その443 『夜を過ごす』
「どうした?何かあったのか?」
レパードを起こしたイユの顔をみて、真っ先にレパードがそう聞いてくる。
「別に」
リュイスは先に寝てしまって、今では寝息も聞こえてくるほどだ。本当はまだ疲れていたのだと思う。『魔術師』に捕まって憔悴しきっていたところに、砂漠越えだ。人並み外れた体力を持つ『龍族』だから生きているだけで、普通の人間ならとうに死んでいるレベルの無茶である。だから、リュイスらしくなく少々感傷的に自分の思いを吐露したのだろうと、感じている。
(『自分』はその優しさの範疇に入ってないのね)
リュイスの寝顔をみて、そんな風にすとんと、理解した。
人には優しいくせに、自分は無茶ばかりだ。敵を殺そうとせず、更に多くを助けようとする。そうやって、自分自身を追い込む生き方を、復讐でもなければ、罪滅ぼしでもなく、ただ好きなように生きようとして、選択しているという。
なんて、愚かで、救いようがないのだろう。復讐なら諌めることができたかもしれない。贖罪なら、許すことで救われる道もあっただろう。しかし、ただ選びとってしまった選択肢に、言葉は響きにくい。
最も、自分の幸運とやらに酔っているわけでもないようだ。どんな幸運にも限界はある。それが分からないほど愚かな人間なら、今頃とうに死んでいるはずだ。その点だけは、唯一、マシで良かったと思うべきところか。
「……俺はてっきり、贖罪のためにあんな無茶ばかりしているのかと思っていたんだがな」
焚き火にあたりながらぼそりと呟いたレパードの言葉に、ぎょっとなった。
「ちょっと、聞いていたの?」
「何かあったのか?」などと、聞いてきたのは、ただ繕っていただけなのだろう。少年少女の会話を盗み聞きとは、悪い人間である。
そんなイユの視線を肌で感じたのか、レパードは、腕をさすりながら否定する。
「眠りが浅いせいで聞こえたんだよ。生き様っていうのか?俺には理解できないが、あいつはずっと十二年前のことを引きずっていたんだな」
遠い過去を振り返る目をしていた。
今までリュイスの思いを知らなかったようだと、イユは今の発言で理解する。
「それは、レパードの与り知らぬところでしょう。それとも、リュイスはもうその時点でセーレの一員だったの?」
レパードは首を横に振る。
「ただ、知人に頼まれた頃だったな」
「?」
あまり詳しく話すつもりはないらしく、それ以上の説明はない。
「よく分からないけれど」
「リュイスはな。全く目覚めなかった時期があったんだ」
唐突の言葉に、「えっ」と声が漏れた。
「食べ物を食べることもできないから、点滴生活でな。正直、リーサより不味いと思った。十二年前のあの出来事が、リュイスを植物人間にしたんじゃないかと不安だった。だから、起きてくれたときには、本当に救われた心地がしたよ」
その言いぐさで、二日や三日のことではないと気づかされる。一ヶ月、二ヶ月そんな単位の話かもしれない。
「目が覚めても、問題だらけだったから、正直どっちが本人にとって良かったかは今でも分からないがな」
茶化すような口調に、しかし笑うことなどできない。代わりに、以前、ラビリがリュイスのことで揉めたと言っていた話を思い出す。あれは、ひょっとしなくてもリュイス本人が眠っている間に起きた出来事なのだろうか。
「結局、目を覚ましたリュイスには、伝えることこそ多くあっても話を聞いてやるってことはできなくてな。そのまま、流れてきちまってんだが」
「?」
レパードの言いたいことがよく分からない。訝しんでいると、ぼそっと呟かれた。
「ありがとな」
らしくもない礼に、イユの頭に浮かんだのは疑問符だった。
「なんで」
リュイスがリュイスのことで礼を言うなら、分かる。レパードがレパード自身のことで礼を言うのも分かる。だが、そうではない。レパードは一体、リュイスにどれほど首を突っ込んでいるのだろうと呆れたくもなった。これでは、誰が『優しい』のかよくわからない。
「なんでかな。……あいつが救われた気がしたからだな」
そのうえで、はっきりとわかることは、イユは大したことを何も言っていないということだ。むしろ、何も言えなかった。リュイスの心の内を聞いただけだ。それで救われることなど、あるのだろうか。
「よく、分からないわ」
「それなら、そういうことにしておいてくれ」
レパードは、砂鮫に腕を噛まれて熱にでも浮かされているのだろう。だから、訳の分からないことをいうのだ。もう少し寝てもらった方がいいかもしれない。
そんな風に考えて、自分を納得させる。
レパードは、これで会話は終わりというように、口をつぐんでいる。その紫の瞳の先には、焚き火の明かりが灯っている。風に揺れる火は、この寒空の下では消え入りそうに映った。
「……リュイスの無茶は、今後も変わらないわよ?」
砂の上に転がった木の枝をつまんで、火の中にくべた。
「あぁ。その度に怒ってやらないとな」
レパードも同じように投げ入れようとするのだが、摘まんだ手の中にあったのは、木の枝ではなく砂だった。仕方なく、その手を開く。
「今度話す機会があったら、リュイスを殴ってでも分からせてやるわ」
代わりに、イユは手元にあったもう一本の枝をくべてやった。
「人に優しさを振りまいているつもりでも、心配を掛けさせる生き方を選んでいたら、世話がないってね」
数時間はじっと焚き火の明かりを見て、過ごした。
互いに会話もないせいか、夜の砂漠にいるせいか、あまりにも静かな景色に、何故か、イクシウスの雪原にいた頃を連想させられる。
しかし、見上げた先にある零れそうな星空は、あのときに見えた空よりも、息を吐きたくなるほどに美しい。ただ、圧巻されるのみである。
何時からだったかと、イユは過去を振り返る。
何時から自分は、この空を見て感動できるほどに、余裕を持つことができるようになったのかと。
気づけば、イユは見張りという立場にいながら、当たり前のように身体の力を抜いている。その事実を、油断ではなく余裕だと判断できるようになっている。
自分自身の心の変化に、若干の戸惑いは感じる。しかし、以前のような、常に危機意識を持つ自分に戻ることは到底考えられなかった。
暗示から解放されたからだろうか。それとも、仲間ができたからだろうか。
自分でも答えが出ないままに、星空を見上げ続ける。
きっと、自分のことは自分が一番見えていない。その点でいえば、イユ自身も、リュイスと何も変わらないなと思いながら――――




