その407 『トロッコに昇降機』
トロッコは、列車と違い、一両一両がつながっていない。線路を伝って、ゆっくりと決められたルートを辿る。
上には、白色のロープが張られている。それは暗闇のなかでぼんやりと浮かび、トロッコの行く先を指し示すかのようであった。
「……勝手に乗ってよいのか?」
レパードの問いに、ワイズは杖で指差した。
「気になるなら、あそこの詰め所で確認すればよいでしょう」
鉱山の中に、一軒の小屋がある。外にあった建物よりもさらに古びてみえた。それらしい板材を組み合わせた、砂まみれの小屋だ。照明の光がこぼれている。本来窓があるべきところには枠組みしかないため、乳白色の光がとりわけ強い。帽子を被った男のシルエットが、くっきりと小屋の外の地面に映っていた。
「行ってこいってことか」
溜息をつきながら、レパードが男の元へと歩いていく。
いつの間にか使われ慣れているなぁと妙な感心をしながら、イユはレパードを見送る。
少しして、詰め所にたどり着いたレパードと男との会話が、聞こえてきた。
「なぁ。あのトロッコには乗ってもよいのか?」
「……あぁ、勿論それは構わない。だが、分かっていると思うが、貨物が運ばれているトロッコには乗るなよ。最も、乗りようもないと思うが」
相手の男の声は、想像以上に渋かった。外から見る限りは、男が何やら機器をいじっている影しか見えない。だが、その影から感じた印象よりも、ずっと高齢のようだ。
「そうか、それじゃあ遠慮なく乗せてもらう」
「行き先はD区画か?それなら、トロッコがB区画にたどり着いたら、今度は昇降機を探すと良い。D区画は少し空気が薄いからな、気をつけろ」
男の忠告に礼を言って、レパードが戻ってくる。
「良いそうだ」
そうはいうものの、トロッコに近づいたイユは固まった。
「これに、乗るの?」
列車なら座る場所があった。このトロッコは違う。座る場所がないのは勿論、土砂が積まれた後らしく、異様に埃っぽい。それに、こんな窮屈な場所に三人も乗れるのだろうか。そもそも、わかれて乗るべきだろうか。
「まぁ、運搬用ですからね、気乗りはしません」
ワイズもイユの言いたいことを認めるような顔をした。それでも、誰よりも先に乗り込む。
諦めたイユも、ワイズが飛びこんだトロッコに乗り込む。体がすっぽり入った途端、砂ぼこりが舞った。思わずむせてしまう。
そうしてから見回してみて、分かった。このトロッコは、外から見るよりずっと深い。ワイズならば背のびしないと顔が出ないほどだ。
イユが顔を出したところで、レパードが中に入ってくるのが見えた。あらかじめ予想して、目も口も閉じておく。
再び、舞い上がる埃。
ワイズが、嫌そうにむせた。
「二人とも大人しく入れないんですか、それで本当に僕より年上ですか」
と愚痴られる。
「やんちゃな盛りで悪かったな。それで、このままじっとしていればいいのか?」
レパードの言葉に、ワイズの眉間に皺が寄った。
「一々聞かないでください。既に動いているんだから、待っていれば良いだけですよ。止まりたい場所で飛び降りるだけですから、馬鹿でもわかると思いましたが」
「聞いてみただけだよ」とレパードはからかうように言うが、ワイズはあまり取り合うつもりはないようだ。
トロッコに運ばれて、鉱山の中へと潜っていく。砂漠の外と比べて、一段暗い視界の先で、さらに真っ暗な闇がイユたちを迎える。こんな薄暗闇の中を、カンカンという音が変わらず響いていた。
そのせいか、怖いとは思わない。岩壁が時折きらきらと光っているせいもあるだろう。何故か夜空の下に立たされているような解放感すらあった。
「あのきらきらしたものが、魔法石かしら?」
イユの質問に、博識な二人が返す。
「そうだろうな」「そうですよ」
声の重なった二人が、互いに顔を見合わせた。何とも言えない顔である。
「綺麗ね」
そんな二人を無視して、イユは感嘆の吐息をつく。かたかたと揺られるトロッコの中でじっとしているだけで、少しずつ変わっていく岩壁の様子に、目が離せなかった。
「まるで初めて夜空を見る子供の顔ですね」
どこか呆れたように、イユより子供のはずのワイズに、感想を告げられる。
「構わないでしょう?イクシウスでは中々ない経験なのよ」
最も、イユが知らないだけでイクシウスにもシェイレスタのような鉱山はあるのだろう。しかし、ここがイクシウスなら、こんな呑気に星空を拝む余裕はない。吐く息は白く染まり、凍てつく寒さに体は強張る。きっと、奥に行くほど、底冷えするような寒さが増すのだ。そんな厳しい環境が容易に想像できた。
外が砂漠のシェイレスタだから、こうして心地よい涼しさを感じていられる。それならば、少しばかり砂っぽいのさえ我慢すれば、トロッコに揺られて旅をすることは、快適以外の何物でもない。こんな経験は、きっとここでしか味わえないだろう。
「結構、酔いそうだがな」
ぽつりと述べたレパードに、イユは思わず首を傾げる。自分にはない発想だったからだ。
レパードは飛行ボードといい、小型の乗り物に弱いらしい。今も、トロッコから顔を出し、なるべく下を見ないようにしている。何故、日ごろ飛行船では平然とし、自力で空を飛べる人間が、こういうものに弱いのかは、全くの謎だ。
トロッコからの景色に見飽きてきた頃、ようやく道が開けてきた。それと同時に、人の声が聞こえてくる。大勢いるようだ。何かを掘るコツコツという音も、大きくなっていく。
目を凝らしたイユは、開けた道の先で、五人の男たちが壁に向かってつるはしを振り下ろしているのを見つける。イユから背を向けた男たちは全員、灰色の作業着に身を包み、黄色のヘルメットを被っている。彼らの規則正しい動作を見ているうちに、振り下ろされたつるはしからきらきらと光る石が弾くように零れ落ちた。男の一人が飛びつくようにその石を抱え込み、近くに置いてあったトロッコに投げ入れる。
二人に確認しなくても分かった。採掘作業をしているのだろう。こうして見て見ると、何もない壁に向かって延々と掘り続けるというのは、思っていた以上に、果てのない作業にみえる。イユならば、途中で飽きて壁を蹴りつけるかもしれない。
トロッコが男たちの横を、弧を描くように通り過ぎていく。そこで、ワイズに声を掛けられた。
「そろそろ下りますよ」
どうやら、B区画についたらしい。男たちから視線を外したイユは、ワイズの方を振り返り、その背後にあるものに気が付く。それは、櫓だ。鉄骨の重なった、洞窟内にあるとは思えない鉄の高台である。
「分かったわ」
驚いている暇はなかった。先に飛び降りたワイズに慌てて続く。開けた大地へと下り立つと、レパードがその隣で着地するのを感じながらも、再び櫓に目を奪われる。櫓は鋼色の箱を縦に伸ばしたような外観で、扉のような場所から線路が伸びていた。そこに吸い込まれるように、一台のトロッコが入っていく。ガチャンという音とともに、トロッコが櫓へと収まった。櫓はトロッコを収納していたのだ。そう思ったのも束の間、トロッコの姿が扉の向こう側へと掻き消える。
「あれは何?」
「あぁ、トロッコを運ぶための昇降機ですよ」
昇降機ならば、イユは一度見たことがある。ヴェレーナの街で、ヴァーナーとリュイスとともに乗った箱だ。櫓の中には、その昇降機が収まっているらしい。
当時、ヴァーナーが「小型飛行船で十分だよなぁ」と言っていたのを思い出す。確かに、小物の運搬であれば小型飛行船で十分だろう。しかし、トロッコのような大きなものが、飛行船よろしく自由に空を飛んでいたら図体が大きすぎて危ないことこの上ない。だから、昇降機の出番があるのだろう。
櫓の印象から天井を見上げたイユは、そこに何もないことに気が付く。トロッコは上がっていくわけではないらしい。そうなると、トロッコの行き先は……
「地下?」
「珍しく正解です」
イユたちが乗っていたトロッコも、櫓の中に入っていく。その姿を見ながら、空のトロッコが今度は魔法石をたくさん積んで帰ってくるところを想像した。
「それで、俺たちも地下に行く予定のはずだが……」
「トロッコは地下に下りたところで終点です。いくらあなたたちが砂鼠みたいな姿をしていても、一応人間ですからね。トロッコに人が乗っていると、魔法石を積みたい鉱夫たちに迷惑です。きちんと人が乗る昇降機を使いましょう」
ワイズの言葉に、イユは思わず物憂げな眼差しを向ける。
「……心なしか、鉱山に来てからワイズの言動が悪化してきている気がするわ」
今など、完全に子供に言い聞かせるように、馬鹿にしながら話している。大体、砂鼠とはひどい言われようだ。
しかし、「気のせいでしょう」などというワイズには、イユの今の言葉は、あまり響いていないらしい。むしろ、その目は、「イユの無知加減がそうさせるのだ」と冷ややかに告げていた。




