その429 『白砂漠での乱闘』
簡単に迂回と言ったが、三角館を見ながら平行に進んでいくのは辛いものがあった。
太陽が真上に昇る尤も過酷な時間に、身を隠す場所が何もないなか、延々と砂漠を下っていく。
汗はたらたらと滝のように流れ、視界は定まらない。肺に含む空気にすら、熱を感じる。
目の前を行くリュイスもワイズも、殆ど意識が混濁しているのではないかというほど、ふらついており、今にも倒れそうだ。先頭を行くレパードはまだしっかりしているが、代わりに何度も魔法を放っている。
レパードの魔法の原因は、迂回経路を選んだことで時折現れるようになった魔物の撃退だ。イユたちほどの大きさの蠍が現れるときもあれば、鷹のように空を飛ぶ魔物のときもある。ハイエナのような魔物もいて、シェイレスタの都の周囲に比べると生き物の種類が多様だ。
幸いにも、雷の魔法でやられるような魔物たちばかりで、イユも後方から襲われない限り、ほぼ出番はない。それでも、ワイズやリュイスが襲われると対処できない可能性があるので、イユがしんがりを引き受けている。
砂漠には魔物だけでなく、シダのような植物や骨らしきものも点在するようになった。骨はともかく、植物の存在には希望が持てた。どれもそこに植わっているものではなく、どこかから風に流されてきたもののようだったが、近くに植物が育つほどの環境があるということになる。うまく行けば休める場所があるかもしれないと希望を抱けた。
だが希望は、いつまで経っても実らない。日が傾きだした頃、どさっという音とともに、リュイスの身体が砂に沈んだ。
「リュイス!」
イユの叫びに気がついたレパードが、振り返る。
「だから、無茶をするなといったんだ!」
駆けつけようとしたところで、続けてどさりと目の前にいたワイズも崩れ落ちた。
「ちょっと、しっかりしなさい!」
イユは、先にワイズのもとにたどり着くと、その口に水を運ぶ。ワイズ自身の水筒は驚いたことに、もう空だった。だから、イユの水筒の水を分け与える。
レパードもリュイスのもとにたどり着いたようで、自身の水筒から水を分け与えていた。
「う……」
ワイズの呻き声が漏れる。
イユが無理やり頬を叩くと、ようやく意識が戻ってきたようで、瞼がピクピクと動き出した。だが、中々目覚めない。瞼だけでなく指先がふるふると痙攣しているのをみて、不味いなと思った。
最短距離なら今頃到着していただろう。だが、あれからまだ平行に歩いてばかりで、一向にたどり着く気配がない。
「イユ、伏せろ!」
レパードの叫びにはっとしたイユは、命じられるがまま身を低くした。すぐ頭上で何かが横切り、抉るような音が弾ける。
恐る恐る振り返ったイユの目に映ったのは、白い砂に飛び散る黒こげの塊だった。そのすぐ後ろに、口を開けて欠伸をする四足歩行の魔物がいる。それは、見た限りではライオンほどの大きさの猫だった。ただし、口から生える牙は鋭く、噛まれたら大穴が穿たれることは想像に容易い。また、その魔物は橙色の体毛をしていて、耳の先だけが蒼く伸びていた。細められていた瞳が、ゆっくりと開かれる。くるりとイユの方を向いた瞳孔は、黄緑色をしていて、蛇のように細かった。
「魔物……」
よりにもよって、こんなときに現れるとは。
ぎりっと奥歯を噛み締めたイユは、そのときになってようやく、欠伸をした魔物が一体ではないことに気がついた。七体ほどがその魔物より数歩離れたところで、待機している。
始めに転がった黒こげの塊を思い起こして、理解した。レパードが仕留めたものを入れたら、八体だ。
そして、それは、レパードの後ろにも迫っていた。振り返ってざっと確認する限りで八体。既に倒れた分を除いても、合わせて十五体が、今イユたちを囲んでいることになる。
イユはワイズを抱えたまま、ゆっくりと立ち上がった。レパードも相手を刺激しないように、同様の動きをしている。一歩、そして、また一歩。レパードの影が映り込むぐらいまで、後退する。
それに合わせて、魔物たちもゆっくりと、包囲を縮めていく。ここまでくると、逃げ場はどこにもない。魔物は、イユたちを完全に取り囲んでいる。
それにしても、あまりにも早い魔物の動きに舌を巻きたくなる。倒れたリュイスたちをみて、狩りの機会と判断されたのだろう。きっと、イユたちが知らないだけで奴らにつけられていたのだ。そうでなければ、倒れたところをすぐ狙ってくるとは思いにくい。
魔物の癖に、頭が回る。そう毒づきたくなった。だが、もしつけていたのならば、レパードの魔法をみているはずだ。あの威力を見て尚も突っ込んでくるところをみると、余程飢えているということだろうか。それとも、死への恐怖がないのだろうか。
恐らくは後者だろうと、イユは結論づける。そうでなければ、仲間の死骸を踏みつけて、欠伸などしないはずだ。
イユはそっと、ワイズを下ろした。
砂地に直接顔がつく形になるが、こんなときに目覚めない方が悪い。むしろ、これから守ってやろうというのだから、感謝してほしいところだ。
レパードもまた、ゆっくりとリュイスを離す。
それを見ていたわけではないのだろうが、魔物が一鳴きした。まるで猫のような声高い鳴き声で、甘えているようにも聞こえる。だからきっと、この魔物にとって、これはあくまで遊びなのだと気が付かされた。
獲物を囲って、食べるまでの遊び。ひょっとすると、全員が倒れるまで待たず二人が倒れた時点で襲ってきたのは、ある程度抵抗されないとつまらないとでも思っているからなのだろうか。
魔物の考えは、理解ができない。ただ、彼らなりに楽しんでいるのだろうことは、舌なめずりをしたその顔からも伝わった。
「かかってきなさいよ」
威嚇するように声を掛けると、魔物がごろごろと喉を鳴らした。まるで懐いているような仕草だが、それは魔物にとっての肯定だったのだということには、すぐに気付かされることになる。
次の瞬間、魔物たちが一斉に飛びかかってきたからだ。
レパードが放った雷光が、周囲に満ちる。
眩しさに目を細めながらも、何体かが光に包まれてはじけ飛んだのを視認する。しかし、何分数が多い。その光の合間を縫って、駆け込んでくる奴らの気配を察した。眼前に迫ってきた一体に、イユは思いっきり蹴りを叩きいれる。
真っ直ぐに突っ込んできてくれたから、助かった。眩しいせいで視界が定まっていなかったのもあるのだろうか。魔物は大人しく蹴られた額ごと砂の中に沈み、起き上がってはこなかった。
ほっとしたのも束の間、気配を感じて、左へと飛びずさる。先ほどまでいたすぐそこに、魔物の巨大な爪が振りかかった。うだるような熱い空気を切り裂く風を感じて、肌が粟立つ。
だがこれは、またとない機会だ。素通りすることになったその前足、腕と呼びたくなるほどに太いものだったが――、は、イユという標的を逃して、その場に留まっている。
イユは逆にその前足を蹴りつけて弾き飛ばす。魔物の悲鳴が、続けて放たれた雷光の中に沈んだ。
だが、息はつけなかった。突然、腹に衝撃を感じて、一瞬意識をもっていかれたからだ。背中に感じた砂の衝撃で、吹き飛ばされたのだということにはじめて気が付く。痛みが腹部に突き抜けて、顔が歪んだ。
「無事か?!」
「平気」
魔物の気配には気をつけていた。引っかかれたり噛まれたりしたら、かすり傷ではすまない爪や牙、そうした部分には特に目を光らせていた。避けられなかったのは、それが魔物のしなやかな尾だったからだ。猫のような毛並みのしっぽが、翻した魔物の背から放たれた。想像以上に長かったそれは、まるで鞭のようだ。
すぐに身を捻ろうとして、砂の予想以上に柔らかい感触とそれを掴んだ熱さに、肌が悲鳴を上げた。無理やりそれらの感覚を遮断して、続けて振ってきた尾を避けることに成功する。
代わりに、そばに漂った尾を掴むと、思いきり引っ張ってやった。
魔物が悲鳴に近い声をあげる。意外と痛いものらしい。その魔物の横から、別の魔物が、倒れたままのワイズに食いつこうと駆け込んでくるのが、視界の端に映る。
手を離して、ワイズの元へと走っている時間はない。イユはせいやっと掛け声をあげて、魔物を振り回そうとする。さすがに魔物の巨体を、細長い尾で振り回すのは無理があったのか、腕がみしみしと悲鳴を上げた。それでも、歯を食いしばり、痛みを異能の力でねじ伏せて、腕に力を込める。力が伝わりきらないのは寝転がっているせいだと考え、すぐに立ちあがった。
だが、何でも思い通りというわけにはいかない。魔物には、尾を起点に振り飛ばされてほしかったのだが、魔物の図体が想像以上に重いのか、ここまで力を出し切っても、うまく飛んでいかない。
だが、痛みに耐える魔物はこれ以上なく無抵抗だ。
考えたイユは思いっきり蹴り飛ばすことで、妥協する。
尾を引っ張っても飛ばされない魔物だったが、イユの蹴りの方が勢いがあったらしい。蹴られて吹き飛んだ魔物が、今まさにワイズに飛びかかろうとした魔物の横っ腹にぶつかっていく。
すぐに続けてやってきた気配に振り返ったイユは、魔物の爪があと少しでイユを切り裂こうとしているのを見て取った。ワイズの方へ意識をやりすぎていたのだ。咄嗟に避けようとしたところで、足がずぼっと砂にとられる。
(場所が悪すぎる……!)
魔物は砂漠に慣れているからか、足にとられる様子もない。しかし、イユは砂という障害を前に、いまだに慣れていなかった。
魔物の爪が、眼前に迫る。
態勢を崩したイユに、避ける手段は、ない。
その瞬間、魔物が、爆音とともにはじけ飛んだ。突然の光に目が慣れないイユは、視界が落ち着くまでその事実を視認できなかった。レパードの雷電に撃ち抜かれた結果なのだということは、頭だけで理解した。
それならばと、イユはくるりと身を翻して、レパードの方へ向かう。瞬いている視界は、異能で調整していく。レパードは魔物二体に挟まれる形で対峙していた。よくその状況で、イユの危険に気付いて魔法を放てたものだと、呆れたくなる。足に力を込めた。
レパードの背後まで走りきると、牙を剥いて迫る魔物のすぐ下へといち早く潜り込み、その足を引っかける。レパードを狙っていた魔物は突然登場したイユについていけなかったのだろう。盛大に転がった。
だが、相手はそれだけではない。続けてやってきた別の魔物の牙が、イユの背後から迫っていた。
イユはすっと手を上げる。
一見すると何も力をこめていないように見えるが、それは大きな間違いだということを、魔物は知ることになる。
次の瞬間、バリバリと痛々しい音とととに、魔物の牙が粉々に散った。魔物が悲鳴を上げる。得意の武器を壊されて動揺を隠せない様子だ。
イユはそんな隙をみせた魔物に容赦しない。すぐにその顎を、下から殴り付けることで、吹き飛ばした。
「おっと」
声に振り仰げば、レパードが身をすくめて魔物の爪をやり過ごしている。すぐに紫電が走ったが、如何せん魔物の数が多いらしい。すぐに別の魔物が飛びかかる。いつの間にか、三体に囲まれていた。
一体は、雷光を受けて弾け飛ぶ。だが、レパードが魔法を放ったその背後から、別の一体が迫ってくる。
イユは速度を上げて駆け込んだ。レパードの隣を通り抜け、魔物の顔面を殴りつける。
すぐ後ろで、雷鳴が轟いた。振り返ったイユは、レパードが魔法を放つ姿を目にする。ちょうど先ほどまでイユがいたところに光の残滓が留まっている。レパードの背中が、その光に、逆光になったかのごとく、照らされていた。
「第一陣、終了ってか」
振り返ったレパードが、イユに声をかけてくる。話す余裕があるのかと周囲を見回して納得した。
転がっているのは、魔物の死骸だ。囲んでいた三体は、イユが殴り飛ばしたものも含め、既に灰のように黒焦げになっていた。それ以外にも、同じように雷に撃たれたもの、イユに蹴り飛ばされたもの、ばらばらに飛んで、なにがなんだか分からなくなったものが、散らばっている。
動いている魔物は、一歩下がったところで、イユたちを見ていた。右手に二体、左手に一体。足音からして、レパードを挟んだ向かい側に三体いる。
右手にいる一体が、舌なめずりをした。もう一体は隣で顔を洗っている。
場違いな所作に、理解ができなかった。仲間がやられているはずなのに、全くそうは思えないのだ。彼らにとって、命とは何なのだろうと唖然とする。
仲間の死骸を踏み抜いて、一体が一歩前へと出た。身を屈めて、すっと飛びかかる。あくまで楽しそうな表情で、真っ直ぐにイユに向かって、突撃してきた。
第二陣の始まりだ。




