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カルタータ  作者: 希矢
第八章 『手繰り寄せて』
420/995

その420 『希望を絶つ影』

 

「お前も、まだ動けるだろう」


 シズリナの声は、リュイスには水の中で聞いた声のようにぼやけて聞こえた。そもそも、リュイスにはもう、意識のようなものは殆ど残っていなかった。惰性で動くだけの、人形と変わりない。シズリナを助けるために、サロウの猛攻を防いだことで、体力は完全に擦り切れてしまった。

 だから、まだ動けると言われたら、そんなはずはないと返したかった。

 しかし、恐らくシズリナという人間は、誰よりも高潔でそれ故に誰よりも厳しい女なのだろう。


「飛べっ!」


 叫び声とともに、リュイスの身体が引っ張られ、押しやられる。

 そして、リュイスの身体がたった今いた床から離れ、宙を舞った。

 リュイスの瞳が、驚愕に見開かれる。突き落とされたことではない。階段にはまだ、シズリナの姿があって、リュイスのことを見下ろしていたからだ。ぼやけていたはずの視界は、今はっきりと、シズリナの姿だけを直視できていた。

 だからこそ、疑問に思うのだ。

 何故、シズリナがまだ、そこにいるのかと。そのすぐ後ろでは、刹那が追ってきているというのに。

 落ちていく感覚に、遠ざかるシズリナに、無意識に手を伸ばす。届かないと分かって、しかし、その場に居残ることを選んだシズリナに、ぼんやりとしている場合ではなくなった。落下速度に合わせるように、疑問の声が、浮かんでは消えていく。

 どうして、仇である自分を助けようとするのか。何故、シズリナだけが残らなくてはならないのか。

 最も、答えはわかっている。あのまま逃げていても二人とも捕まるからだ。二人ともが落ちても、リュイスの翼はシズリナを乗せられるほど、大きくもない。

 だがそれならば、シズリナだけが逃げればよかったのだ。『魔術師』の狙いは、シズリナだ。彼女が逃げれば、『魔術師』の目的を阻むことになる。記憶を覗かれる危険ならば、どちらも同じなのだ。リュイスは何より、彼女に自分と同じ目にあってほしくなかった。というよりも、これ以上誰も、あんな目にあってほしくなかった。記憶を覗かれたとき、イユのことが頭に浮かんだ。人が人を、人でないもののように扱う恐怖を、少女たちに味あわせるのは間違いだと、思うのだ。

 だから、シズリナを助けなくてはならなかった。遠ざかる景色のなか、その考えにようやく至った。

 リュイスは、自分のためには頑張れなくとも、誰かのためになら、頑張ることのできる人間だ。リュイスの原動力は、皆のいう『優しさ』である。それは決して美化されるものではない。お人好しであることで、逆に仲間に迷惑をかけることもある。苦労をしょい込むこともあり、自分が生きることで精一杯だった周囲からしてみれば、到底理解されにくい価値観だ。

 だが、そういう人間だからこそ、惰性でしか動かなかったはずの体は、動くための理由を得るに至った。

 リュイスの背中に、透けた翼が生えていく。それはやがて形となって、『龍族』の翼ならではの骨格を作り出す。同時に、風が、これ以上の落下を防ごうと、渦巻く。ふわりと、全身を受け止めた風が、今度は上昇気流と転じる。

 その頃には豆粒のように小さくなっていたシズリナに向かって、叫んだ。


「あなたも逃げるために動いてください、シズリナさん!」


 きっと、声は届かなかった。必死に叫んだつもりでも、リュイスの今の声量では、塔の上方にいるシズリナに届くとは思えなかったからだ。


 だから、リュイスの言葉を伝えるためには、上空へ上がるしかない。


 一階目の大穴を飛びぬけ、二階へ。さらに、上へと上がろうとしたところで、こつんと、左頬に何かが当たった。それぐらいでは、リュイスの動きは止まらない。

 思わず動きを止めてしまったのは、リュイスをすっぽりと、影が覆ったからだ。


「えっ……」


 それは、あまりに大きな瓦礫だった。ぶつかれば怪我ではすまないとわかる瓦礫――、天井の一部を崩したと思われるそれが、リュイスに向かって降ってきたのだ。

 思わず避けたが、降ってきたのは一つではすまなかった。衝撃を肩に感じ、体が吹き飛ぶ。その間にも、リュイスのすぐ上空で、瓦礫が大穴を埋めていく。あっという間に、シズリナの姿は見えなくなり、光を通さない天井が、無情にリュイスを見上げるに至る。

 ブライトだ。これだけの瓦礫、壁を崩さなくては落ちてこない。ブライトの魔術が、引き起こしたのだ。

 風の魔法で、瓦礫を切り刻もうとして、意識が掠れる。ふらりとよろめいたリュイスは、いつの間にか、床へと叩きつけられていた。腕からは血が流れ、立ち上がろうとして口からも赤いモノが零れる。翼を出そうとしたが、叶わなかった。それすらできないほどに、疲弊している自分自身を感じる。

「う、ご……」

 せめて、動かなければいけない。まだ、動けるはずなのだ。何故ならリュイスは、シズリナを助けていない。

 しかし、立ち上がろうとしたところで、腕の力が抜けた。ゴホゴホっと、むせながら、再び滲む視界に、痛みが遠ざかるのを感じる。

 ここまでだとは思いたくなかった。だが、身体が言うことを聞かない。ただ、悔しかった。ここまできて、何もできない自分が情けない。

「リュイス?」

 幻聴だろうか。

 そのとき、あり得ない声がリュイスの耳に届いた。


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