その402 『サボテン』
「それにしても、暑すぎよ」
飛行船のように地面から離れれば少しでも暑さは和らぐかと思ったが、見込み違いだった。むしろ、太陽に近くなった分、照りつける日の光に、肌が直接焼かれる心地がする。可能ならば、洞窟の中に戻りたい。
「走れば多少はマシになるでしょう。行きましょう、こっちです」
ワイズが向きを変えたのに合わせて、イユも続く。
既に休憩が欲しそうだったレパードも、さすがに暑すぎると思ったのか、大人しく続いた。操縦こそなんとかさまになっているものの、話す余裕は残っていなさそうだ。
イユは、ワイズのすぐ後ろにつきながら、気になっていたことを口にする。
「こんな午後に出るなんて、一番最悪な選択だったんじゃない?」
ワイズは、そんなイユの発言に肯定してみせた。
「本当に、そう思いますよ。ですが、この時間を惜しんで休憩しますと、お茶会第二弾に呼ばれることは想像に難くないですので」
「それは……、確かにお断りだわ」
美味しい食べ物はともかく、精神的に疲れるのだ。ジェシカが暗示を使えないと分かったからまだ良いが、気を張りすぎてまいってしまう。砂漠を取るか、お茶会を取るか、何という無情な選択肢しかないことだろうと、我が身を嘆いた。
「まぁ大した距離はありませんので、耐えられる範囲でしょう。こちら側なら、景色もまだマシです」
確かに、風を切って進んでいる分、徒歩に比べれば『まだマシ』だ。それに、ワイズのいう『こちら側』の『景色』という意味も分かった。金色の砂に混じって、緑色の見慣れない植物が何本も生えている。蠍しかいなかった砂漠とは大違いだ。まだ景色の変化が楽しめる分、延々と終わりのない道を行く地獄と比べれば、救いがある。
(それにしても……)
イユは首を傾げる。緑色をしているから植物だと判断したわけだが、眼下のそれらは、今までみたことのない造形をしている。見下ろす形になっているから具体的な高さは分からないが、イユの背ぐらいあるものもあれば、膝までしかないものもありそうだ。葉にしては丸みのあるそれに目を凝らせば、針のようなものが無数に刺さっていることも分かった。
「何あれ」
「サボテンです。シェイレスタでは、あれをステーキにして食べるんですよ」
植物をステーキにすると言われて、イユは想像力を働かせる。黒い鉄板の上に棘だらけの植物が焼かれている。その上から、岩塩を振りかけて、食べようとし――、
「いや、刺さるでしょ」
ワイズの呆れた声が、風に乗ってやってきた。
「どうして、棘を取るという発想がないんですか、あなたは」
なるほど、言われてみれば、確かにその通りだ。イユの見る限り、棘は植物に何本も刺さっている。数が多くて大変そうだが、簡単に除去できるのであればそれも手だろう。
最も、ワイズに確認したところ、棘が簡単に取れるサボテンと取りにくいサボテンとがあるらしい。無論、前者が食用に向いているということだ。
「……美味しいの?」
「味に拘るほどの生活を送っていられるのは、ジェシカぐらいですよ」
思わずイユは黙り込んだ。ジェシカを軽蔑するようなワイズの言い方に驚いたからではない。いつの間にか、味を気にしている自分がいることに気が付いたからだ。
今まではこうではなかったはずだ。食べていくのに必死で、味を気にする余裕はなかった。腐っていても、カビが生えていてもよい。とにかく、食べるものさえ手に入れば、それで良かった。決して味わうためではなく、時には雪さえも口にした。
それなのに、少しずつ少しずつ、イユの価値観は変わってきている。ふわふわのパンを食べた。果物を口にした。ハンバーガーを奢ってもらった。マカロンを初めて食した。ジェシカの屋敷で、豪奢な食事に招待された。
確かに、セーレでも食べ物に困っていたことはあった。けれど、そういうときでさえ、センが美味しいものを作ろうと頑張って工夫していた。
そして、イユはそれをいつの間にか、当然のことのように、享受していたのだ。
何故だろう。人は環境に慣れると、その環境がいつの間にか当たり前になってしまう。知っていたはずなのに、むしろイユこそが味に拘る生活を送っていなかった第一人者だったはずなのに、だ。こうして、ワイズに指摘されて、恥を感じたのだ。
或いは昨晩クルトが言いたかったのはこういうことだったのかもしれない。イユは他人事として話を聞いていたが、イユもまた皆に幸せを与えてもらう側の人間になっていた。今頃になって、そんなことに気づいてしまった。
それなのに、今彼らはここにいない。いなくなってから、礼を言いたくなっても遅いのだ。クルトの後悔と同じ味が、口のなかで苦く残る。
(それでも、味を感じられること自体、『幸せ』だわ)
それまでイユが知っていた味は、灰色の世界で人から奪って食べたパンから染みでたものに他ならない。それ以外の味は、感じられなかった。
だからこそ、まだ味を感じられるうちに、皆を何としてでも見つけ出したいと改めて決意する。セーレは確かに燃えてしまったが、手遅れかどうかは決まったことではない。生きている可能性があるなら、それに縋る。それが今のイユができることだろう。そして、無事に再会できたら、今までの礼を言うのだ。




