その42 『イニシア』
それから少し歩いていると、人気が増していく。気付けば周囲には見慣れない人たちばかりおり、あっという間に前方にいたはずの船員たちの姿を見失った。皆、街に溶け込んだのだ。
そのうち柑子色の屋根の家が見えてきた。鮮やかな橙の掛布が目を引く木組みの屋台も立ち並ぶ。活気のよい声が聞こえてくる。
ちらちらと視線を動かすイユに気づいたのか、リュイスが、
「露店が出ているのでしょう」
と説明する。
「人の数が多いわね」
返すと、きょとんとした顔を向けられる。リュイスに共感を求めるのは間違いだと気づき、胸の内だけで驚きを噛みしめることにした。
人がこうも群れることができるものだとは、知らなかった。寒空の下で遠目に眺めて見つけられる人々は、多くても両手で数え切れるぐらいだったものだ。
改めて見回すと、商品を陳列している棚の前に立ち商人たちが声を張り上げている。そこでは複数の客が集い、売り物を眺めている。右にも左にもそうした集まりがあって、通路をいっぱいにしていた。ぼんやりみていると、人の肩にぶつかる。
「すみません」
と声を掛けられるが、そのときには相手は後方の人だかりに溶け込んでいる。
振り戻ったそこにも人ばかりがいて、息が詰まりそうになる。人混みを無理矢理に縫い進みながら、レパードにただただ引っ張られていくだけで精一杯になった。
「いらっしゃい! さぁ、見ていってくれよ!」
「美味しいリンゴだよ、今朝とれたばかりさ。一個十五ゴールドだよ!」
あちらこちらで人が声を張り上げている。その声にまた人が殺到し、それに応えるように更に声を張り上げる。知らない世界の風に煽られて、段々くらくらとしてきた。
「こっちだ」
レパードの声に引っ張られるままに、一軒の家へと入っていく。レイヴィートではついに入ることのなかった家だが、感慨に浸る暇も怖気づく暇もない。
扉が鈍い音を立てて、レパード共々イユを招き入れる。いつの間にか息を止めていたようで、苦しさに解放された感覚がある。落ち着こうと深くため息を吐いたときだった。
「いらっしゃい、何か御入用かい?」
男の声に振り仰いだその先が、イユにはきらきらと光って見えたのだ。吐いていた息をたまらず呑み込む。
光の正体はショーケースに並べられたいくつもの石だ。どれも魔法石なのだろう。天井の明かりを受けて眩しく輝いている。赤に黄色、水色に翠。火を灯す魔法石が赤色ならば、水を生み出す魔法石は水色をしている。黄色や翠がどういった効果をもたらすのかは、よく分からない。
ショーケースのある棚は同時にカウンターになっていた。そこに四十代ぐらいの男が立っている。柔和な笑みが人の好さそうな印象を与える。
その男に近づきながら、ふと自身の胸にある不思議な感情に戸惑う。眩しいものをみるような、それでいてどこか恋しいような感情だ。昔感じたことのある感情だが、それが何かは今でもよくわからないままだ。
「飛行石が欲しい。いくつある?」
レパードの質問を受けて、男がショーケースを覗き込む。数を数える呟き声が、漏れている。
振り仰ぐと、レパードが懐から袋を取り出そうとしているところだった。
「イユさん」
男に聞こえないようにだろう、小声でリュイスから呼ばれる。声を出そうとしたイユの目に、首を横に振るリュイスが映った。
そのリュイスの視線がイユから外れる。レパードとリュイスの視線が合い、リュイスが僅かに頷く動作をする。
レパードがイユの手を離した感覚と、その無言のやりとりにイユは悟る。交代ということらしい。
手を離したレパードは一人、男に近づく。
「八、九、十……十一だ。今あるのは十一個だよ」
リュイスと並んで大人しく待つ。察するに、飛行石の調達をしているところだろう。見ておけば何かと役に立つかもしれないと考える。
「随分少ないな」
「悪いね。数刻前に、魔術師を乗せた船の方々が買い漁っていってしまったんだ」
「魔術師?」
まさかの言葉に反応してしまって、その場にいた全員の注目を浴びる。
特に、レパードだ。その目が、余計な事を言うなと言っている。
「お嬢ちゃん、魔術師に興味があるのかい」
何も言わずに黙っていようかとも思ったが、それもそれでまずいだろう。とりあえず、相槌を打つ。
「えぇ、まぁ」
「それならチャンスだよ。今、ダンタリオンにいらしているはずだから」
「ダンタリオン……?」
リュイスが、男には見えないようにそっと腕を小突いた。察するに不味いことを聞いたかもしれない。
「まさか、知らないのかい?」
男が驚いてレパードを見る。
「イニシアには観光にきたんだろう? それとも商売でもしにきたのかい? いや、それにしたって……」
続けようとする男を、レパードが遮って謝罪する。
「い、いや、不勉強で……、申し訳ない」
理解がついていかず首を傾げていると、男から返答がある。
「この街にはね。高い塔みたいな図書館があるんだ。そこをダンタリオンって呼ぶんだよ」
草原を下る時に見た巨塔を思い出す。地図にも描かれていた塔だ。
ひとまず、勉強になったと言わんばかりの顔をして頷いておく。
「そこにいるのね?」
「いらっしゃる、だ」
近寄ると不味い場所だ。覚えておこう。
そう思って確認を取ったところを、レパードに訂正された。
魔術師相手に敬語を使わなくてはならないことへの反感とともに、レパードを軽く睨みつけることにする。
「あぁ、そうだよ。しかも今いらしているのはシェイレスタの天才魔術師らしい」
シェイレスタ。その言葉を聞いたことがあるような気がするが、思い出せないでいると、
「国の名前ですよ」
耳元でリュイスに囁かれた。それで、インセートという街がイクシウスとシェイレスタの狭間にあると言っていたことを思い出す。
「天才魔術師?」
レパードが質問したことで、男の視線がレパードに移る。ほっと息をついた。怪しまれずにはすんだはずだと、自身を納得させる。
「えぇ。なんでも素晴らしい才能の持ち主の方みたいで。羨ましい限りですわ。うちのボンクラ息子なんて魔術の魔の字も覚えられなくてねぇ」
息子を魔術師にしたかったのだろうかと、耳を疑いたくなった。良心の欠片もない人間になるだろうにと言いたくなったが、口を噤む。憐れなことに、男は何も知らないのだろう。
「皆、そんなものだ。それより、飛行石全部貰いたいんだがいいか?」
「あぁ、はい。一個おまけしておくから千ゴールドでいいよ」
レパードの驚いた顔は作り物ではなさそうだ。コインを渡す様子をイユは観察する。
「いいのか」
男は笑いながら、袋に詰めた飛行石を差し出している。
「構わないよ。家族連れなんて珍しいからねぇ。せっかくイニシアに来たのだからダンタリオンに行ってみるといいよ」
何故か表情が固いままのレパードと一緒に、店の外へと出た。
通りの人の数は、少し減っていた。人の波に潰されずにすみそうだ。
「家族、ねぇ……」
「何かあったの」
あまりにも落ち込んでみえたので聞いてみる。レパードにしては、珍しいほどの落胆ぶりだ。
「いや……」
レパードは、自身の帽子をくしゃりと潰した。
その後、小声で自問するのをイユの耳は逃さない。
「俺、こんなでっかい子供がいるような年にみえるのか……」
今度から気に入らないことを言われたら外見年齢の話を持ち出してやろうと心に決めた。
立て続けに二、三軒の店に入ったが、飛行石はどこも完売だった。どの店も一つの飛行船に買い占められてしまっていたのだ。
「例の天才魔術師とやらを乗せた船は一体どれだけ大規模なんだよ……」
歩き続けて疲れのたまった一行は、噴水広場のベンチに座っている。リュイスだけ距離を保つべく立った状態だ。
「最初の十一個が手に入っただけでも運がよかったです」
ついでに他の飛行船の事情についてもリュイスが聞き込みをしていたが、出航の予定はないらしい。飛行石が乏しくて出るに出られない状況なのだそうだ。
他の飛行船に頼みこんで分けてもらうこともできないと嘆くのはレパードで、このままではこの街に取り残されてしまうと焦っているのはイユだ。
「飛行石って自分たちで調達できないの」
「ここでは無理だな。恐らく魔術師が管理下に置いている。魔術師の管理していない他の島に行って調達っていうのも手だが、地理には詳しくないしな」
詳しかったら困ると言いたくなった。このままの状態で置いていかれると、イユにこの島を脱出する手立てはない。レイヴィートとは状況が違うので人混みに溶け込むことも可能かと考えるが、いざ生活していけと言われるとどうしてよいかよくわからなかった。大量に飛行石を積んだ天才魔術師の飛行船に乗り込むという手もあるが、相手が『反応石』を持っている可能性がある以上避けたい。
焦燥のあまり無意識に髪をいじるイユの前で、丸々と太った鳥――――鳩というらしい――――、が、地面に落ちている餌を啄む。
随分平和に見える場所でこうして悩んでいる自分自身が酷く場違いでみすぼらしくみえた。
羊に鳩に街を生きる人々が何故こうも自身と違うのだろうと、問い詰めたくなる衝動に駆られる。目の前にいる鳩になれたら、落ちている餌を探すだけで生き延びられる。単純明快なのだ。
かたやイユは生きるために考えることを放棄するわけにはいかない。
そして、悩んでいるにも関わらず最善策が見つからない。
「仕方ない。とりあえず先に宿をとるか」
休憩は終わりらしい。
レパードが立ち上がるので、しぶしぶ考えるのをやめて後に続く。
その動作に驚いた鳩たちが一羽残らず空へと飛び去った。




