨拶をし、視線を金髪の男へとやる。その頬が僅かに紅潮していた。
金髪の男が、前に出て会釈をする。
ここで初めて、顔をよく確認することができた。すっとした高い鼻に、鋭さを兼ね備えた蒼い瞳が目を引く。唇は男のものとは思えないほどふっくらとしていて、文句のつけようがないほど整った顔立ちだ。ジェシカの従兄というのも納得がいく。そのうえ、目元までかかった金髪を邪魔そうに払うその仕草一つとっても、優雅である。まさに、貴族という言葉を体現したような男であった。
「フェンドリック・フランドリックです。君たちの元団員ラビリの主でもあります」
蒼い瞳が僅かに細められる。あまりに穏やかすぎる声に、逆に鳥肌がたった。
「ラビリ、折角だ。君も挨拶を」
声を掛けられたラビリが、「はい」と消え入りそうな声で呟いてから、一歩前へ出た。スカートの裾を持ち上げて、礼をしてみせる。優雅な礼だ。
「ご無沙汰しています。クルト、元気そうで何より」
ここで初めて、にこっと笑みを浮かべられて、イユはようやくほっとした。その笑みは作り物のそれとわかるものの、くるりと向けられた桃色の瞳が記憶の中と同じで、光を失っていなかったからだ。
「姉さんこそ」
クルトが掠れ声を何とか言葉にする。
一瞬空いた間も紡ぐように、ワイズが一歩出た。
「初めまして、ワイズ・アイリオールです。まさか、イクシウスの『魔術師』であるあなたが、たった二人でやってこられるとは、驚愕ですよ」
全然驚いていなさそうな顔で、一同の誰よりも澄ました顔で返してみせる。表情を作るのがうまいなと妙な感心さえしてしまう。
ジェシカが、ワイズの発言にむすっとした顔を向けている。従兄に下手なことを言わないか、ヤキモキしている面もあるのかもしれない。
「ふふ。私こそ、従妹の婚約者に会えるとは思いもよりませんでした。失礼でなければ、私語で話しても?」
一方のフェンドリックは、ワイズの言葉に、にこにこと笑みを浮かべている。こうした表情を作られると、途端に優男が前面に出されて、油断しそうになる。ワイズと同じく、作った顔なのだろうと自分に言い聞かせた。同時に、ジェシカが、フェンドリックの笑みを見て、蕩けそうな顔をしているのにも気が付いた。
家の問題とはなんだったのだろうと言いたくなる。ジェシカは、どこをどうみても、フェンドリックを慕っている様子だ。金髪優男風に蒼い瞳というフェンドリックの特徴を見れば、ジェシカがレッサの背後に誰を見ていたか分かるというものであった。
「お好きにどうぞ」
「それは快諾と受け取るよ?」
途端に切り替わった私語に、フェンドリックの笑みが合わさって、目の前の男が豹変したようにしか見えなかった。先ほどまでとはまるで違う、どこか冷たい笑みだ。
つい、ぶるりと体を震わせてしまう。『魔術師』はどうしてこうも、人の背筋を凍らせるような笑みを浮かべるのが得意なのだろう。
「君たちもいいかな?」
フェンドリックの笑みがイユの方へ向く。ごくりと息を呑むイユの喉は、からからだ。
イユの隣にいるレパードが、代表して答える。ちなみに、席順は、先頭がワイズで、レパード、イユ、クルト、リュイスとなっている。対応に手慣れているワイズと船長であるレパードが前に出る形だ。クルトは妹ということで話を振られる可能性があり、ボロが少しでも出ないようにということで、こうした対応が得意そうなリュイスの隣に座っている。
「構わない。ラビリから聞いているとは思うが、俺はレパードだ。隣にいるのがギルドの仲間たちだ。……ラビリが、散々世話になったようだな」
レパードの挨拶は表面上の言葉だけは普通だが、どこか棘があった。無理もない。相手はイクシウスの『魔術師』だ。本来いるはずもない人間がここにいては、警戒をするなというのが無理な相談である。
「まずは、座ろうか」
レパードの言葉の棘には気づいているようで、フェンドリックはにこりともせずに、椅子に視線をやった。給仕たちがすぐに椅子を下げにくる。イユたちはおずおずと着席した。
全員が座ったのを見届けて、フェンドリックが口を開いた。あくまで世間話というように、気軽に話し始める。
「先ほどの話だが、ラビリに世話になっているのはこちらの方だよ。大婆様は頑固者でね。孫息子が薬を飲めといっても意地を張って飲もうとしない。けれど、ラビリの言うことなら聞くからね。ちゃんと薬も飲んでくれるようになって助かっているよ」
話題に上がったラビリといえば、イユたちを見こそすれ、特にこれといった反応はしなかった。内心はいろいろ考えているのかもしれないが、顔に出さないようにしているといったところだろう。
「召使いの話はよいですから、何故イクシウスにいるはずのあなたがここにおられるのか、お聞きしたいですね。まさか、暇をもて余して海外旅行とは、言わないでしょう?」
と、いつものワイズ節が炸裂だ。
フェンドリックの視線が、ワイズに向く。
イユは、怒っていやしないかと内心不安になったが、別段顔色を変えたようには見えなかった。どちらかというと、ジェシカの方がむっとした顔をしている。
「何、ちょっとした戯れだよ。時折、こうして従妹に会いに来ているのさ。知らなかったかい?」
ワイズの横顔には、「全く、これっぽちも」と書かれている。
「お従兄さまには、よく相談に乗ってもらっているのですわ」
何故か胸を張って答えるジェシカは、仕草だけなら可愛らしい。だが、背後にこの男がいると言われたも同然の説明に、イユの気持ちは暗くなるばかりだ。
何度でも言ってやりたい。ブライトといい、ジェシカといい、どの国も仲が悪いという話は、一体どこにいったのか。
「なんといっても、シェイレスタは男尊女卑の国だろう?私は、シェイレスタに与したフランドリック家のこと、まぁ、要するに、ジェシカのことなんだが――、彼女が肩身の狭い思いをしていないかをずっと気に掛けていてね。大婆様の反対を押し切って、こうして時々会いに行っているのさ」
言葉通りに受け取る気にはなれなかった。にこやかな笑みを浮かべるからこそ、裏があるとしか思えない。
「……それで、僕たちを待っていたのは?」
ワイズはそれ以上、この話をしても無駄だというように切り替えた。
「そんな顔をしないでくれたまえ。君もジェシカのフィアンセなら、将来は同じ陣営だろう?」
「……」
ワイズの沈黙には、自分のことを殺そうとしておいて何をのうのうと、という意味が込められているに違いない。それにしても、ジェシカがワイズを手に掛けようとしたことを、フェンドリックは知っているのだろうか。一枚噛んでいるかどうかで、印象は大きく変わってくる。
「まぁ、いい」
変わらないワイズの態度に、フェンドリックは諦めたように溜息をついた。
「確かに私の立場の人間が、シェイレスタをひょいひょい訪れることには問題がある。ある意味、君に弱みを握られたも同然だろう」
まるでワイズが優位に立っているような言い草をするからか、ワイズもフェンドリックに向かって溜息をついた。
「この場にいて、弱みも何もないでしょう」
あなたならば、ここにいる人たちが何者かも分かっているようですからと、小声で呟いたのは、イユの耳にだけ届いている。
ラビリがまさか自ら、自分の所属していたギルドに『龍族』が乗っている話などしないだろう。しかし、フェンドリックは、『魔術師』だ。知る手段はいくらでもあると思えば、穏やかな心中ではいられない。
「それならば、お言葉に甘えるとしよう。それで、君が急かしていた用事だが、実は君たちに聞きたいことがあってね」
フェンドリックは、ワイズの話を詳しく追及するつもりはなかったようだ。代わりに、その鋭い瞳をイユたちに向けた。
「君たちは、『堕ちた島の姫』を知っているかい?」




