その441 『砂漠の下の夕飯』
空が高い。手を伸ばしても到底届かない空には、満天の星が瞬いていて、まるで宝石箱のなかを覗いたかのようだ。
焚き火が、バチバチと鳴っている。それ以外の音は嘘のように聞こえなかった。静寂の砂漠。生き物の気配もない。ただ、しんと、広大な自然が、イユたちを包んでいる。
凍えるような寒さから身を守るように、イユは起き上がって身体を焚き火に近づけた。
「すみません、結局ご迷惑をおかけしました」
隣に座り込んだリュイスがぽつんと呟いた。いつもの言葉である。懐かしいと思えるような心のゆとりはない。聞きたくなかったと、そんな顔を隠さないイユに、レパードがため息をついた。
「全くだ。さすがに全滅するかと思った」
「砂漠越えを甘くみているからだろう。それより、成果はあったのかい?」
ラダに差し出されて、イユはホブズを受け取る。肝心な物々交換を行った当人はというと、あれからまだ目を覚まさず、焚き火の前に寝かされている。リュイスたちには、ざっと倒れた経緯を話してあった。
「『魔術師』たちは一旦はばらばらに別れたみたい。でも、セーレの皆を連れ去ったとみている、克望って奴は、何故かシェイレスタに戻ったらしいわ」
ラダは「目的が見えないね」と呟いた。
「そのせいで、シェイレスタのどの場所に向かったか、特定ができない」
こくんと、イユは頷く。言いたいことがすぐに伝わるあたり、ラダは呑み込みが早い。
「少なくとも、シズリナさんは狙われていました。それが彼らの目的の一つだと」
リュイスの発言に、「またシズリナか」と思いながらもイユは頷いた。
「そのシズリナは、少なくともシェパングの船には乗っていないわね」
「ブライトの目的の一つが、リュイスの引き渡しで、リュイスの引き渡しの目的があのストーカー女の確保だとすると、消去法でイクシウスだろうな」
イユの言葉に、レパードが補足する。
「イクシウス、ですか……」
リュイスの落ち込んだような顔に、正直ほっとする。イユたちには優先すべきことがある。まずは、仲間の捜索からだ。断じて、リュイスの命を狙った女の救出ではない。それが頭で分かっているからこそ、さすがのリュイスも、今からイクシウスに向かおうなどとは言い出せないようだった。
「……そうなると、彼らが別れたのは目的を達したからだろう。それで、自国に戻った。一人を除いてね」
ラダの話には納得ができた。シズリナにどんな価値を見出だしていたのかは分からない。だが、彼らが、強いていえば、サロウが――、シズリナを欲していたのだろうことは疑いようのない事実だ。
サロウのことを考えると、ふつふつと嫌な気持ちが駆け上がってくる。何故、イユではなくシズリナが狙いなのだろう。イユのことは復讐相手と言っていたが、シズリナの件と比較すると、あくまでイユの存在は『おまけ』のようだった。『おまけ』で殺されかけたと思うとそれはそれで、気に入らない。だが、あのサロウの憎しみのこもった目は、本物ではなかったか。素直に謝罪して許してもらえるとも思えない。加えて、全く会いたいとも思わない。だが、もし今度出会う羽目になったら、イユはどんな顔をすればよいのだろう。
(もう二度と会わないんだから、考えるだけ無駄よ)
余計な気持ちを振り落とすのに必死になっていると、先にレパードが口を開いた。
「一旦、マゾンダだな。写真の現像もできている頃だろうし、仲間と合流して情報を纏める。怪しい連中が三方に散ったら厄介だったが、逆にいえばシェイレスタに戻ったということはまだ動きようがあるだろ」
レパードが、そう言いながら寄越してきたのはシチューのような液体の入った皿だった。
「?」
分かっていないイユに、「つけて食べても良いんだと」とレパードが付け加える。
肉や野菜を挟んでホブズを食べるのも美味しかったのだが、いろいろな食べ方があるらしい。
シチューもどきを浸したパンを口にいれて、イユは思わず頬を緩めた。
「美味しいわね」
「僕も貰おうかな」
ラダに皿を手渡しつつ、名残惜しくなってもう一回ホブズにシチューを浸す。
「あの、僕も貰ってよいですか」
「駄目よ。病み上がりがガンガン食べるのは、身体に良くないわ」
リュイスの主張を却下しつつ、ついでにもう一度、ホブズにシチューを浸そうとする。
そこをひょいっと、レパードに取られた。
「……全く、ワイズの分も残しておけよ」
むむっと、唸り声が漏れてしまった。
「君たちの話を聞く限り、マゾンダには明るいときに戻った方がいいだろうね」
行き先が一先ず決まり、食事も済ませてしまうと、あとはいつまで休むかという話になる。今は、入口が見つけにくいと聞いて、ラダが思案するように呟いたところだった。
「そうすると、結構あるわね」
まだ星が空に昇ってからそんなに時間は経っていない。積もる話は山ほどあったし、全員休息も必要な状態だが、久しぶりに得た時間の余裕に、もどかしさすら感じた。折角見えてきた光明が、こうして待っている間にも消えてしまうのではないかという、そんなどうしようもない感覚だ。
「大体の位置は俺でも覚えているから、薄暗いうちに出発すれば十分だ。それより、見張りは立てるべきだろうな」
同じ感覚を味わっているらしいレパードが少し出発を前出しする。それに頷くと、レパードが続けて提案した。
「ラダはなるべく休んでくれ。正直、俺が運転を代わりたいところだが」
「絶対だめよ」
イユはすぐに却下した。レパードの操縦は信用ならない。それがまた、腕を怪我しているとなればなおさらだ。
それを見て、レパードが肩を竦める。
「こういう反応だからな」
「問題ないよ。それならお言葉に甘えて、休ませてもらおう。君たちは飛行船に乗っている間に休んでしまえばよいしね」
意味もなく遠慮するほど、ラダは分別を弁えていないわけではない。素直に頷くと、「今眠ってしまっている『魔術師』も同じかな」と呟いた。
ラダとしては、早めに、暗示に掛かっているかどうかを確認してほしいのだろう。中々機会が得られず、がっかりしているようだ。
「リュイス、お前も重傷だったんだから休めよ」
「いえ、僕はだいぶ落ち着いているので、大丈夫です」
その反応を、分かっていたという顔でレパードが見ている。
そこで、イユは提案することにした。
「はじめは、リュイスと一緒に見張るわ。皆くたくたなのだし、二人ずつ見張れるようにしておけば良いと思うの」
レパードが納得した顔をする。
「じゃあ、次が俺とイユか。最後に、俺とリュイスでいくとしよう。途中で起こされる形になるが、良いか?」
リュイスが「構いません」というので、それに決まった。




