その445 『突然の来訪』
「まずは屋敷だな。向かうぞ」
レパードの指示に従って、イユたちはそそくさと飛行船を下りる。まだ眠りから覚めきっていない感覚があって、頭がはっきりしない。二度寝の形になったのがよくないのか、いつもの自分らしからぬ感覚だ。
坂道を下り始めながら、
「そういえば」
とイユは回らない頭のままで、口を開いていた。
「飛行船はあのままでいいの?依頼があったのでしょう?」
ラダはすぐに頷いて返した。
「ここに置いておくようにとの指示だからね、問題ないよ。どこかで時間を見つけて、ギルドに報告すれば、それで完了さ」
ラダの飛行船の依頼は、運搬だと言っていた。ギルドが後で傷等がないか確認するのだろうか。そういう依頼もあるのだなと感心する。
しかし、言っても栓ないことだが、マゾンダ行きの依頼がくるなら、もう少しシェイレスタの前情報が手に入っていても良かったのにと思わないでもない。全てはタイミングの悪さか、あのときのイユたちは無知だった。
一日ぶりの街は、しんしんと静まり返っている。大輪を咲かせたウルリカの花だけが、きらびやかにその姿を見せていた。朝早いせいだろう。イユたち以外、誰も歩いていない。だからか、なんだかこの世界にイユたちしかいないようなそんな錯覚がある。
そのせいだろう。ラダが、切り出した。
「それよりも、今のうちに聞いておきたいことがあるんだが……」
ラダの視線の先にいたのは、ワイズだ。
「掛かっていませんよ」
質問を聞くより前に、ワイズは答えた。
何に、と聞き返すほど、イユも寝ぼけてはいない。ラダは、暗示に掛かっているかもしれないと不安を抱いていて、そのためにワイズに質問をしようとした。それを、ワイズが先回りして答えたのだ。
「すぐに言い切れるものなのかい?」
ラダの声が、らしくもなく少し固かった。急な返答、しかも「そうであってほしい」と望んでいた答えであることに、逆に不安を覚えたのだろう。
「信じるか信じないかはあなた次第ですが、魔術の流れも感じなければ、『魔術師』の気配も臭いも、少な過ぎます。短時間、記憶を覗かれた程度ではないでしょうか」
ラダが考え込むような顔をしている。
たまらずイユは口を開いていた。
「ねぇ、その魔術の流れとか『魔術師』の気配とか臭いって、なんなの?」
「あなたなら質問すると思いましたよ」
質問ばかりの奴だなといわんばかりに、ワイズがイユを呆れた目で見る。
イユは、いつものことながら、むっとしてしまった。
あんまりではないかと思うのだ。『魔術師』について詳しいのは、ここでは当人のワイズぐらいである。
「魔術という方法が歪んでいるからこそ生じる、違和感のことです」
おまけに、ワイズのその説明では、何を言っているのかさっぱりだ。
「下手な説明をするな」と言ってやろうとしたところで、まさかの内容がワイズの口から発せられた。
「あなたであれば、すぐに分かるようになると思いますよ」
目を瞬いたイユは、ワイズの言葉の意味を考える。思い付いた可能性は、あまりに嬉しくなかった。
「それは、私が『魔術師』の家系だから……?」
ところが、ワイズは呆れたように首を横に振った。
「相変わらずですね。全く違います」
何がどう相変わらずと思われているのか、突っ込みたいところだ。
気を悪くしているイユの前で、あくまでさらりとワイズが告げる。
「あなたが、力を調整できる『異能者』だからですよ」
ワイズの回答に、イユは戸惑った。
その戸惑いに気付いているように、ワイズが詳しい説明をし始める。
「あなたは、怪我をすると自分の治癒力を上げて、傷を塞ごうとするでしょう?」
ワイズの質問に、頷く。砂鮫に襲われた際に、治したばかりだ。
「魔術も同じです。治癒力を上げて、傷を塞ぎます」
危うく納得しかけたが、それは怪我を治すのが得意なワイズだからこその説明だ。魔術はその限りではない。
「人の感情を書き換えたり、動きを封じたり、炎を出したりするでしょうが」
思いつく限りの魔術を挙げる。どれも、治癒力を上げるからなどという理由には紐付けられないもののはずだ。
しかし、「同じことです」と、ワイズは言い切った。
「人のある種の感情も増幅させることができれば、それは書き換わることと同義です。ないものを増やすことはできませんから、元々そういう感情がないといけませんが。動きを封じるのは、簡単ですよ。本人の動こうとする意思を弱めたり、身体を動かす力を調整したり、いろいろな方法がとれます」
それまで黙っていたラダが口を開いた。
「それなら、炎はどうなるんだい?君の姉さんは、何もないところからいろいろなものをだしていたよ。魔術書が別のものに化けたという話も聞いている」
「炎は他人ではなく、この場に漂った力に干渉して、呼び起こしています」
イユの頭に疑問符が浮かんだ。
「イメージしやすいものでいうと、風ですかね。無風のときもあるにはありますが、大体どこかしら吹いているものでしょう?リュイスさんも風の力に干渉することで、強力な魔法を放っているのだと思います」
リュイスを見やると、首をかしげていた。これでは、説得力がない。
「……まぁ、過程を全て吹き飛ばして、力だけを奮うのが、『龍族』や『異能者』ですがね」
だが原理は同じだと、ワイズは説明する。
「炎も同じことです。何もないようにみえて、そこには微量の力があります。例えば、摩擦熱とかね。それだけあれば、あとはその力を調整して、火が起きるよう、増やしてやるだけです」
それから、と、ワイズはもうひとつの疑問にも答えた。
「魔術書を化かす点については、正直、これはかなり高度な類いですが――、大体二種考えられますね。ひとつは、魔術書自体はそのままなのですが、人の目に入る情報を調整してしまうというやり方。もうひとつは、本当に魔術書を構成する部品、その力を少しずつ増減させることで組み換え、別のものに仕立て上げるというものです」
なまじ信じがたいが、ペンダントに化けた魔術書は、組み換えられたものなのだろう。そうでなければ、首にはかけられまい。
「つまり魔術は、他人や自然に対して、ある種の力に干渉、調整することを言います。結局のところ、手順こそ違いやっていることは同じなんですよ、魔術も異能も、魔法もね」
イユは唸った。イユの知っている異能には、魚の骨から、生きていた魚を復元するものや、好きな生き物に変身できるものがある。
一緒だといわれると、納得しにくい。しかし、ワイズならば、時間も力とみなして、巻き戻すことを調整とし、魚の復元は可能だと言うのだろう。変身も魔術書と同じ理屈だ。自分の身体の部位に少しずつ干渉することだと、言うに違いない。
つまり、ワイズの言葉で、一応の説明はできてしまう。
「未来視はどうなりますか?」
これはリュイスだ。
ワイズは、それすらも、すらすらと答える。
「占星術ならば星の記憶を引き出しているそうです。それも、星の記憶に干渉するある種の力と言えるかもしれませんね」
「ここまで聞くと、なんでもありだな」
鼻からわかっていたことを、レパードが呟いた。
「そうでもありません。『魔術師』は無から有は作れませんから。あくまで既にあるものを使うことが前提です。それに、大体の『魔術師』は魔術を習得するのに時間を要しますから、あなたたちほど便利な存在でもありません」
それから。と、ワイズは続ける。
「今回理解いただきたいことは、魔術も力に干渉するものであるという点です。範囲こそ違えど、イユさんの異能と大して変わらないでしょう?」
イユは思わず唸った。今の説明で、魔術の流れとやらが見えるようになるとは思えない。
「あなたが力を使うとき、その力を発したい箇所へ意識をやることはありませんか?」
ワイズの質問に、イユは自分の異能の使い方を振り返る。
例えば、背中に痛みを感じたとき、背中に意識をやって、痛覚を制御する。それを言っているのだろうか。
「そうですね、恐らくはそうでしょう。同じように、今度は他人にも意識を向けてみることです。明らかにおかしな力が見えるようになったら、それは、魔術による干渉でしょうから」
「おかしな力?」
「えぇ。本来その人のもつ力とは、ありえないはずの力が動いています。ですから、おかしいと違和感を抱きます。その力を、魔術の流れといい、そこから感じる、赤の他人の存在を気配や臭いと呼んでいます」
説明はしてもらったものの、できる気はしなかった。だが、ここまで説明されると、ラダが暗示に掛かっていないというのは本当なのだろうなと感じる。嘘八百でここまでの話ができるとも思えない。
「機会があったら、他人にも意識を向けてみてください。日頃から力に意識を向けられるあなたなら、習得は早いはずです」
そんな、ワイズによる魔術講話を聞いているうちに、屋敷が近付いてきた。
出ていった頃と変わらない屋敷を見下ろしながら、レパードがぽつりと口を開く。
「ここ以外の拠点を構えないとな」
このなかには、可愛らしい顔をして暗殺を目論む、ジェシカがいる。対象はイユでないにしろ、いつその矛先がワイズ以外の誰かに向くともしれない。そう思うと、全く、安心できなかった。レパードに同意である。早く他の拠点を構えたい。
そんなことを考えていると、屋敷の門のところからこちらに向かって走る人影が目に入った。イユの目で凝らして、その輪郭がはっきりしてくる。
クルトだ。慌てた様子で走ってくる。
「何かあったのかしら」
不思議に思ったイユたちも、走りだした。
途中、クルトがイユたちを見つけて、大きく手を振る。しかし、息を切らせながらも、その足は止まることをしない。リュイスどころかラダの姿も見つけて、早く会いたいというのならわかるが、その顔はどこか強張ってみえる。やはり、何かがあったのかもしれない。
不穏な気配を感じながらも、イユたちは速度を上げた。
合流はすぐにできた。だが、坂道を下りるイユたちよりは、坂道を上がるクルトの方が負担は大きい。クルトは暫く、肩で息をするのに忙しい。
とはいえ、クルトを急かすわけにもいかず、まずは何よりもと、イユは声を掛けた。
「クルト、帰ったわ」
「久しぶり、クルト」
イユとラダの声に、荒い息をつきながらも、クルトはようやく動揺を口にする。
「ラダ?!なんで?リュイスも無事だったんじゃん!じゃなくて、大変なんだよ!」
その切羽詰まった言い方に、レパードが「どうした?何があった?」と皆の気持ちを代弁した。
イユは次のクルトの言葉に、きょとんとしてしまった。それほどに、今この場には有り得ない登場人物の名前が出たからだ。
「姉さんが、ここにやってきたんだよ!」
曰く、ラビリがやってきたと。




