その406 『鉱山の番人』
「許可証の提示をお願いしまふ」
一瞬、どこから声を掛けられたのかときょろきょろと探してしまった。ワイズが先に許可証を差し出したので、気が付く。声を掛けてきた相手が、非常に背の低い人物だったのだ。
「はひ、確かに」
ワイズから受け取った許可証をあらためた人物が、今度はイユの元へとやってくる。高い声だったこともあり、子供だろうかと思ったが、それにしては顔つきに子供らしさがない。皺の刻まれた額に、歯が何本か抜けている口、目が弱いのかどこかぎこちない歩き方。ここまで書くと、老人のようだが、老人でもない。背筋はしっかりしているし、ぼさぼさの金髪に白髪は混じっていなかった。
その人物が、ちらっとイユへ顔を上げる。イユは絶句しかけた。殴られたように男の右目に恐ろしいほど盛り上がったこぶができていたからだ。
「まさか、なくしましたか?あなたならあり得そうですが」
ワイズの冷たい声が掛かって、慌てて鞄の中から許可証を取り出した。
「はひ、確かに」
こわごわ手渡しした許可証を、ごつごつとした手が受け取ってすぐに返す。あらためる速度があまりに早い。慣れているのだろう。
しかし、それ以外の動作は恐ろしいほどにゆったりだった。とにかく、動くこと一つ一つが、辛そうなのだ。
レパードの方へと向かったその人物を、ついちらちらと確認してしまう。
外見からはっきりしているのは、男だということだ。髪は短いし、手足は意外と筋肉質で女らしさを感じない。声は高いと言ったが、それも男の声にしてはという条件付きだ。
「はひ、確かに」
男は、レパードから受け取った許可証を返す。
「はい」と言おうとして「はひ」になっているのだろうことは察せられた。恐らくは歯抜けの口が原因だろう。うまく話せなくなっていると思われる。
「皆しゃま、問題ありません」
ゆっくりと、ワイズの前に戻ってきた男は、そう言って礼をした。
「D区画に行きたいため、まずはトロッコに乗りたいのですが」
ワイズは慣れているらしく、当たり前のように男に声を掛ける。
「かひこまりました。D区画のトロッコへは、こちらへどぞ」
男の口では「D」が「E」なのか「D」なのかいまいち聞き取りづらかったが、恐らくは理解しているのだろうと解釈する。耳まで悪くないよなと少し不安になったところで、片耳が欠けているのが目に入った。
ワイズが男の指示した方向へと歩き出す。
やがて、声の届かない位置まで歩いてから、イユは早速口を開いた。
「今のは……?」
「ただの許可証の確認ですが」
ワイズの淡々とした言い方に、「それはわかるわよ!」と声を荒げる。
「そうじゃなくて、今の人……」
その先を言おうとして、言葉に詰まった。
殴られてこぶができる。耳が欠ける。歯が抜ける。そんなことがあったせいか、髪に白髪が混じっている。それが男の状態だろう。
あまりにも、痛々しすぎる。
「国から派遣されている官吏の一人ですよ」
レパードが「お前と一緒か?」と訊ねた。
「えっ」
先ほどの人物とワイズが一緒と聞いて、イユはまじまじとワイズを見てしまう。
「そうですね。ほぼ同じでしょうね」
と、ワイズが微妙に否定しないのだから、余計にだ。
「どういうこと?」
よくわからないという顔を浮かべるイユに、ワイズは溜息をついた。
「『魔術師』だからといって、全員が全員あなたの知るような存在とは限らないということです」
『魔術師』と言われて、イユは後ろを振り返る。既に曲がりくねった道を進んだ後だったから、男の姿は見えなかった。
ワイズはすたすたと歩いて行ってしまう。代わりに、レパードが小さくイユに捕捉を入れた。イユが、まだ受け入れきれないという顔をしていたせいだろう。
「『魔術師』でもいろいろ事情があるようだな。考えられるのは、後継ぎ問題か『魔術師』同士の足の引っ張り合いで、ここに追いやられたってところか?庶民から『魔術師』になりあがった奴ってことも考えられるが……」
レパードが思いつく考えを挙げているが、レパードが答えているのは、あくまで何故『魔術師』がこんなところにいるかの理由だ。
しかし、イユには、どうしていつもふんぞり返っている『魔術師』が、あんな歯が抜けたような状態で立たされているのかが分からない。そう思ってから、うっすらと気が付いた。答えはレパードの候補の中にある。『魔術師』同士で足を引っ張り合った結果、魔術であのような体にされたという可能性だ。ただの怪我なら、顔見知りのワイズが治しているはずだという予想から、そう導いた。
そこで、イユはレパードのもう一つの候補から、その可能性に気付く、
「一つ、分からないことがあるのだけれど」
ワイズにも聞こえるように、声を少し大きくする。
「『魔術師』は血を重んじるのよね?庶民から『魔術師』に成りあがるなんて可能なの?」
つまり、イユの不安はこういうものだ。一般人から『魔術師』になるべく、魔術を習得した者は、先ほどの男のような扱いを受けるのではないか。
ワイズは、それには答えるつもりがあるらしく、背を向けながらも、返した。
「『準魔術師』としてならば、可能です。実際は殆どいませんがね」
その言葉は聞いたことがある。他でもない、ブライトが『準魔術師』だと言っていた。
確か、「家を継いでいないうちは『準魔術師』。ついでに破門された場合も『魔術師』の位を剥奪されて『準魔術師』になるかな」だったか。
その話をすると、ワイズは頷いて返した。
「その通りです。『準魔術師』は貴族ではありません。だから、領土も与えられないし、政治に口出しすることも本来ならば叶いません。しかしながら、ただいるだけでは話にならないでしょう?彼らにも、役割というものがあります」
それが、官吏です。と言外に言われた気がした。家柄のある貴族たちは、恐らくは自分の一族の仲間を官吏として、街や村に『準魔術師』を派遣する。しかし、破門された、或いは家柄のない『準魔術師』は、こうした鉱山など薄暗い場所に追いやられ、仕事をするのだろう。
「でも仕事をするだけなら、先ほどの人は、ああはならないでしょう?ひょっとして……」
「どんな事情があったのか、察することしかできません。ああなったせいで体よく追い払われたのか、ここにきてああなったのか、それだけの違いでしょうが」
ワイズの言い方はどこか冷たい。
「そんな言い方」
反論するイユに、冷や水が浴びせられた。
「もしあなたが『魔術師』を憎むというのなら、彼のことも憎むべきでしょう。同情などするのがおかしい」
イユは答えられなかった。イユの知っている『魔術師』は、イユの心を踏み潰し、痛めつけ、自由を奪う存在だった。それでいて、銃を向けられようとも、こぞって気にした素振りも見せない、異様な図太さを持っていた。
しかし、先ほどの男も『魔術師』だという。正しくは、『準』がつくが、同じ存在だとは思えなかった。受け入れるには、時間が掛かりそうだ。
「先ほどの人の傷は、治せないの?」
それについては案の定、ワイズは首を横に振った。
「出会った時期が遅すぎます。中途半端に治ってしまって、逆に手がつけられません」
イユは、「そう」と小さく返した。あの男の姿を見て、ふとシェルを思い出してしまった。シェルは包帯をしているが、あの包帯を全て除いたら、きっとあの男と同じような怪我の具合だろう。生きてくれたことは嬉しいが、その事実に胸が痛くなる。
「たとえ憎い相手でも、痛そうな姿は見るに堪えないわ」
導き出した結論を告げたとき、ちょうど視界の先にトロッコと思われる乗り物が映った。インセートで乗ったトロッコ列車とは随分様相が違う。インセートの列車は可愛らしかったが、鉱山にあるトロッコは列車とは呼べる代物ではなく、ただの鉄の箱のようだった。
それでもトロッコだと気づけたのは、線路が続いていたからだ。イクシウスの列車に近いかもしれない。あれにも、線路はあった。
しかし、イクシウスの列車のように大きい訳でもなく、豪奢な部屋があるわけでもない。屋根も、乗りこめるような扉もない、単純な作りの乗り物だ。
改めて、いろいろな種類があるのだなと思った。
「あなたはそういう人でしょうね。さて、トロッコが見えてきましたから、まずは乗りましょうか」




