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カルタータ  作者: 希矢
第八章 『手繰り寄せて』
432/994

その432 『絶体絶命』

 身体が、あっという間に砂のなかに流されていく。それは、まるでランド・アルティシアのジェットコースターにでも乗ったかのような、想像以上の勢いだった。しかも、態勢が最悪だ。寝転がっているイユは、まるで空中からダイブする狂った人間のように、ものすごい勢いで滑り落ちていく。

 すぐに跳び起きようとしたが、身体は砂に埋まるばかりで、ちっとも言うことをきかない。レパードがリュイスのもとにたどり着くのにどれほど苦労していたか、今になって理解する。

 自身の迂闊さを呪っていると、視界の端に青光が走った。意味もなくレパードが雷の魔法を使うとは思えない。だから、魔法を使うことで現状を改善する手立てが思いついたのではないかと、期待してレパードを見やった。


 結論からいうと、新たな絶望がちらついただけだった。


 レパードの姿を認める前に、砂色に浮かび上がった()()が見えてしまった。それは、砂の中に漂う、背びれだ。人の顔より、一回り大きい。その背びれが、レパードの周囲を、まるで水のなかにいるかのように、泳ぎ回っているのであった。

 レパードは、それに魔法を当てようと躍起になっていたのだ。だが、片手でロープを、片手でリュイスを抱えている状態だ。砂の上は動きづらく、また動けば動くだけ、砂は身体を大穴の中心へと押し流す。だからか、レパードには大きな動きをすることは許されず、殆ど首だけを動かしながら、必死に魔法を放っている。背中がちらちらと光っているのを見て、翼を出そうとしているのも伺えた。だが、恐らく風がないからだろう。飛べずにいるようだ。


 あの砂鮫をレパードが魔法で倒してしまえば、解決しないだろうか。そんな期待を抱いたイユの視界に映ったのは、続く絶望だった。レパードに倣って首だけを動かしたイユは、ワイズの近くに、あろうことか、二体目の背びれがあるのを見て取った。

 ワイズが、魔物に狙われている。大穴一つに砂鮫一体などという決まりはなかったのだ。

 そんな事実を前に、イユの身体は固まった。

 ワイズは気を失ったままなのだ。もし、砂鮫がワイズに近づいたらどうなるのだろう。名前に『鮫』がつくぐらいだ。奈落の海にいるという、そいつらと同じく、食い殺されるのではないか。

(それは、ダメだ)

 稲妻に打たれたように、イユは、懸命に手足をばたつかせはじめた。一気に身体が砂に圧されていくが、今はそれが必要だ。ワイズはイユよりずっと大穴の近くにいるのだ。一刻も早く、ワイズに追いついて、砂鮫を追い払わないといけない。

 だが、どう考えても、イユが追い付くより、自由に動き回れる砂鮫の方が、早い。ワイズに迫る砂鮫に、イユは声にならない声を上げた。どうすればよいのかなど、思いつかなかった。レパードは自分のことで精一杯だろうし、イユもまた、この大穴を前に対抗する術を持ち合わせていない。せめて投げるものが転がっていればよかったのだが、それもこの場にはなかった。そして、当のワイズは、砂漠で倒れたっきりだ。最も仮に今、目を覚ましたところで、砂鮫に喰われる以外ないのだ。痛みを感じるだけ、惨いだけだろう。


 世の中は、理不尽だ。こんな風に、目の前であっという間に誰かが死んでいく。自然という名の世界を前に、人間は圧倒的に弱く、脆い。異能を持っていたとしても、それは自然にとって、大した差ではない。人間はこのレストリアの地で、いつ訪れるともしれない死に、怯えながら暮らすしかない。

(そんなものは……)

 悔しかった。手が届かない。力が及ばない。その現実を踏みにじってやりたくなる。はじめに失いたくないと思ったのは、セーレの皆に対してだった。だが、今目の前で誰かが死ぬことを認めるということは、きっとセーレの皆を失ってもよいと思うことと、どこかで結びついていると強く感じた。諦めたくないのだ。何もかも失ったと思ったときに手に入った、皆が生きているかもしれないという可能性を前に、これ以上一つも取りこぼしたくないと願ってしまった。それは、セーレに限らず、イユに関わった全てに対して、そう言えた。だから――、

「嫌!」

 目の前の現実に、精一杯の拒絶をする。


 その声を待っていたかのように、イユの頬を風が撫でた。


(えっ――)

 目を瞬いたイユの目の前で、今まさにワイズに襲い掛かろうとした砂鮫が、粉々に飛び散った。背びれだったもの、尾びれだったもの、肉片、血、そういったものに残らず分解されて、砂の中に埋もれていく。

(リュイス……?)

 他に思いつく相手はいなかった。レパードなら閃光が走る。何もない空間で、いきなり見えない刃を放てる知り合いは、リュイス以外にはいない。

 そして、その予想は的中した。

 首だけを回してイユが見たのは、気を失っていたはずのリュイスが、レパードに抱えられながらも、僅かに手を伸ばして、荒い息をついていたところだった。

 目を覚ましたのだ。その事実に、救われたような心地がする。リュイスがいれば、風の魔法が起こせる。そうすれば、この現状をひっくり返せるかもしれない。

 僅かに抱いた期待は、しかし次の瞬間、リュイスの姿を遮るように現れた背びれを前に、崩された。それは、一体だけではなかった。二体、三体……。リュイスとレパードを取り囲むように次から次へと現れる魔物に、イユの顔から血の気が引く。

 それだけではなかった。レパードの雷光が飛び散り、落ち着いたところで、イユは見てしまった。リュイスの口から血が零れている。リュイスは、意識を取り戻したのがおかしいほどの状態だと、改めて気が付かされた。『魔術師』たちにやられてぼろぼろになって、そんな中で、砂漠越えをしようとしたのだ。よくよく考えれば、口から血を吐く程度で済むはずがない。常人なら、きっと死んでいる。

 それでも、リュイスは続けざま、魔法を放った。

 必死の思いで放った魔法だ。口から血を流し、半ば目が虚ろになりながらも、放った力なのだから、当たるべきだった。しかし、魔物はすっとその背びれを砂の中に隠してしまった。

 再び砂の中から現れた背びれは、からかうようにリュイスたちの周囲を漂っている。

 気づいてしまった。ワイズを狙った魔物に当たったのは、魔物がワイズを襲うことに夢中になっていたからだ。魔物たちは、隙さえ作らなければ、リュイスが残り少ない力を振り絞った魔法など、簡単に避けられる。

 そのとき、再びレパードの雷光が周囲を照らした。レパードとリュイスの周囲を楽しそうに泳いでいた背びれが沈む。

 だから、イユは理解した。今は、レパードの雷の魔法を、当てにするしかない。

 それならば、イユがやるべきことは一つだ。

(とにかく、ワイズを……!)

 次、ワイズが襲われたら、恐らく一度学習した砂鮫は、リュイスの魔法を避ける可能性がある。レパードは自分のことで忙しい。それならば、早くワイズを確保しなければならない。

「ぐっ……!」

 そのとき、耳がレパードのくぐもった声を拾った。向きを変えたその一瞬に、レパードが痛そうな顔をしている姿が飛び込んでくる。

 気にかかったが、ロープは緩みきってはいない。無事だと信じるしかなかった。まず、イユがやるべきことはワイズを追いかけることだ。

 もがき、足で砂を蹴り飛ばして、ワイズへと手を伸ばす。ワイズの身体は半分以上砂に埋もれていて、その目は閉ざされている。口は塞がっているが、ひょっとすると砂を飲んでいるかもしれない。青白い顔は、死人だと言われても信じてしまうほどだった。

(ワイズ……!)

 心の中で叫び、必死に手を掴もうとする。届かない。ワイズが目を覚まして握り返してくれば楽なのだが、残念ながら、そうはならない予感がある。とにかく、助けないといけない。差し出した手があと少しというところで、ワイズの指を掠った。

(このっ……!)

 鬱陶しい、砂め。心の中で砂を罵り、思いっきり蹴飛ばす。流砂がイユを歓迎するように、押し流す。砂を掻いたイユの動きに合わせて、ワイズの腕が砂から現れた。

(今よ!)

 再び伸ばして、どうにかワイズの腕を捕まえる。その腕が、砂漠の下にあるというのに異様に冷たくてぞっとした。ひょっとして既に死んでいるのではないかと不安にさせられる。だが、魔物に襲われる前は目を覚ましそうだったのだ。生きていることを祈るしかない。

 あとは、ワイズを食おうとする砂鮫がきたら、イユが手足をばたつかせて追い払うのだ。そう思った瞬間、口から笑いが零れそうになる。我ながら、無茶苦茶な発想だ。レパードたちには魔法があるが、イユにあるのは少し力を込めたら無理ができる程度の異能だけなのだ。イユが殴りつけたぐらいではあっという間に砂が、威力を軽減してしまう。砂の中に忍び込まれたら、打つ手は全くない。イユがワイズを抱えたくらいでは、現状は何も改善しないのだ。

 そして、それを知っているかのように、イユの周囲にも、砂の大穴を渦潮か何かのように勘違いして泳ぐ背びれが、ちらちらと現れ始める。一体、二体、三体……。取り囲まれたことを察して、イユはぎゅっとワイズを抱え込んだ。

 食らうなら、先にイユから食べればいい。その前に最大限の抵抗をしてやる。爪で引っ掻いてやる。蹴りつけてやる。砂の中だろうと気にするものか。それでだめなら、砂鮫がイユを喰らうより前に、イユが噛みついてやる。折角リュイスが助けてくれたのだ。もう、諦めたくなかった。


 そのとき、イユの頭上が、一瞬陰った。

 耳が、プロペラの音を拾う。はっとしたイユが頭上を見上げると、青空が眩しく光っていた。そこに、一瞬影が映る。

(まさか……)

 影はまるで大翼を伸ばした鳥のようだった。鳥は、大穴を、イユたちを、見下ろすように、旋回する。そこまでくると、イユにははっきりと、銀翼の鳥の形をした小型飛行船なのだということが、理解できた。

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