その419 『復讐の答え』
階段を駆け下りる。息を切らせながらも、声を張る。それでようやく、言葉になった。
「あなたの飛竜は……」
「ビスケは空から脱した。ビスケだけならまだ空を飛べるからな」
気づかなかったが、最上階から外にでる出口もあったのだろう。シズリナはそこからビスケとともにやってきたのかもしれない。しかし、今のビスケにはシズリナを乗せて飛ぶ力は残っていないのだろう。だから、ビスケだけ先に脱したようだ。
必要なことを確認し終わると、リュイスはすぐに振り返り、視界に見えた天井に向かって、風の魔法を放った。
崩れていく天井の一部が、階段の入り口を埋めていく。隙間から、ブライトの赤い瞳が覗いた気がしたが、すぐに隠れた。
これで、暫くは追ってこられないはずである。
しかし、油断はできない。ブライトが魔術を使えば、この程度の障害など問題にならないだろう。それに加えて、サロウは魔法で吹き飛ばしただけだ。すぐに持ち直すのが目に見えている。克望に解毒剤を飲ませたら、刹那も追いかけてくるかもしれない。ブライトが障害を取り除き、後の二人が追いかけたら、あっという間に追いつかれる。だから、少しでも距離を離さなくてはならなかった。
それなのに、リュイスは、腰にさした剣の異様な重さを感じている。
段差に躓きそうになりながらも、足を動かせば、階下の様子が見えてきた。半分以上崩れた床の先で、下り階段が覗いている。そこに、下の階にあたる床も垣間見えて、塔の構造を把握する。
細長い塔だ。階段は、螺旋状。そして、螺旋階段をある程度下りると床が見えるが、どれも崩壊寸前らしく、その殆どが崩れている。その崩壊ぶりをみるに、崩れた床から飛び降りてしまえば、恐らくは一階まで行き着く。
翼が使えたらそれも手だったが、シズリナがいる今、その選択肢はない。
足を早めるリュイスに、今度はシズリナから声が掛かる。
「何故、私を助けた」
耳が馬鹿になってきているせいで、周囲の音が聞き取りにくい。それなのに、シズリナの声だけは鮮明に頭に入った。
「お前は私にとって仇だ。それを知っているだろう」
「あなたこそ、武器を渡してくれました」
返せば、シズリナはむっつりと黙りこんだ。階段を数段下りて尚、返事はこない。
リュイスは、段々むかむかしてくる胃を無理やり抑え込んで、言いたいことを続ける。
「おかげで助かりました。ありがとうございます」
リュイスを先導する背中は、やはり黙ったままだった。それが、暫くして破られる。
「……正直、見捨てようとした」
吐露した言葉をきっかけに、シズリナの言葉が紡がれていく。
「お前は、カルタータの皆の仇。絶対に破ってはいけない障壁を破った、張本人だ。私はあの日のことを、忘れない」
はっきりと伝わる憎しみに、リュイスはしかし、答えることができない。よろけた体が、シズリナにぶつかりかけたのを感じて、慌てて足に力を入れる。
そんな様子をみてか、シズリナの声が降りかかった。
「見る限りボロボロだが、動けるのか?」
実を言うと、口を動かすのも億劫だ。体は鉛のように重く、自分がどこに向かって歩いているのかも段々分からなくなってきた。無理をしすぎたのだ。元々、シズリナが来るまで、ぴくりとも動かなかった身体だ。それなのに、助けようとして動かないはずの身体を動かしていたのだから、どちらかというと、動いていることがおかしい。
だが、ここで無理をしなくては、『魔術師』に捕まってしまうのは目に見えている。
「視界は明滅していますが……、風の魔法である程度は読めるので、それでどうにか」
言いながらも足を踏み外しかけたリュイスを見てか、シズリナは「それはどうにかとはいわない」と呆れたような声を発する。
「分かっていないなら言うが、この速度なら間違いなく追いつかれるぞ」
リュイス自身は懸命に逃げているつもりだったのだが、シズリナの方が現実は見えていた。今、自分自身が正常な考えのできる状態でないことは分かっていたので、特に反論はしない。
「それなら……、置いていってください。あなただけなら、逃げられる、はずです」
意外なことに、シズリナの声があからさまに不機嫌になった。
「馬鹿なことを。お前が捕まったのは、私を誘き出すためだ。お前だけ置いて逃げて何になる?」
リュイスは答えなかった。答えられるだけの体力が、残っていない。足だけはどうにか、惰性のように、動かしている。そんなリュイスの行き先を決めているのは、先導するシズリナだ。
「あの連中のやり方を見るに、次に捕まればお前の命はないだろう。いや、あいつらのやり方なら、心だな。お前はただの人形にされる」
シズリナは、吐き捨てた。
「カルタータを襲った『龍族』と同じだ」
相槌も、反論もしないリュイスに気にした様子もみせず、シズリナは続ける。
「それなら、死んだ方がましだろう」
シズリナが太ももから何かを抜き取った。
「……私が本来するべきことは、お前を殺すことで仇を取って、『魔術師』たちから逃れることだからな」
シズリナが抜き取ったのは、クナイだった。迷いなく、それを構えてみせる。手首をくいっと動かすだけで、リュイスの白い喉元に刺さるだろう。この至近距離でなら、まず外さない。シズリナがクナイを手にしたことにすら気付かないので、リュイスは逃げられないだろう。
だからそれで、一つの面倒ごとが片付く。
振り返ったシズリナの目に、翠色の髪と、虚ろな瞳が目に入る。それが、シズリナのいう、仇討ちが終わる瞬間だった。
そして、クナイは、投擲された。目的のものに向かって、過たず、真っ直ぐに――――――。
翠色の髪を反れて、その後ろでナイフを投擲しようとしていた白銀の髪の少女へと迫った。
「くっ!」
白銀の少女、刹那が、瞬間的に身を捩って、クナイを避け切る。予想外だったのだろう、刹那にしては後退するように仰け反ったその動きが、大きい。
「毒、私には、効かない」
それでも、言葉だけはと反論する刹那。
一方、シズリナもただ強がっているだけではないと知って、声を張る。
「私が克望に投げたクナイは、実は毒入りではない」
ぴくりと、刹那の動きが固まる。そんなはずはないと、彼女の声が否定しようとする。その前に、シズリナが声をあげた。
「『龍の因子』だ。『龍族』には効かないらしいがな。それは果たして、毒の効かない式神にも有効か、試す価値はあるだろう」
シズリナが更にクナイを投げつける。刹那の顔は相変わらずの無表情だが、掠っただけで致命傷になることを恐れてか、大きく避けた。
あまりにも人間らしい動揺に、やはり克望が使役する、ただの式神ではないと、直感する。それから、腕をつかんだまま止まっていた少年へと、声を掛けた。




