その428 『砂鮫と愛らしい生き物』
頭が痛い。
リュイスは結局意見を曲げなかった。その強情さといったら、砂漠の暑さを凌駕した。
おかげで、ぎらぎらと光る太陽が、白い砂漠を歩くイユたちにじりじりと照りつける。見上げた先にある三角柱の形をした建物が、ゆらりゆらりと揺れてみえた。
三角館から傾いた塔までは、凹凸の激しい砂漠と、時折現れる焦げ茶色の台地しか存在しない。
シェイレスタの近くより温度が低いようで、あのときほどの息苦しさはないと、そう思えていたのも最初だけだ。すぐに息も絶え絶えになり、一歩一歩踏み出すのも苦痛になった。
耐えられずに、水筒の水を呷る。舌に伝わる水の感触に、ついついもっと飲みたくなってしまう。それを意思の力でねじ伏せる。
半日だ。考えて水を飲まなければ、どんどん日が強くなっていくこれからを想像するに、絶対に干からびてしまう。
「あれは……、なんだ?」
レパードの呟きに、イユは目を凝らして周囲を探った。レパードは一行の先頭を歩いている。今は上り坂なので、レパードが一体何を見たかはわからなかった。イユに見えるのは、呆然と立ち尽くすレパードと、青空を背景に浮かびあがる三角館だけだ。
レパードのすぐ後ろをふらふらと登るリュイスが、レパードに気付かずその背にぶつかった。
リュイスの様子に既にふらふらではないかと、言ってやりたくなる。しかし、今頃倒れられても満足に休めるような木陰はない。ここまできたら、何がなんでも歩いてもらうよりない。
リュイスの後をイユが続き、レパードの隣に立つ。
そこで、眼下に広がる光景に目を見張った。
「何よ、これ」
そこにあったのは、白い砂漠に広がる異様な大きさの穴だった。それが点在している。今までも、砂漠の砂は平らではなく、登ったり下ったりの繰り返しだった。だが、見る限り、今ここに広がる穴はそんなレベルの話ではない。まるで誰かが意図的に、この広大な砂場をくりぬいたような凹みだ。
イユは偶然、耳の大きな四足動物がその穴の近くを通り過ぎるのを見つけた。砂色だったから分かりにくいが、狐のような体格をしていて、ふさふさの尻尾が砂漠の生き物らしくなく、どこか麗しい。砂漠にはああいう生き物もいるのだと妙な感心をしてしまったほどだ。
「あれはフェネックですね。珍しいこともあるものです。本来は夜行性なのですが……」
いつの間にかイユの隣に立っていたワイズが、同じものをみて、説明する。
「見た感じは可愛いけれど、危険なの?」
イユの質問に、ワイズは首を横に振った。
「害のある生き物ではないですよ。むしろ、とても弱いので、基本的に臆病な性格をしています。……見たところ、子供ですね」
ところが、猫のような声高な声で鳴いたフェネックは、穴に触れた途端、足をくじいた。
「あっ」
気づいたリュイスが思わずといった様子で声を上げる。
フェネックは起き上がろうとして、穴の中に滑り込んでいく。ようやく立ち上がった頃には、穴の半分ほどの場所まで落ちていた。そこに至ってはじめて事態に気付いたらしく、何とか穴から脱しようと手足をばたつかせ始める。
ところが、どういうわけか、あれよこれよという間に、穴の中に吸い込まれていく。
何をしているんだと言いたくなってくるが、本人が必死なのは、鳴きながら駆け上がろうとする様子をみていれば伝わってくる。
しかし、フェネックの努力は報われない。穴から出るどころか、逆にどんどん穴の底へ引きずり込まれていく。
穴の先に、背びれのようなものが覗いた。
フェネックは、振り返ってそれを見てしまったようで、余計に手足をばたつかせて抵抗している。
だがそれは、かえって穴の底へと引きずり込む魔の手を、招き寄せたに過ぎなかった。先ほどよりも遥かに速度を上げて、穴へと落ちていく。最後には、砂に呑まれて姿が見えなくなり、消えていった。
悲鳴は途中で途切れ、何かを喰らうような咀嚼音のみが、鈍く残った。
一同は思わず顔を合わせた。砂漠を歩いていた時には意識を彷徨っていたようにみえたリュイスさえも、冷や水を浴びせられたような顔をしている。
「……ねぇ、本当にここを通るの」
さきほどの生き物の最期を見送った一行は、イユの発言に、暫く沈黙を守った。直線コースでいけば間違いなくあの大穴の近くを通ることになる。穴の中に呑み込まれたらどうなるのかは、先ほどの生き物が教えてくれた。きっと、イユたちもあの生き物と同じく、二度と空を拝むことができなくなることだろう。
「当然、迂回すべきだろうが……」
レパードがようやく沈黙を破ったが、まだ悩むような顔をしている。その顔には、問題はどのコースを通るかだと書かれていた。穴は、この一帯に無数にあるのだ。
「この穴は、砂鮫のものでしょう。……ついていないですね。ここで狩りをすることはあまりないと聞いていましたが」
ワイズが思い当たったように告げるその内容に、イユたちは顔を見合わせた。相変わらず、砂漠というものは自分たちの理解の範疇の外にある。
「砂鮫?」
「えぇ。砂漠の下に彼らの巣がありまして。ああして大穴を掘って、通った生き物を自身の陣地へと落とすんです。あの穴はもがけばもがくほど落ちていく仕組みになっていまして、一度入ったらまず抜けられません。しかも、巣は長居すると獲物が場所を覚えてしまうということで、定期的に移動しているようです」
ワイズのぞっとする説明に、砂漠の中だというのに一段温度が下がった心地がした。「あぁ、人間も捕食対象です」などとついでのように付け足すから猶更だ。
「何そのろくでもない魔物」
「加えて言いますと、今は上から見ていますから避けられれば行けるように感じると思いますが、これが実際歩くと、意外と見分けがつきませんからね」
「つまり、大きく迂回すべきだということか……」
問題は、自分たちが急いでいるということと、食糧が半日分しかないことだ。
イユはふと、リュイスが幸運と呼ばれていたことを思い出した。そんな話は、これを聞いた後だとあり得ない。リュイスは目的地に着きたがっているのに、普段はいないような魔物が運悪くそこに現れたのだ。むしろ運は悪いと言えるのではないだろうか。
だがもし、『魔術師』と接触しないことこそが、リュイスにとって幸運なのだとしたら、今回の不幸も幸運という扱いになる。結局のところ、運というのは最後になってみないと分からないのだろうと、そんな風に思えた。
「……ここには、さっきのフェネックみたいな生き物がいるのでしょう?」
イユは、思いついたように確認する。今は影も形も見えなくなってしまったが、夜行性ということは、夜になれば別の奴が現れるはずだと予想している。
「はい」
ワイズの肯定に、少し安堵した。
「それなら、迂回すべきね。最悪、食糧には困らないわ」
イユのはっきりした言い方に、周囲が戸惑ったような視線を寄こしてくる。
「……?」
その視線の意味を理解できていないイユに、代表するようにワイズが告げた。
「……野蛮ですね」
何故人間は見た目が可愛いものに対して甘いのだろうか。イユのことを、まるでこの世の悪だと言わんばかりだ。ワイズに同意するレパードとリュイスを見てしまっては、全く納得がいかないのだった。




