その425 『届かない』
やがて、リュイスだけでなくワイズも眠りについたのを見てとって、レパードが口を開いた。
「それにしても、お前はいいのか、イユ」
意外な確認に、イユはきょとんとする。
「お前の父親が、上にいるんだろ」
サロウを話題に出されるとは思わなかった。苦い顔は隠せないままに、イユは答える。
「私を本気で殺そうとしていたのよ?家族の縁なんて切れているでしょ」
言い切りながらも、モヤモヤとしたものが心のうちに残る。分かっているからだ。サロウは妻の仇だと言っていた。それが、瘡蓋のように張りついて振り落とせない。イユは、どうしたら良かったのか。その答えが、ずっと出せずにいる。
「そう、簡単に切れるものでもないだろ」
「どうかしら」
レパードの言葉の意図は読めなかった。嫌なことを聞いてくれるなと思うばかりだ。
「大体、それをいったら刹那に銃を向けられるの?」
刹那こそ、ついこないだまでいた、セーレの仲間だ。式神だと言われても、未だに納得がいかない。
「向けるさ」
意外にも、レパードは断言してみせた。
「仲間を傷つける奴に、容赦はいらない」
その顔は強ばり、瞳は、過去を振り返るように、暗い光を放った。
その様子をみて、レパードならば確かに撃つのだろうと感じる。レパードから漂う狂気には、人を殺せるだけの凄みがある。
だが、一方で烙印のあったイユを殺せなかった男だ。顔の強ばりようも、かつての仲間を撃つこと、人を殺すことへの忌避からきたもののように感じ取れた。きっと、こんなことを続けていたら、どこかで心が壊れてしまうのだろうなと思わされるほどには、崩れそうな顔なのだ。
「心配いらないわ」
自身の声をなるべく抑えるように意識して、イユは続けた。
「私が先に刹那の首をとるから」
この手は既に汚れている。イユは自分が逃げるために人を殺してきたのだ。今さら、この手でもう数人片付けたところで何も変わらない。
レパードが壊れてしまうぐらいなら、イユの手で片付けた方が良い。そうすれば、歪んでいる自覚はあるが、レパードがどこか遠いところに行ってしまうことはないだろうと思えた。
「強がるなよ、餓鬼なんだから」
「別に」
悟ったような言い方は狡いと思う。イユは、あくまでむっとしたまま、それ以上はなにも言わなかった。
否、言えなかった。
始めに聞こえたそれは、風の音だった。
はっとして見上げたイユと、がばっと起き上がったリュイスのタイミングが全く同じだった。
「どうした?」
イユとリュイスが顔を見合わせているのをみて、レパードが疑問の声を挟む。
「外です」
先に気付いたリュイスが声をあげた。
遅れて、イユも気がつく。
「これ、飛行船の飛ぶ音だわ」
イユは、周囲を見回す。この階の外壁は崩れていない。イユが外壁の崩れに気付いたのは、下の階段で、だ。それに気付いてから、立ち上がった。
「見てくるわ」
「あ、おい」
レパードの返事は聞かなかった。下り階段に駆け込むと、すぐに日が射している場所まで飛び付く。崩れた外壁に身を投げると、熱気が顔に飛び込んできた。
同時に飛び込む光を予想して目を閉じたが、ギラつくそれはやってこない。
「……?」
不思議に思って、目を開けたところで気がついた。影になっている。傾いたこの塔が、強烈な太陽の光から守るように、影を作っていたのだ。
だから、一歩踏み出せば砂漠へと落ちるこの場所から見上げても、眩しくて何も分からないということはなかった。
塔の影からイユが見たのは、銀色に光る飛行船だった。セーレほど大きいものではない。数人乗り込んだらいっぱいになるだろうと思われる小型のものだ。
それが、塔の上空から飛び立った。
「イユ!」
イユのすぐ隣にリュイスが滑り込んでくる。あれだけ衰弱していたのに、たった数分休んだだけで駆け込んでこられるリュイスには脱帽だ。きっと、瓦礫を崩すことも、リュイスであれば本当にできたことなのだろうと思わされた。
だが、この状況を見ている時点で、既にもう不要になった行動だ。
「そんな……」
飛んでいく飛行船を見送って、リュイスが絶望的な声を上げた。
あの飛行船にまさか『魔術師』が乗っていないなんてことは、状況からいって、限りなくあり得ない。そして、そこに『魔術師』の目的だったという、シズリナが連れ込まれているだろうことは、ほぼ確実と言って良いだろう。つまり、ここに残された時点で、イユたちは『魔術師』を逃がしてしまったのだ。
そのとき、銀色の飛行船を追うように、飛び込んだ影があった。
「あっ!」
リュイスもそれに気付いたように、声を発する。
「ビスケ、待ってください!」
シズリナとともにいた飛竜を指して、そう叫んだ。
しかし、最上階近くから飛び込んだ飛竜に、かたや地面に近いリュイスの声は届かない。それに、届いたとしても、主を乗せて去っていく飛行船を追いかけないという選択肢は、あの飛竜にはなかっただろう。
飛行船が小さくなっていくその姿を追って、飛竜は空を駆けていった。




