表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カルタータ  作者: 希矢
第八章 『手繰り寄せて』
442/992

その442 『お人好しの理由』

 ラダとレパードが眠りについてしまい、しんとした時間が流れる。焚き火の音だけが耳に心地よく、何故だか昔を思い出した。

「覚えている?洞窟でも、二人で焚き火を囲んだわね」

 眠ったばかりの二人を起こしてしまうのは忍びない。あくまで、小声で、隣のリュイスに囁く。

「えぇ、アズリアさんに襲われて、島に墜ちたときの話ですね。懐かしいです」

 あのとき、イユは初めて魔法石を知ったし、リュイスの魔法の説明も受けた。そのあととんでもない魔物に襲われたわけだが、あの日の出来事は命からがらだったのもあって、強く印象に残っている。

「あれは、リュイスにとっては良い思い出なの?」

 懐かしめるだけの余裕があるのだと、そう不思議に思ったから聞いてみた。

「はい。あの日の出会いがあったから、今もこうしていられるでしょう?」

 淀みなく答えるリュイスには、全く躊躇というものがない。その目は素直に、イユに会えて良かったと言っているように聞こえる。全く、聞いているイユの頬が赤くなるというものだ。

「よく分からないわ。リュイスにとって、私は迷惑だったんじゃないの?」

「迷惑?どうしてですか?」

 本気できょとんとされるからこそ、聞いてみたかった。

「私がいたことで、リュイスは私を助けようとしたでしょう。それで、レパードたちにも怒られたんじゃないの?」

 今回のことで、イユもよく分かった。当時のレパードは、イユに、リュイスの優しさにつけこんだといったが、同じ事をシズリナに言いたくなったからだ。最もシズリナも自分の仇がここまでシズリナを助けようとするなど、想像していなかっただろう。他ならぬイユがそうだったからだ。

「そうですね、怒られました。殴られましたしね」

 それでも、あくまで軽く茶化すように笑うリュイスに、案の定だったとため息をつく。

「ですが、僕はイユの全面的な味方でいられなかったことを後悔すれど、助けたことを後悔してはいません」

 そこには、はっきりとした意思があった。強い、言い換えればとても頑固な意思だ。何がそんなに、リュイスの原動力になっているのだろうと、イユは疑問に思う。イユだからという理由でないことは、シズリナの一件で証明されている。

「そういえば、絵本、最後まで読んだわ」

 イユは、鞄のなかに入れっぱなしにしている、『蛙にされた王子と魔法』を取り出した。砂鮫に襲われたときに、砂が鞄のなかに入ったらしく、だいぶ砂まみれになっている。

「言われたとおり、最後まで読んで良かったわ。思い出せたこともあるし」

「思い出せたこと、ですか?」

 良かったという顔をしながらも、リュイスがそこに食いつく。

「えぇ、私の母が、……やっぱり『魔術師』だったのだけれど、その母が、この絵本を読み聞かせてくれたときに、言っていたの。『自分に誇れる自分になりなさい』って」

「良い言葉ですね」

 やはり、リュイスはそう言うのだ。

「リュイスも――、じゃないの?」

 絵本の王子を思い出して、イユは聞いていた。リュイスは最後まで絵本を読むように言っていた。「僕はこの絵本、結構好きですよ」と。それは、何気ない一言だったのだろう。けれど、イユには、イユの母がイユになれといった姿を、既にリュイスが実践しようとしているように見えてしまって仕方がなかったのだ。

「私には、リュイスも、自分のなかの何かに誇ろうとして、優しさを貫こうとしているように見えるわ」


 一瞬だった。リュイスの笑顔にひびが入った。

「……」

 沈黙が、世界を支配する。ただ、焚き火を揺らす風だけが、ゆらゆらと冷たく世界に吹いていた。

 その世界という名前の蝋燭に息を吹き掛けるように、ふっとリュイスが息を吐く。

「そう、ですね」

 いつもは真っ直ぐに見つめてくる、美しい翠の瞳が、揺れる火にあわせて、反らされる。

「そうかもしれません」

 それは、自分でも自覚していなかったと、そんな驚きのような吐息とともに吐き出された。

「聞いてもいいのかしら?リュイスが何を譲れないと思っているのか」

 イユの言葉に、整った眉がひそめられる。それは否定というより、戸惑いだった。まるで、自分の心のうちを吐露してよいか、躊躇うような……。


「間違っていると思ったんです」

 発せられた一文は、当時感じた思いそのものなのだろう。まるで、呪詛を吐くような、言い方だった。

 吐き出した言葉に、思い出が蘇ったのか、リュイスは吐露し続けた。

「どうして、いつも優しくしてくれた人があんなに傷だらけになって痛めつけられているんだろうって」

 それは、十二年前に体感した悪夢。血塗れになった道場で、およそ人とは思えない所業を目にした、幼い少年の心の内だった。

「何故、自分を大事に思ってくれた人がいたぶられながら、見るも無惨に殺されていくのだろうと」

 何をみたのかは、言葉だけでは具体的には分からない。それだけに、想像するしかなかった。その衝撃を、悲劇を、地獄を。

「分からなかったんです。大事な唯一の家族が、命懸けで僕を逃がしてくれたのに、その優しさが踏みにじられて、何で今自分は殺されそうになっているんだろうって、思っていました」

 斬りつけられる痛みとともに、何故、どうしてと、そんな疑問が積み重なって、分からなくなったという。朦朧とする意識のなか、リュイスをいたぶりながら嘲笑する声を聞いて、ずっと考えていたらしい。そんな悪夢の末に、リュイスは結論づけたのだ。

「優しさが踏みにじられる、こんな醜い世界を、認めてはいけないって、そう感じたんです」


「それが、リュイスの優しさの原動力なの?」

 たずねながら、口がからからに乾くのを感じていた。イユには、何故かリュイスのその言葉が復讐のように感じた。それは、優しさでも何でもない。ただの、世界に対する復讐だ。優しさを踏みにじる世界に、優しさで生き残ってやろうとする、リュイスの強い意思だ。

 イユの頭には、異脳者施設にいた女が過った。同じだ。女も、少しでも仲間を助けることで、『魔術師』に反旗を翻そうとしていた。リュイスと女が被ってみえる。


「違いますよ」

 リュイスの否定で、思考が途切れた。

「僕は、あのとき力を暴発させてしまったんです。それで、カルタータを覆っていた障壁が破れました」

 そのとき、悲鳴を聞きました。と、リュイスはあくまで軽く言ってのけた。

「障壁を維持するのに、多くの人の命を使っていたんです。僕はそれを知らずに、壊してしまった。だから、障壁の最前線にいた人たちがあのとき亡くなってしまった。シズリナさんには、きっと、それを恨まれていました」

 だからと、リュイスは続ける。

「僕は被害者じゃなくて、加害者でもあります。そんな僕が今さら人に優しくしたところで、イユのお母さんが仰るような、『自分に誇れる自分に』は到底、なりえません」

 けれど、と、リュイスは寂しげに目を細めた。その翠の瞳は涙がたまっているかのように、光っていて、とても儚げだった。

「それでも、生きていくしかないんです。だって、僕たちは生き延びてしまったんですから。それなら、せめて残りの人生は、生きたいように生きるしかないと思いました」

 ごくりと、イユは息を呑んだ。何も変わらなかった。イユも、リュイスも。むしろリュイスのその思いにイユはようやくたどり着いたばかりだった。だから、イユから言えることは何もなかった。

「僕は本当は優しくなんてありません。ただ、僕はこの世界を僅か少しでも、優しさで救われる世界にしたいと感じてしまいました。それを実現するには、幸運だと持て囃された自分の立場が一番都合が良かったんです。幸運は自分が人に優しくしたからついてきたんだって、周りに言いたかっただけなんです。そうやって、自分を騙していかないと進めない醜い人間、それが僕なんです」

 独白に、リュイスのこれまでが詰まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ