その426 『墜落』
「リュイス、無茶するな!」
遅れて駆け込んできたのは、レパードだ。
イユが外壁から身を剥がすと、レパードの後ろからワイズも走ってくるのが見える。ワイズを叩き起こしてからやってきたらしい。
「やられたわ」
リュイスに答える元気はないとみて、イユが返答する。
「あいつら、飛行船で飛び立っていったわ」
レパードがはっきりと苦い顔で返した。折角の手がかりが失われてしまったに等しいのだ。イユもきっと今、同じような顔をしている。
「彼らはどの方角へ向かいましたか?」
ワイズの発言に、イユは指で示した。
「三角館?いえ、さすがにそれは……。まさか、イグオール?」
方角から行き先を推測しているらしいワイズから、聞き慣れない単語が飛び出る。
「なんだ、それは」
「集落の名前です。小さいですが、三国のどこにも属していません。今の時期だと、確かにあの方角の先にいる可能性が高いです」
ワイズの言い方に首を捻る。
「なにその、集落なのに、移動しているみたいな言い方は」
そのときだけは、ワイズは少しにこやかに笑った。正解を引いたらしいことは、ワイズの発言で察する。
「ご明察です。彼ら、イグオールの民は遊牧民なんですよ」
その遊牧民という単語をはじめて耳にしたイユとしては、反応に困った。素直に質問すると、また馬鹿にされそうである。とはいえ、ここまでの情報から、どうも住居を移動しながら生活していることは予想できる。
「飛行船に住んでいるわけではないのよね?」
飛行船を住居に構えているとしたら、それはセーレと変わらない。
「違います。彼らが乗るのはラクダですよ」
飛行ボードを知ったばかりのイユに、新しい乗り物の名前が登場した。それはラクダというらしい。なぜだか、世界はイユの知らないことで満ちている。
とはいえ、飛行船を否定するということは、陸を移動しているということになる。
「陸路で行ける範囲か?」
レパードの質問に、それまで俯いていたリュイスがはっとした顔をした。
「そういえば、三人はどうやってここまで来たんですか?」
三角館から歩いて……というには、三人ともそれほど疲弊していないことに気がついたのだろう。
「……飛行船よ」
イユの発言に、リュイスの顔が輝くのが見てなくても分かった。胸が痛いとはこのことだ。
「それなら!その飛行船で追いかけられませんか」
「無理だ」
はっきりとしたレパードの否定に、リュイスが虚をつかれた顔をする。
「それは、何故ですか……?」
当然の質問だなとイユは諦めた。
「この二人が壊したからです」
さらりと、ワイズが事実を告げる。
「は?」
きょとんとした顔は、まだ事情を飲み込めていない様子だった。
ワイズが顔に青筋を浮かべたまま、にこりと笑みを浮かべた。
「この愚か者たちが、折角借りた飛行船を墜落させて壊したからですよ」
さすがに、こればかりは否定できない。
珍しくリュイスが「えぇ?!」と声を上げた。
ことは、数時間前まで遡る。
ミスタの案内で飛行船の前にたどり着いたイユたちは、口をあんぐりと開けて固まっていた。特にイユは、少し前に同じ場所で最新設備のついた飛行船に乗ったから、その驚きはひとしおだ。
「ミスタ。本当に、こっちのか?隣のでっかいのではなく?」
レパードの確認に、ミスタは頷く。
「あぁ、そうだ」
ミスタは飛行船のヘリに手を伸ばすと、ひょいひょいと、その重そうな身体を身軽に持ち上げて、操縦席に乗り込む。
そう、いきなり操縦席だった。甲板に乗り込むこともなく、シリエにされたように、渡し板を渡されることもない。そもそも、空へ飛ばす予定がないからなのか、浮いてすらいない。動くのだろうかと、不安にさえさせられるほどに、それはぼろぼろだった。
作り自体は、セーレに格納されていた小型飛行船とそう変わりない。操縦席の後ろに席があり、その後ろに盛り上がった球状の突起、その後ろにプロペラがある。違うのは、操縦席の隣にも、その後ろにも席が用意されていることだ。つまり、この飛行船は辛うじて四人乗りなのだった。
しかし――、
「飛行機関がどうみてもおんぼろだぞ?」
球状の突起には、明らかな錆びがあった。それに、セーレのものより、全体的に古いせいか、作りが杜撰だ。ミスタがスイッチのようなボタンを押すと、パカッと球体が割れた。そこに、飛行石の欠片を直に入れ始める。
「あぁ、懐かしいな」
ミスタの感想に、レパードが頭を抱えている。イユもかなり不安になってきた。飛行機関の作りなど気にしたことはなかったが、この反応と見た目の安っぽさから、大丈夫という言葉は浮かんでこない。
そのうち、パカパカと頼りない音を上げて、プロペラが回り始める。
「問題なく動きそうだ。船長、使ってくれ」
「マジか……」
唖然とした顔のレパードが、助手席へと上がっていく。何やらミスタのレクチャーが始まったが、レパードの顔色は優れないままだ。
「ねぇ、この飛行船も掘り起こしたとか言わないでしょうね?」
隣で大人しく様子を見ていたワイズに、確認をとる。取らなければよかった。
「彼らの船は基本的に自分で調達ですよ、掘り起こすのが仕事ですからね」
「……マジなのね」
とはいえ、さすがに小型飛行船がそのままの形で掘り起こされることはないらしい。大体発掘されるのは、一部の部品だ。設計図が何らかの方法で見つかる場合もあるらしく、それらの情報を売りつけることで、職人たちに製作してもらい、できたものを引き取っている。職人といえばヴェレーナの街がイユにとってなじみ深いが、実は『からくり拾い』のようなギルドがヴェレーナの街の職人たちと常日頃から交流していると思うと、なんだか不思議な感じはした。
とはいえ、『からくり拾い』が拾ってきたこの飛行船がぼろぼろということは、発掘したはいいものの大して売り物にならなさそうなので自分たちで管理しているということではないかと、疑いたくなる。
「そういうものでしょう」
確認すると、案の定ワイズは頷いた。
「小型飛行船は大型の飛行船に内蔵されていることもあり、よく見つかりやすいんです。売れないが組み立ててもらったものを自分のところで管理するなんてことは、いかにもありそうな話ですね」
「……まぁ、落ちなければ、私はいいけれど」
落ちないのよね?と、ミスタの指導を受けるレパードの難しい顔を見ながら、不安になった。
幸いにも、離陸は上手くいった。カタカタカタカタと、今にもプロペラが飛んでいきそうな音を立てながら、機体が浮かび上がっていく。
助手席に乗り込んだイユは、プロペラの振動が伝わるように揺れる機体のなかで、借りてきた猫のように固まっていた。
「これなら、飛行ボードで飛んでいきたいわ」
言いながら、あまりの振動で舌を噛みそうになる。
「いや、荷物が乗らないだろ」
冷静な突っ込みに、イユとしては唸るしかない。
そんな間にも、レパードの握りしめているハンドルが、カタカタと悲鳴をあげている。
「直に風がきますね、これ。カバーもないのですか」
後部座席から、ワイズの文句が聞こえてくる。その文句は、あんたの友人にいってほしいと、心から思った。
見下ろすと、ミスタが手を振っている。その顔のあまりに屈託のない無邪気な様子に、内心ため息をついた。今回のことで、もうミスタが絶対的に安心感のある人ではなくなった。あれは、ここにいる誰よりも子供だ。未知のものに取り憑かれている。
尤も、これ以上の船を借りることは、ミスタとしても気が引けたのだろう。ミスタにとってはかつて所属していたギルドの一つで、どうしようもないから頼った相手だ。そんなミスタの事情を察して強要させるのは、イユとしても悪い気がした。仕方がないとどこかで割りきって、進むしかない。
「っとと!ハンドルが重いな!」
レパードの声とともに、がたんと機体が揺れた。隣にある飛行船にぶつかりかける機体を見て、早くも息が詰まりそうになる。
(やっぱり、割りきれそうにないわ!)
心のなかで、叫んだ。
そんな始まりだったものだから、無事にマゾンダの町から抜けたあとも、生きた心地はしなかった。夜空に浮かぶ星たちの明かりを頼りに、ゆらゆらと揺れる機体は、今にも墜落しそうである。
「寝ていてもいいんだぞ?」
「正気?!」
レパードの言葉に、イユはぶんぶんと首を横に振った。
「まぁ、もうすぐ着くしな」
そういう問題ではない。分かっていっているのかと、疑うようにレパードを見てから、その顔がやたら蒼いことに気がつく。
「ねぇ、顔色が悪そうだけど」
「いや、な……」
歯切れの悪いレパードに、イユは思わず直視する。
「…………」
イユの視線に耐えられなかったのか、レパードが左手で自分の顎を引っ掻いた。
「実はな……」
「何?」
「………………………ちょっと、酔った」
レパードの吐露に、目を剥く。
「はぁ?!」
確かに、この機体はやたらと揺れるのだ。その揺れ方といったら、飛行ボードの比ではない。むしろ、飛行ボードですら、レパードは上手く乗りこなせていなかった。それを意識した途端、イユは一気に不安になる。
レパードに操縦を任せたことは、間違いだったかもしれない。
「ワイズ。酔い止めの魔術って、ないの?」
それまで信じられないことに眠っていたらしいワイズが、年相応らしく目元を擦りながら、答える。
「あるわけないですよ。僕を便利道具かなにかと勘違いしてません?それなら、先にあなたの頭を治してもらいますって」
こんなときに、ワイズの毒舌を聞いていたくはない。
「ないのはわかったわ。レパード、てきとうにどこかで下りるわよ。そうしたら、私が運転を代わるわ」
「いや、お前は運転したことがないだろう」
レパードが冷静に突っ込みながら、自分の口を抑える。全く、洒落にならない。
「それに、もうあと少しだ。ほら……、うっぷ」
指で地面を指した瞬間、吐き気がきたらしく、口を抑え直す。
確かに、レパードの言うとおり、傾いた塔のようなものが見えてきた。だが。
「下を向いたらヤバいんでしょ?着陸できるの?」
「…………」
沈黙で返事が返ってくるのは、止めてほしい。
「ちょっと!なんとか、言いなさい!」
「怒鳴るな!どうにかするから、黙ってろって」
言い返した拍子に、レパードが気持ち悪そうに目を閉じる。
その瞬間、がたんと機体が揺れた。
「げっ」
「今度は何?!」
ばたばたばたばた……と風に機体が煽られる。
「下降するにあたって、風がきているのでしょうが」
確かにワイズの言うとおり、機体はレパードのハンドルにあわせて、徐々に下降しつつある。
問題は、想定外の揺れでレパードが蒼くなっていることだろう。
「やっぱり、私が運転するわ!下りるだけなんでしょう!」
「いえ、それが一番難しいかと」
「なら、ワイズが操縦しなさい!」
「後部座席からどうしろと」
イユとワイズのやり取りを聞いている余裕もないのか、レパードが気持ち悪そうに口を抑えている。
「って、ちょっと前!」
気付いたイユは、思いっきりレパードの持つハンドルを動かした。
間髪入れず、先ほどまでいたところを鳥が飛んでいく。
危なかった。普段ならぶつかって終わりの鳥も、カバーがないせいで容易に凶器と化すからだ。
「あ、おい」
そのとき、レパードの戸惑った声を聞いた。
ぎぎぎ……と、イユは首をハンドルへ動かす。
イユの手元にあるハンドルが、イユが揺れる身体の動きにあわせて揺れている。そこから先、機体とはあからさまに違う動きをしてだ。
イユが自分の席に正しく座り直すべく手を動かすと、そこにあろうことか、ハンドルがくっついてきた。
「……取れてるぞ」
「本当ね」
現状を二人で確認し合う。頭が追い付いてきたところに、すっかり目が覚めた様子のワイズの言葉の波が襲いかかった。
「あなたたち、馬鹿ですか?何、空を飛んでいるときにハンドルを壊しているんですか?自殺志願者ですか?なんなんですか?」
さすがに、今回ばかりは、「ごめんなさい」ではすまない。
「も、脆すぎる飛行船が、悪いのよ!」
「責任転嫁って言葉知ってます?どう考えてもあなたの力に耐えられるハンドルはありませんよ」
「…………おええ」
反論の言葉が思い付かないイユに代わって、レパードが最高に気持ち悪そうな返答をしている。
などと話している間に、がくんと機体が一段下がった。
イユたちの乗っている飛行船に、カバーはついていないのだ。飛ばされまいと、機体にしがみつく。
その三人から逃れるように、機体が暴れだす。下へ、下へ。挙げ句の果てに、ぐるぐると回転しだして、まっ逆さまに。
「これで死んだら、呪い殺しますよ!」
「おええ!」
「もう、いやよ、このおんぼろ飛行船!」
思い思いに叫ぶ三人を引き連れて、白い砂漠の中へと。




