その439 『買い物と歴史』
店主は、イユたちの手に山盛りのホブズと、一緒に食べられる食材、貴重なはずの水までつけてくれた。さすがに絆創膏十数枚に対して、割が合わないと思ったのだが、店主曰く、出す価値があるのだという。
「ここの人たちはとても親切ね」
感心しながら、両手いっぱいの食べ物を抱えるイユに、ワイズが肩を竦める。
「偶然欲しいものが合致しただけでしょう」
随分冷たい言い方だ。指摘すると、ワイズは自嘲した。
「遊牧民の皆さんにとって、シェイレスタの人間は、あまり良いものではないはずですから」
理解していないという顔をするイユを見て、いつもの反応だと言わんばかりにワイズが説明し出す。聞いていないうちから話されては、大人しく黙っているしかない。
「シェイレスタは、イクシウスの王家継承争いで揉めたことが原因で興った国です。細かいことは省きますが、姉のキサラに対して弟のエルヴィスが王位を迫り、その結果、仲間を引き連れて現在のシェイレスタの都に移ったと言われています」
シェイレスタは砂漠だ。そこに移ったと簡単に告げたが、実際は進んで砂漠に移動するとは思えない。逃げたのだろうなと思って聞いていると、ワイズは続きを話し出した。
「当時のシェイレスタの都には、先住民が住んでいました」
その言葉に、ごくりと息を呑む。ここで、最初にワイズが話した「シェイレスタの人間は、あまり良いものではない」に繋がるだろうことは、幾ら無学なイユでも分かってしまったからだ。それゆえに、言葉を紡ぐ。
「まさか」
ワイズは、イユの反応にあくまで淡々と頷いて返した。
「エルヴィスは彼らを追い出し、彼らの土地の上に都を作り上げたのです」
つまり、シェイレスタの都は、もともと彼らの街だったのだ。地下の水路を思い出して、複雑な気分になる。あそこには苦い思い出しかないが、昔はあの水路こそが、彼らの街だったのかもしれない。
「気付いているとおり、彼らとはイグオールの遊牧民でした。ただ、当時は遊牧などしていなかった。突如やってきたエルヴィスに追われて、遊牧民にならざるを得なかった。そんなところです」
シェイレスタから命からがら逃げ出して、たどり着いたのが今の土地だとしたら、彼らの歩いてきた歴史は過酷なものだったのだろう。シェイレスタとは大陸すら分かたれたこの場所にいるイグオールの遊牧民を想像して、当時の彼らに思いを馳せた。
「確かに、そんな歴史があれば、あまり良い顔はしないだろうな」
レパードの言葉に、ワイズは「そうでしょうね」と冷ややかに頷いている。
だからこそ、もやもやした。イユたちの目の前で民族音楽とともに楽しそうに踊る男女がいるからこそ、余計にだ。彼らが、自らの不幸を嘆き、シェイレスタに怒りを宿しているようには、到底見えなかった。
「でも実際にこうして食べ物を貰ったんだから、いいじゃない」
イユは手の中のホブズを僅かに持ち上げてみせる。少しでも、多く見えるようにとの配慮だ。
「現実に、彼らは協力してくれるのだから、過去のことをこっちで勝手に振り返ったって無意味よ」
これで相手が嫌な顔をしたら、その原因を探る価値はあるかもしれない。だが、そうでなければどうでもいいことなのだと、言ってやりたくなったのだ。
「まぁ、そういう考え方もありますね」
ワイズはあくまでも淡々としている。その顔からは、何を考えているか窺い知れない。だから、結局のところ、イユにはそれ以上の言及ができなかった。
「可能であれば、乾燥を防ぐクリームなども貰っていきましょう。幸い、ラダさんが持ってきた医薬品もいただいてきたので、まだあります」
なんでもなかったように、ワイズは話を切り替える。もうこの話は終わったのだと言いたいのかもしれない。
「……って、お前。ちゃっかりラダの分をくすねてきたんだな」
ワイズの言葉に、レパードが呆れた顔をしていた。
「人聞きが悪いですよ。今は一緒の飛行船で行動しているんですから、まとめた方が効率が良いと思っただけです」
むっとした顔をつくるワイズに、イユは乗っかることにした。どうでもよいといった本人が拘っては話にならない。
「乾燥を防ぐクリームって、既に持っているんじゃないの?」
イユたちは何も砂漠に無策で挑んでいるわけではない。クリームぐらいは塗ってある。
「彼らは常に砂漠で暮らしている遊牧民です。僕らが使うものより、質が良いと思われますよ」
ワイズの言葉に、「なるほど」と納得した。イユからしたらワイズたちも十分砂漠地帯に住んでいる民の一人だが、マゾンダを思えば、一日中砂漠地帯にいるイグオールの遊牧民たちの方が砂漠経験が豊富なのだろう。
「乾燥対策なら、うちのをお勧めするよ」
しゃがれた声が聞こえて、イユたち一行は何事かと振り返った。
振り返った先にいたのは、栢木色の装束に身をくるみ、灰色の髪を垂らした老婆だった。
店の棚の前に背を丸めて座って、
「ほれほれ」
と、怪しげな手招きをしている。
恐々と近づいたイユたちに、「試してみなさい」と差し出されたのは、小瓶だった。
「これは?」
「手に塗ってみなさい」
何か聞きたかったのだが、まずは使ってみろとイユに指示が飛ぶ。危険なものではないのかと怪しむが、老婆は有無をいわさぬ様子で、イユが指示に従うのを待っている。
半ば根負けしたイユは、渋々その小瓶の中身を手に塗りつけた。透明なベトベトな液体だが、塗った途端に肌に馴染んで、テカった。
「これは、オイル?」
老婆が頷いた。
「そうさ。これは白砂漠のごく一部に群生する、キナトコの木から抽出したオイルだよ。塗れば乾燥なんて怖くないのさ。おまけに、香りも良いだろう?」
言われて、嗅いでみる。花の香りがした。キツさはなく、おしとやかで上品な香りだ。個人的にだが、マゾンダのウルリカの香りより好きかもしれない。
「えぇ、そうね」
頷くイユに満足げな顔をした老婆は、ワイズの鞄を指差した。
「そのなかに、薬はあるかい?」
なるほど、先ほどホブズと物々交換したやり取りを、老婆はみていたのだろう。乾燥に効くオイルと薬を交換してほしいらしい。
「何に効く薬を求めていますか」
ワイズの質問に、老婆ははっきりと答えた。
「腰痛」
「……」
思わず沈黙するワイズに、老婆が捲し立てる。ワイズの反応が気にくわなかったようだ。
「坊やみたいな若い子は分からないだろうけどねぇ、年を取るとちょっと動いただけでも辛いんだよ!」
騒いだ勢いで立ち上がった老婆が、思わずといった顔で腰をさする。どうも、ちょっと動いたせいで辛さがきたらしい。
「残念ながら腰痛に効きそうな薬は持っていませんが、今も痛いわけですね」
確認するように近づいたワイズが杖を手に取る。
「おい」
レパードがワイズのしようとすることを察して止めようとした。
それを制して、ワイズが老婆に向かって杖を振る。
「ちょっと!負担がくるんでしょう!」
こいつは、馬鹿だ。イユははっきりと悟った。口こそ悪いが、根っこはリュイスと何も変わらない。砂漠のなかで倒れたのは、つい数時間前だ。レパードですら気を遣って、ワイズに治療の魔術を掛けさせなかったのに、たかが腰痛に、力を使おうとする。
「あなたたちが普段から負ってくる怪我に比べれば、全く大したことのないレベルですよ」
ワイズはそう言いながら、杖を振り切った。
老婆がぎょっとした顔をしている。
「どうです?痛みは取れましたか?」
「坊や、あんたは一体……」
老婆は、腰に手をあてていない。それどころか、丸くなった背中がしゃんとしている。
だからこそ、他でもない老婆自身が、驚きを隠せない顔で呆然としている。
「ただのシェイレスタの『魔術師』です」
イユは頭を抱えたくなった。ワイズから、シェイレスタの人間がイグオールの遊牧民を追い出した話を聞いたばかりでこれである。
「そうかい」
老婆は、衝撃に目を見開いた顔をしていたが、少し落ち着いたようで辛うじてそう答えた。
イユは、こっそりと一歩退く。先ほどの親切な店主は、ワイズをみてシェイレスタの人間だと気付かなかっただけかもしれない。だが、今回ワイズははっきりと宣言したのだ。イユとしては歴史なんて振り返っても意味はないだろうと思っているが、ワイズはそんな様子ではなかった。それなのに、何故自分で自分を窮地に追いやるのか、その気持ちが知れない。




