その43 『欲しかったもの』
宿がどこか分からないので、リュイスが街行く人に声をかけにいく。その様子をレパードと眺めていたイユは、後ろから声を掛けられた。
「お嬢ちゃん。どうだい、一品?」
振り返ると、露天商と思われる老婆がイユに向かって手を招いているところだった。しわくちゃの指の一本ずつに、指輪がはまっている。手招きに合わせて、指輪のこすれ合うじゃらじゃらという音が鳴る。
「振り返るなって、いくぞ」
「それはあんまりじゃないかい」
レパードの呟きを聞きつけたらしく、老婆から反論がある。
「うちはね。こう見えて、綺麗なものをいっぱい揃えているよ」
確かに老婆の前に並んでいる宝石はどれもキラキラと輝いていて美しかった。飛行石や魔法石と違い何かに役立つということはないのだろうが、その輝きには独特の魅力がある。
だから、イユにはそれらが眩しく映る。手の届かないものだと察して、足を止める。
「ん、意外と安いのな」
ところが、レパードが店の前まで歩こうとするのでついていく羽目になった。
「気づいたかい? うちは安さも自慢でね」
宝石を見ても虚しくなるだけだったので、レパードが商品を眺めるのを大人しく見守る。
少しして、レパードは一つのペンダントに目を付けた。
滑らかな楕円の形を描く大きな深緑色の石が、白銀の土台に埋め込まれている。全体的に落ち着いた色合いではあるものの、レパードが手に取って揺らすたび、光の加減によってその色が変化する。影が入ると一気に暗く、光が入るとほんのり光って見えるのだ。
「リーサへの土産に買っとくか」
深緑色の宝石は、確かにリーサの黒髪によく映えそうだ。レパードのセンスは意外にも悪くないらしい。
そう考えていたイユは、不意に視線を感じて見上げる。
「……何よ?」
「いや、別に。女の機嫌を取るのは面倒だと思ってだな」
それを聞いた老婆が、苦笑いをする。イユにはいまいち何が言いたいのかよくわからない。
「私の機嫌は、石ぐらいじゃ直らないわよ?」
「それはまた、更に面倒なことで。……ばあさん、これを土産用に包んでくれよ」
ペンダントを受け取った老婆は、歯の抜けた口を見せてケタケタと笑い出す。
「なんだい。お嬢ちゃんのためのペンダントじゃないのかい? あんたもケチだねぇ。このお嬢ちゃんにも何か買ってあげればいいじゃないかい。それだから女を怒らせるんだよ」
レパードは、余計なお世話だと言わんばかりの渋い顔をしている。それを見て、買い物は面白いなとイユは感心する。この数時間だけで、してやられるレパードの顔ばかり見られて満足だ。
おまけにタイミングが良いのか悪いのか、リュイスが戻ってきた。
「どうかしたんですか」
と、レパードの顔を見て声を掛ける。レパードが何でもないという前に、老婆が口を開けた。
「お、あの子に花を持たせたいのかい? それは私の気が効かなかったねぇ」
イユには老婆の言う意味がよく分からない。ただ、その言葉がレパードを決断させたらしい。半ば、やけくそのように告げられる。
「それならこの中から好きなものを選べよ。一つだけだぞ!」
一つ間違えれば客を怒らせそうな物言いだというのに、レパードに買わせることに成功したのだ。老婆に感心する。
「ほら、お嬢ちゃん。折角男が買ってくれるんだ。好きなものを選びよ」
言われて、宝石を一通り眺め始める。赤い熟れた果実のような丸々とした石、奈落の海のように深い青色をした石の指輪、黄色と緑色の石を巧みに合わせてまるで花のように連ねたブレスレット。どの石もどの飾りも、それぞれの色で自己主張をしているように、イユには映った。
けれど、どれも眩いだけの石ころだと自覚してしまうと、急に感動は萎んでいった。手が届いてもイユには場違いだと感じたのだ。これらは生きていくのに役に立ちはしない。イユが欲しいものはこれではないのだ。イユが本当に欲しいものは……。
「これがいいわ」
そう指しながら、イユ自身が驚く。イユが指したのは、レパードが目に止めていた緑の石のペンダントだったのだ。
「なんだ、リーサのを取るつもりか」
そうではない。レパードの台詞に、急にどうでもよくなった。
「……やっぱりいいわ」
どうして傷ついたと感じるのだろうと、自分で自分自身がよくわからなくなる。
「あの……、これはもう一つしかないんですか」
宝石を選ぶイユを見ていたリュイスが、老婆に尋ねる。
「大丈夫、まだあるよ」
リュイスがポケットから袋を取り出す。
「それなら、二つ下さい」
「おい、リュイス」
その様子を見ていたレパードが慌てる。
一方で老婆は、にやにやと笑ってリュイスが袋から取り出したコインを手にする。
「いや、あんたは見込みがあるねぇ! そこのケチとは大違いだよ」
お嬢ちゃん、と声を掛けられる。
「こういう男は貴重だからねぇ。大事にするんだよ」
大事にするも何も、もう彼らとはお別れなのだ。そう思ったものの、いちいち老婆に伝える必要はないだろう。頷き返しておくことにした。
リュイスはペンダントを受け取ると、一つをイユに渡す。
「はい、もう一つはリーサにちゃんと渡しておきますから」
片手にのせられたペンダントの重みを感じて、ようやく気づく。イユが欲しいのは宝石ではなくて、リーサとお揃いの、この重みだったのだ。
修繕しきれなかったドレスの代わりかと考えて、それも違うような気がすると取り消した。今このドレスを手放せと言われても、手放せないからだ。
見上げると、三日月型に細められた翠の目と合う。リュイスは分かっていたのだろうと思うと急に恥ずかしくなった。
「あ、ありがと」
他人から見れば些細なものかもしれない。けれど、確実にこれは宝物になるのだろうと感じる。
「どういたしまして」
リュイスの声を背に、歩き出す。
「……お前ら、そんなに仲良くなっていたのか」
隣から聞かれたが、よくわからなかった。短い、非常に短い間だったのだ。だからイユ以外の人間にとってはなんでもないことかもしれない。
けれど、イユにとっては人生で初めての出来事が、あのセーレという船の中に詰まっていた。リーサだけではない。マーサも、刹那も、クルトも、リュイスも、レパードもいる。たとえ彼らがイユのことをイクシウスの異能者と恐れても、イユには彼らを嫌うことはどうしてもできなかった。うれしかったのだと、思う。
だから、これで良かったのだろう。
狭い路地の階段を上がっていく。作りに問題があるのだろう。足場が不安定なせいで、油断をすると踏み外しそうだ。
――――もし魔術師の暗示を受けていたとしたら。
きつくペンダントを握り締める。
―――この重みを消すのは自分自身かもしれない。
それならば離れて正解なのだと、自身に言い聞かせる。水色のドレスを着て手を振るリーサが浮かんだ。
何故だろう。きゅっと胸が締めつけられる感じがした。




