その416 『共闘』
刃と刃のぶつけ合う音が、響く。キンと響いたその音は、乾いた空気ごと相手を切り刻まんと、そこにとどまった。
そこから逃げ出すように転がったのは、先ほどまでリュイスを照らしていた魔法石の明かりだ。誰もいない土気色の床を、意味もなく照らしている。
勢いを殺しきれずに、シズリナの足が下がる。しかし、そこには鉄格子の冷たい感触がある。場所が悪かった。
だが、位置取りを誤ったことへの反省の時間は、与えられていない。そこに、再びナイフをかざした刹那が、突っ込んできたからだ。彼女の蒼色の瞳が闇夜に驚くほど映えていた。
「くっ」
何とか受けたシズリナだが、子供と侮れない刃の重みに、くぐもった声をあげる。受けた腕がじんと痺れる。押しきられるのは時間の問題だ。
故に、悩んでいる時間はない。相手の勢いを殺さないうちに、シズリナはすっとナイフの角度を変えた。するりと、相手の刃を滑らせる。
若干、反応の遅れた刹那が、つんのめる。
自然、刹那と交代するように前へと躍り出たシズリナは、隙をみせた刹那に斬りつけようとした。だが、そのときにはもう、刹那の蒼の瞳がシズリナを捉えているのをみて、息を呑む。
すぐに切り替えて、横に飛んだ。
そのとき、銀色に光る何かが、走った。
シズリナの髪の一束が、地面へと散乱する。刹那が投げたクナイが、刈り取ったのだ。
ひやりと、シズリナの背を汗が伝った。横に飛ばずに、斬りつけようとしていたら、今頃斬られていたのは、髪ではなく、首だ。
シズリナは刹那のナイフを受け流したつもりでいたが、実は受け流したつもりになるように仕向けられていたのである。
くるりと身体を捻った刹那が、そのままシズリナに突っ込んでくる。きらりと光る刃は、瞬きをしたのなら次の瞬間には喉元に突きつけられていると分かる猛攻だ。
どうにか受けられたのは、殆ど反射に近い。相手の動きを捉えることも満足にできず、ただ反応だけの所作だった。同時に、腕にまで響く痛みが、相手の腕力を物語る。
ここまで防戦一方では、嫌でも悟らされる。技量、速度、力。全てにおいて、刹那が一歩上をいっている。せめてここに相棒の飛竜がいたら良かったが、今は空の上に逃がしている。それどころか、仲間の存在に期待できるのは、刹那の方である。克望は、完全に野放しになっているのだ。
ここで魔術を使われたら、絶対に捕まってしまう。それが分かっているのに、克望に構う余裕がない。
誰よりも、その危険をシズリナ自身が理解しているからこそ、ナイフ捌きに焦りがでた。注意散漫になったそこに、当然、付け入らない刹那ではない。
「つっ!」
浅いが、避け損ねたシズリナの左腕に傷が入る。痛みに細めた目が、それでも活路を探して周囲を探る。そこに、鉄格子が映った。
そこでは、みかねたリュイスが視線でシズリナに訴えている。
「ナイフを!」
寄越せと、その意味に気づいたシズリナが、太ももをさするようにして何かを抜き取った。すかさず、抜き放つ。
暗闇の中をまっすぐに飛んでいくのは、シズリナが日頃所持しているナイフよりは遥かに小さな、クナイだ。
刹那が止めようと手を伸ばしたが、クナイの方が一歩早かった。
刹那の手を逃れたクナイが鉄格子に向かって飛んでいく。狙いは完璧だったのだろう。鉄格子の向こう側から覗く翠の瞳に、きらりと、刃の反射した光が映った。
「愚かな、それでは怪我をするだけ……」
傍観していた克望の声が、止まった。
鉄格子の隙間を縫う形で潜り抜けたクナイが、奥にいるリュイスを過たず、狙う。その瞬間、顎を逸らすように避けたリュイスは、己の歯でそれを受けきってみせたのだ。
すかさず、手錠へとクナイを差し込む。
「貴様、まさか、自力で!」
泡を食ったのは、有り得ない光景を目にした克望だった。克望は、知っていたのだ。シズリナが、毒入りのナイフを愛用していることを。そして、リュイスもまた、その事実を知っていると踏んでいた。だからこそ、まさか毒入りのそれを歯で受けようなどと考えるとは思わなかったし、本当にやってのけるとは夢にも考えなかった。
いくら『龍族』の歯が人間と違うつくりをしていたとしても、非常識にもほどがある。
だが、いつまでも驚いている場合ではない。
リュイスの手錠は、魔法を封じる効果がある。もし、開けられてしまったら、リュイスは魔法が使いたい放題だ。本来であれば、すぐにでも刹那に止めさせたところだが、今の刹那はシズリナから手が離せない。そして、他の式神を呼び出す時間もない。今ここで動けるのは、克望だけだ。
克望は大慌てで、牢へと駆け寄った。
とにかく、この規格外の『龍族』からナイフを奪わないといけない。そのことで、頭の中がいっぱいになった。だから、牢を開けたとき、確実に意識が逸っていた。ブライトであれば、いつでも魔術が使えるよう片手を法陣に当てることで牽制していた。だが、その用心が、今の克望には抜け落ちていたのだ。
次の瞬間、克望の体は後方に飛んだ。
残った力を全てぶつけた。動かないと思っていた身体は、誰かを助けるためなら、まだ動くことができた。
だからとにかく、リュイスは、頭突きを全力でかましたのだ。
それは同時に、リュイスの頭に星が散ることになった。満足に動ける体力は元よりなかったから、全力をぶつけた今、反動があることは覚悟していた。そうと分かっていたから、せめて歯だけは力を抜かなかった。
相手が倒れていることに気づいたのは、視界が安定してきてからだ。その前に鈍い音を拾った気はしたが、それが床に頭をぶつける音だとも気付いていなかった。歯に何か圧迫感を感じたが、それもよく分からずにいた。
リュイスは、いつの間にか、地面に打ち倒された克望の、その上に乗しかかる形になっていた。
克望は、反射的にだろう。リュイスを追いやろうと腕を動かしていた。だから、いけなかったのだろう。
克望の腕に、赤い筋が走っている。クナイによってできた傷だと言うことに、遅ればせながら気が付いた。
「克望!」
刹那の声が響く。リュイスが克望を地面に押し倒した音を聞き付けたのだろう。恐らく、刹那の意識が、克望に完全に向いた。
その機会を逃さず、すかさず距離を取ったのはシズリナだ。
リュイスに見る余裕はないし、見たところで暗くて仔細は不明だが、そんな彼女たちの動きが、気配だけで伝わってきた。
「くっ……」
押し殺すような声が、リュイスのすぐ下で聞こえる。再び抵抗すべく振り上げようとした克望の腕が、赤く腫れていた。
それを見た克望自身が、驚愕に目を見開いている。
「私のナイフは猛毒入りだ。お前ならそれを知っているだろう」
シズリナの淡々とした声が、降りかかる。かすり傷でも命取りだと、その声が言っていた。
刹那はシズリナと構え合ったままのようだ。隙を見せたら飛び込んでくるシズリナに、克望を助けに行く余裕がないことが察せられる。形勢逆転の瞬間だった。
「克望を、どうしたら、助けられる?」
刹那の声はいつもの淡々とした口調ではあったが、悩んだ末の発言のように、リュイスには聞き取れた。これで克望のいう人形だとは、いまだに信じられない。刹那の意思がその発言にあるようにしか、感じ取れないのだ。
「よせ、刹那」
絞り出す声は、克望のものだ。言葉を発せさせると、不利になる可能性がある。だから、リュイスは圧し掛かったままの状態でいるのをよいことに、歯のナイフを押し込もうと、力を入れる。
くぐもった悲鳴は、克望の口から洩れたものだ。大の男とはいえ、腕力には覚えがないらしい。それとも、早くもまわりはじめた毒の影響だろうか。必死に抵抗している手が、ぷるぷると震え続けている。
刹那は躊躇するように、続ける。
「どうしたら、毒、治せる?」
正直なところ、リュイスには克望の命を奪うつもりは毛頭ない。だから、交渉ができればよかった。刹那が食いついてくれたのは、願ったりかなったりだ。問題は、克望がそれを止めようとすること、シズリナがどう考えているか分からないことだ。特に、シズリナは、今のリュイスではどうにもならない。
仮にも毒を扱う人間だから、解毒剤は常備してくれているはずだとは推測している。しかし、人を何人も殺めたことのある人間だ。克望の命を助けるつもりはないのではないかと危惧もしていた。
そんな危惧が、全くの杞憂に終わったのは、乱入があったからだ。
「やれやれ。めんどくさいことをしてくれるよね」
聞き慣れた少女の声に、リュイスの額から汗が零れる。近くにいるとは思ったが、今の今まで姿を見せなかったのだ。だから、できればその間に片づけてしまいたかった。




