その422 『惨状』
ワイズが杖を振り、魔術がリュイスの身体に降りかかる。
その様子を見送ったイユは、リュイスの指が僅かに痙攣しているのを見てとった。
「……クソっ」
悔しそうなレパードの声が、耳に届く。
イユもまた、きゅっと自分の手を握りしめる。
まさかと、思った。『魔術師』はリュイスを必要としたから攫ったはずなのだ。それなのに、何故、リュイスはこんなボロボロの状態になっているのかと。殺してしまったら彼らの目的は達成できないことになる。それとも、もうリュイスの役目は終わったということなのだろうか。
やるせず、とりあえずとリュイスの髪についた赤いものを拭いてやる。それぐらいなら、イユでもできるはずだ。
「レ、パードも……」
「よせ、話すと傷に障る」
無理に声を絞り出そうとするリュイスを、レパードは制す。レパードの顔は血の気を失っていて、その手はぷるぷると震えていた。
「どう、して、こ、こに……」
レパードが制した声が聞こえていないのか、気になって仕方がないのか、リュイスは言葉を紡ぐのを止めない。
「助けに来たのよ」
きっと強情なリュイスのことだ。答えてやらないと納得しないだろうと思って、イユは速やかに答えを告げる。
ふっと、それを聞いたリュイスの眦が、和らいだ気がした。イユたちが助けにこないとでも思っていたのだろうか、それとも極限の状態からやっと安心する言葉が聞けたからなのだろうか。その真意を問いただすことはしないが、いつものリュイスらしさが垣間見えた気がしてほっとする。
怪我だらけの有様でも、生きていて、リュイスらしさを感じられることが、ありがたかった。
「さて、最低限の応急処置は施しましたが……、刺し傷に、何度も殴られたような形跡、背中には擦ったような跡。それに、何かにぶつかったように肩と左半身を強く殴打していますね。これはひょっとして、どこかから落ちたのでしょうか?よく折れていませんね。そのうえに、見るからにわかる衰弱、脱水症状。なんで意識があるんでしょうか?」
ワイズが並べる症状を聞けば、イユもレパードも蒼白になる。
「やらないと、いけないことが……、ありまし、て」
掠れ掠れの声に、ワイズは眉間に皺を寄せた。
「ついでに、口?いえ、舌も切っていませんか?」
普通に起き上がろうとするリュイスに、イユたちは慌てて止めようとする。とにかく、リュイスを休ませないといけない状態なのは、ワイズの話を聞いて十分に分かった。
「そうかもしれません……。ですが、あなたのおかげでだいぶ、楽です」
「ありがとうございます」とこういうときまで礼をいうリュイスに、イユは、ついありがたいと感じた自分の感想を取り消したくなった。リュイスらしさなど、この死にそうな大怪我の前にはいらない。頼むから、礼を言っている余裕があるぐらいなら、休んでほしい。
「すみません。よければ、水を、いただけませんか……?」
飲み物も十分に与えられていなかったのだと気づいたのは、その言葉でだ。確かに、ワイズも脱水症状がどうのと言っていた。
大慌てでレパードが持ってきた鞄を漁る。それをみたワイズが、
「飲ませるのは、僕が持ってきた水です」
と声をかける。ワイズが持ってきた水というのは、塩と砂糖が混ぜられた特別な水だ。イユたちも、ワイズが準備する様子は確認している。毒を用意される可能性があると思うと反対するだろうといって、ワイズ自身が自分を見張るように提案したのだ。
取り出した水を、リュイスが僅かに口につける。水筒を持ち上げるのも一苦労な様子だ。それでも、少しずつ、少しずつ摂取していく。
それをみていたイユは、思わず聞いてしまった。
「命に別状はないのよね……?」
「えぇ、傷口は塞いでありますし、元々丈夫なのもありますから、休めば治るはずです。危なかったのは、脱水症状ですが、そのために念のため持ってきたわけですから、きっとどうにかなるでしょう」
ほっとしたイユは、答えるワイズの顔色が、非常に悪いことに気が付く。まるでリュイスの怪我を吸い取ったように、蒼白なのだ。
「ありがとうな。まず、お前も休め。リュイスより先に倒れそうだ」
レパードも同じように気が付いたのだろう。ワイズにそう声を掛けた。
「不本意ですが、そうさせてもらいます」
大人しくリュイスの隣に座りこむあたり、負担があったのだろう。寿命の話が、イユの頭に浮かんだ。こうして魔術で治療を繰り返す行為は、果たしてワイズの体にとってよいのだろうか。治療をするたび、顔色が悪くなっていくワイズをみていれば、大体のことは予測できる。まずもって、よくはないはずだ。
だが、そうであっても、リュイスの怪我を治さないという選択肢はない。無理をさせていることは分かったが、背に腹は代えられない。
「私からも礼を言わせてもらうわ」
素直に礼を言えば、あり得ないものを見る目で、こちらを見られた。
「気色悪いですね」
「失礼よ!」
どうしてレパードが礼を言っても何も言わないのに、イユが礼を言うとそういう反応になるのか、納得がいかない。とはいえ、口が悪いところをみると、意外と元気そうである。そう、結論づける。
「ありが、とうございます」
水を返したリュイスが、立ち上がろうとしてよろめいた。それを見たレパードが、血相を変える。
「おい、無理するなって。どうみても衰弱しているだろ」
しかし、リュイスは何を急いているのか、止めようとしたレパードの手を振りほどこうとする。
そんな様子をみてか、ワイズが冷ややかに告げた。
「ここにも馬鹿が一人……。あなたたち、セーレの人間のなかにまともな人はいないんですか?」
そんなに無茶をした覚えはないのだが、何故かワイズの視線がイユにまで突き刺さる。
「あの……、そういえば、あなたは……」
今頃気が付いたわけではないだろう。リュイスが、言及されてようやく、ワイズという人間に注意を向けた。
「今頃ですか」
「えっと、……すみません」
ワイズはやれやれと、肩を竦めた。「今までで一番救いようがないですね」などと、毒を吐いている。それから、あくまでさらっと、自己紹介をしてみせた。
「どうも。ワイズ・アイリオールです。姉さんがお世話になっています」
さしものリュイスも、青白い顔に困惑を浮かべる。相手が、ブライトと同じ姓を名乗り、姉が世話になっているなどというのだ。姉とやらが誰を指すのかは、すぐに分かったのだろう。だからこその困惑顔だった。
「お前が攫われた後に、現れたんだ。『魔術師』だし、あのブライトの弟だが、何故か助っ人だ」
レパードの説明を受けても、頭が回っていないのか、困惑した表情は崩れない。最も、イユが同じ立場なら、「はぁ?!」と声を挙げていただろう。それぐらい、レパードの事実だけを並べた文言は、意味不明だ。
「えっと、僕はリュイスです。よろしく、お願いします」
それでも、きちんと名前を告げるあたりは、いかにもリュイスらしい。あくまでブライトとは別の人物、そう割り切ったようにも見えた。今のリュイスの怪我が、『魔術師』に由来するものだと想像できるだけに、その切り替えは、リュイスのようなお人好しにしかできない考え方だと、感心してしまう。イユならば、絶対に引きずるからだ。
「レパード、イユ。それにワイズさん」
そんなリュイスが、急にイユたちの顔を眺める。何か大切なことを言わんとしていると気が付いた。
「ワイズで結構です」
「えっと……、はい、ワイズ」
律儀にリュイスが言い直し、それから、はっきりと言い放つ。その声音には、一切の躊躇いが感じられない。
「実は、急を要する事態でして。上に戻りたいんです」
その場の空気が、リュイスの言葉に、がらりと変わった。




