その398 『帰り道』
あまりに長い間待たされたせいで、足が棒になりそうだった。人混みの中というのはただでさえ疲れるというのに、朝早くから行ったにも関わらず長蛇の列だったのだ。それでも昨日よりはマシらしく、近くにいたギルド員が「これなら並べそう」というのを耳にした。
「レンドもミスタも特に音沙汰ないし、疲れたよ」
帰路につきながら、隣で愚痴をこぼすのはクルトだ。
だが、クルトは良い方なのだ。途中、あまりにも長い列に見飽きた様子だったので、軽食を買いに行かせた。
列に並びながらクルトの買い漁ってきた花形クッキーを二人で食した。それだけでは飽き足らず、クルトは周辺の店から新聞も買い込んできた。
新聞には、早くもマドンナの一件が挙がっていた。『衝撃!ギルドマスターの死』という見出しだ。クルト曰く、瞬く間に新聞が売れて行っていたという。だからつい、購入してしまったということだった。
だが、肝心な新聞の記事には、大したことは書かれていなかった。
マドンナがシェパングとシェイレスタの狭間に位置する飛行船で襲撃にあったこと、暗殺ギルドの手が入ったこと、どの暗殺集団かを特定するべく究明中であること、それに当たり周囲に検問を敷いたこと。ギルドに問い合わせたが、同じく調査中と回答しているとのこと。
大体レッサたちから、聞いたとおりのことである。
「まぁ、あいつらも進んで混雑しているギルドに近づこうとはしていないんだろう」
レパードはレンドとミスタのことを思い浮かべて、そうクルトへ返した。
結局、検問の情報が新聞にまで流れているせいか、飛行船を捕まえることはできなかった。気は進まないが、ワイズの案に縋るしかないだろう。
だが、サンドリエにいるギルド員に情報が渡っていないという件については、レパードとしては悲観的でいる。彼らもギルドの一員ならば、それぐらいの情報は得ているはずだ。恐らくは、望みが薄い。
それでも、このまま何もしないという選択肢はない。打てる手は打っておくべきだ。
「それにしても、ボクらってこのまま屋敷にいていいのかな」
一晩の宿は借りたし、ジェシカがレッサのことを気に入っている以上、「出ていけ」とは言われないだろう。
シェルの体が治るまではあの屋敷にいてもよいとは思うが――、
「気軽に話せないのが、辛いところだよな」
クルトの言いたいところを察して、レパードはそう呟いた。
「そうそう」と、クルトから同意が返る。
「セーレがなくなったから仕方がないんだけどさ。多分飛行船を見つけるまでに時間がかかりそうだし、そっちも何か考えておいた方が良いんじゃない?」
レパードは小さく唸った。イルレレは大所帯が入れるほど大きな宿屋ではない。そう考えると、この街で拠点になりそうな場所が思いつかなかった。
ただ、街でなければ、一つ思いつくものがある。問題は、頭の中では近いはずだという認識はあるが、それが実際どれぐらいの距離なのかは、分からないでいることだ。
「まぁ、考えておくさ」
「お願いするよ」
気づいたらその日暮らしはごめんだから、とクルトがからかう。一つ間違えればそうなるので、笑えない冗談は言うなと返したくなった。
「それにしても、お前、本当にあの屋敷が嫌いだな」
「そう?屋敷は大きくて豪華だとは思っているよ」
クルトの答えに、それはそうだろうと思う。どちらかというとクルトが嫌っているのは、屋敷そのものではなく屋敷の主、ジェシカだ。
「フランドリック家が嫌か」
「それ、イユにも言われたけれど、別に違うと思うよ。ただ、ジェシカがちょっと苦手なタイプってだけ」
意外だなとレパードは感想を抱く。クルトはそういうものは気にしない人間だと……と言いかけたところで、クルトの顔が「もう聞きたくない」といっているのに気が付いた。察するに、既にイユに突っ込まれた後らしい。
「フランドリック家同士、何か関わりはあると思うか?」
代わりに、他の質問を振る。
そのときちょうど橋を潜った後だったこともあり、陰に隠れていたクルトの顔が、日向へ出た。そのせいで、はっきりとほっとした顔を浮かべているクルトがよく見えてしまった。
「ないと思うよ」
その安堵の表情のまま、クルトが告げる。
「フェンドリックからしたら、こっちはディバント、裏切り者一族の末裔でしょ?関係はないと思う」
ただし、と付け加える。
「フェンドリックは姉さんに暗示を使った。一族が同じ魔術を使うものかどうかはボクはよく知らないけれど、もしそうなら、ジェシカが暗示を使えても驚かないね」
再びの橋で、クルトの顔が陰に覆われる。
「船長こそ、良かったの?ボクはついつい逃げるように、ギルド行きを志願しちゃったけどさ、シェルを看ている人、いなくなっちゃったよ?」
橋の上では、女性たちの笑い声が聞こえてくる。井戸端会議に花を咲かせているようだ。
「お前は気づいていたか?昨日の夜、ワイズが夕食の時間を抜けて、すぐにシェルを見舞いに行ったのに」
レパードの言葉に、クルトはきょとんとした。
「え、そうなの?」
「フェフェリとかいう執事経由での確認だが、間違いない。あいつは丸一日シェルと同室で過ごしていた」
二人は、緩やかな下り坂を下りていく。
「それじゃ、ワイズが暗示を掛けている可能性があるってこと?」
今はまだ緩やかだが、ある角を曲がれば、そこからは一気に急な下りだ。
レパードは、断言した。
「俺はないとみている」
「なんでそう言い切れるのさ」
当然のように食いつくクルトに、レパードは持論を説明する。
「話していなかったが、俺らは一度シェイレスタの都の特別区域に入れられたんだ。あそこでならいくらでも暗示を掛ける機会はあった。何せワイズの監視下にいたからな」
「はぁ?!何それ、捕まってたってこと?」
あまりに衝撃的な話だったからだろう。クルトが叫んだ。
「しっ!声が大きい。周囲がびっくりするだろ」
後方で、井戸端会議が止んだのだ。捕まるなんて単語、物騒すぎて話のタネになってしまう。
「あー、ごめんごめん。って、ちょっと待って、それじゃあ特別区域ってところから、逃げてきたの?ワイズ共々?」
あまり反省の色の見えない反省をしながらも、クルトはそう訊ねた。
「当のワイズが、俺らを手引きして脱出させた挙句に、セーレまで案内させたんだ。姉の目的を探るのが狙いらしいが、それなら俺らの記憶を覗くなり暗示を掛けて白状させるなり手があったはずだ」




