その444 『ミルク色の朝』
星が空に溶け込み始める時分、あまりの寒さに毛布を掻きよせた自分の動きで、目が覚めた。
すぐ近くで木の枝の折れるような音が聞こえて、ぱちりと目を開ける。そこには、焚き火の火を消すラダの姿がある。
「すまない。目が覚めてしまったかい?」
ラダは小声だ。それに気が付いて、ゆっくりと首を横に振った。
「違うわ。寒くて目が覚めただけ」
イユがこんなところで気を遣う人間ではないと知って、ラダが返答する。
「そうか。もう少し厚着をすべきだったかな」
「そうね」
相槌を打ちながら、周囲を見回した。
少し離れたところで、リュイスが剣の手入れをしている。レパードは飲み物を飲んでいるところだ。
(そうなると、ラダが小声で話した理由は……)
視線をくるりと反対側に向けて、確認する。ワイズがまだ毛布にくるまっていた。
「目覚めなかったのね」
すぐに誰のことか分かったらしく、ラダが頷く。
「あぁ、子供に砂漠の旅は堪えたのだろうね」
それだけではない。
イユは喉元から出掛かったその言葉を呑み込んだ。あまり、人の寿命を吹聴するのもどうかと思ったからだ。
イユに、ラダがコップを差し出す。
「君も飲むかい?火を消す前に温めてある」
レパードが飲んでいるものと同じだろう。受け取ったコップの中身は、真っ白に濁っていた。
「君たちが貰ってきたラクダのミルクだ」
イユはコップに口をつけた。
砂漠越えの間の水分補給は水だった。だからか、とても濃く感じる。同時に、癖のある味だ。温かいおかげで、これでもまろやかになっているのだろうが、苦手な人は苦手だろう。
「……ミルクだもの。栄養価は高そうね」
イユの感想に同意を示される。
「それは間違いないだろうね」
イユは続けて口にした。寒い身体にミルクの温かさが身に沁みる。確かに癖はあったが、こうして飲むと気にならなくなってきた。
ちらりと、リュイスに視線をやる。なんとなく、リュイスは苦手そうな気がしたからだ。
「飲んだら、出発しようか」
元々イユとワイズ以外は起きている。出立の準備も始めていた。出掛ける時間であることを察して、イユは頷いた。
実のところ、ラダが手早く離陸の準備を終えてしまったので、イユがやることはあまり残っていなかった。眠っているワイズも、レパードが運び、一同は先日と変わらない座席配置で席に着く。
すぐに飛び立った飛行船は、あっという間にイグオールの集落を追い越していく。小さくなっていくテントの姿を見下ろして、イユは心の中で手を振った。
やがてイユの目にも集落が見えなくなって、前方を振り仰ぐ。
イユの目が、目の前の光景に見開かれる。
そこには、うっすらと白み始めた空が広がっていた。まるで、先ほど飲んだラクダのミルクを、青空に零したかのような色をしていた。
ほぅっと息を吐く。
「まだ眠いなら、寝ていてもいいんだぞ」
前方から、レパードの言葉が降ってくる。
隣のリュイスは、フードを被り、毛布に包まって既に眠りについている。離陸前まで元気そうでいたのが嘘のようだ。今のうちに少しでも体力を取り戻そうとしているのだろう。見習うのであれば、イユもそうすべきではあった。リュイスほど衰弱していないとはいえ、疲れは残っている。
「もう少し、空を眺めているわ」
イユはしかし、レパードの言葉に、首を横に振った。ラダが運転してくれているおかげで、こうして、ゆったりと景色を眺めることができている。ここのところ、いろいろなことがあったから、久しぶりに人心地つけることが嬉しかった。
「確かに、朝日が綺麗だな」
レパードも、空をみて感想を漏らす。ラダは運転に集中しているのか、何も話さない。
ほんのりと眩しい光が、砂の大陸に射し込む。この時間なら、砂漠は暑くなかった。むしろ、肌寒さを感じて、毛布に包まる。
そうやって長い間朝日を眺めていると、後方でもぞもぞと気配がした。
「起きたの?」
すぐに返事はない。
気になって、首を後ろに向けると、眠たそうにワイズが目元を拭っているところだった。その所作だけなら、見た目通りの子供である。
「えぇ」
ようやく返事があった。
「お婆さんが、泡拭いて卒倒しそうになっていたわよ」
余計な心配を掛けてどうするんだと、イグオールの老婆を持ち出すことで、暗に言ってやると、
「まぁ、そうでしょうね」
と簡単な受け答えをされた。反省の色をみせないあたりに、可愛げがない。
「それより、今はどこに向かっていますか」
「マゾンダよ」
イユの言葉に、「妥当な判断ですね」と感想が返る。
ワイズは、若干窓へと顔を近づけた。そのせいで、ガラスに息が吹きかかり、白く濁る。
「あぁ、まだ掛かりそうですね」
見ただけで分かるものなのだろうか。砂漠の様子を眺めながら、ワイズがぽつりと呟いた。
「まだ寝ていてもいいわよ」
イユは自分自身の毛布を掛け直す。途中で寒くて目が覚めないように、念入りに確認した。
「そうですね」
ワイズが寝たのかはよく分からない。確認するよりも前に、イユの意識が途切れたからだ。
「起きろ、着いたぞ」
レパードの言葉と、揺らされる感触で目が覚めた。
うっすらと目を開けると、視界の端にレパードと思われる服が映っていた。イユを揺すった後、リュイスを起こそうとしているらしい。
しかしそんなことよりも、レパードの服以外の背景が、青空ではなく、土色になっていることに気付いて、目を瞬かせる。
「何、もうマゾンダ?」
イユの目に映っていたのは、岩壁だ。
「もう、とは言うが、それなりに時間は経っているよ」
起き上がったイユの背後から、ラダの声が届いた。
ラダはラダで、ワイズを起こそうとしていた。どうも、三人ともが眠っていたらしい。




