その397 『余計なお世話』
「失礼します」
フェフェリの合図とともに、扉が開かれる。その隙間から、包帯に巻かれた腕が見えた。シェルは昨日と同じ部屋で、寝かされている。
フェフェリに続いてすぐに入ると、小憎らしい少年の声が降りかかった。
「ようやく来ましたか。随分長く捕まっていたようですね」
イユの視線の先、シェルのベッドの向こう側でワイズが椅子に座っていた。見る限りでは怪しい法陣の類はない。妙な香りもしなかった。だが、そんなものを残しているほど愚かでもないだろう。
「どうかしましたか?お茶会で能天気がうつりましたか?」
ワイズにとって、ジェシカは能天気という総評らしい。
「うつらないわよ。昨日は食事の途中で退席していたけれど、体調は良いわけ?」
少しつまらなそうな顔をされる。どういう返答を望んでいたのだろう。イユは『魔術師』とは違う。相手が暗示を掛けてくるような人物でも、命が長くないと言われてしまったら、一応気にしないという選択肢はない。
「早めに休みましたから平気ですよ。それよりシェルさんの見舞いにきたのでしょう?僕のことなどどうでもよいはずですが」
「それもそうね」とあっさりイユが認めるものだから、後ろにいたレッサが慌てふためいた。
「ち、違います。ワイズ様にはシェルを無理言って治していただきましたから」
そういえば、レッサからするとワイズはまだ敬語の対象なのだ。イユはブライトと同様、ワイズ相手には私語で慣れている。そう思ってから、敬語を使うべきかと考えた。貴族からすると私語は親密の証らしいから、逆に無理して使った方が良いかもしれない。
「僕相手にそのように繕ってもらう必要はありません。面倒なので私語で結構です」
「でも、ワイズはずっと敬語よね?」
敬語ですよね?と言おうとして、結局言えずに私語になる。頭では分かっていても見知った相手に、言葉遣いを変えるのは中々どうして難しい。
「残念ながら、僕はまだ未成年扱いですから」
ワイズの話では、未成年の『魔術師』は周囲には例外なく敬語を使うというのがシェイレスタの決まりらしい。それで、イユは納得した。先ほどのジェシカが敬語だったのも未成年だからということらしい。それにしても、決まりだらけで面倒である。
「分かったよ。それじゃあ、シェルの具合だけれど、どうかな?」
決まりの話を聞いた後だからか、レッサはすぐに了承すると、話を振った。
「見ての通り、今は眠っています。追加で治療はしましたが、まだ安静が必要でしょうね」
フェフェリが、後ろで控えながらも、狼狽える気配がする。またしてもワイズはフェフェリの言いつけを破って魔術を使った様子だ。
イユはシェルの隣に座った。ぐるぐるに巻かれた包帯が、変わらず痛々しい。それでも穏やかな寝息が聞こえるだけ、まだ安心できた。
「早く治るように、祈ってあげると良いですよ」
ワイズの助言に大人しく頷く。シェルの怪我が治るように、心の中で何度も祈る。
「一つだけ聞いてもいいかな」
その隣で、レッサがワイズに話しかけていた。
「ワイズは、暗示の魔術は使えるの?」
あまりにも直接的な発言に、イユは思わず二人の顔を交互に見た。ワイズもレッサも、互いに顔を合わせた状態で見つめている。それは互いの心の内を探っているようにも映った。
「使えませんよ。あなたたちは姉さんを見ているから、『魔術師』は何でもありだと思っているかもしれませんが、僕らの年では魔術が一つ使えればよい方です」
魔術は習得するのに時間がかかる。それはイユも知っている。しかし、その発言を鵜呑みにしてよいかどうかは分からなかった。何せブライトという名の例外がいたからだ。
「それはジェシカ様もかな」
ワイズは、こくりと頷いた。
「彼女が使うのは、占星術です。まぁ、恋占い以外はできないみたいですが」
その言葉に、イユのなかにあった警戒心がぐらぐらと揺らぐ。
もしワイズの言っていることが本当なら、ワイズもジェシカも警戒に値しない。ワイズ自身のことはともかく、あの仲の悪いワイズがジェシカの肩を持つとは思えない。だから、ジェシカの件は信じてもよいかもしれない。
そうなると、途端にジェシカは乙女思考の普通の少女に成り下がる。そう、信じきってもよいのだろうか。
「素直に答えてくれるんだね」
同じことを思ったのか、レッサがそう訊ねた。声は真面目そのもので、確認の意味合いが強くとれるのが、イユたちと違うところだ。
「やたらと疑心暗鬼になっているみたいですから、更に嘘をついて疑いを増やしても仕方がないでしょう」
ワイズの言葉に、レッサは頷いて返した。
「それは大変助かるよ」
本当に助かると思っているのか、あくまで上辺だけなのか、レッサの言葉の真意が見抜けなかった。レッサはワイズの言うことを信じたのだろうか。
イユは、信じきれない。これだけのことがあっても、まだ心は忌避している。『魔術師』を恐れている。
「さて」
ワイズは手にした杖をさっと振るった。後方で、フェフェリが動揺した声を出すが、お構いなしだ。むしろ、「フェフェリ、下がっていてください」と命令し、声の届かないところまで下がらせる始末である。相変わらずの扱いに、内心同情した。
その間にも優しい風が、シェルに降りかかる。治癒の魔術だ。
「やはり治りが早いですね」
何かを確認するように、そう呟いた。イユがそれを追求するより先に、ワイズの視線がイユへと向く。
「イユさんの傷は、大丈夫ですか」
「私?」
きょとんとするイユに、「いや、一度死に掛けたでしょう。まさか忘れたんですか?」と呆れた声が挙がる。
忘れているわけではないが、治した傷だ。確かに何度か開いたが、今は痛みを感じていなかった。
「イユ、聞いていないんだけど、死に掛けたの?」
レッサから追及がくる。リュイスが攫われたとは話したが、イユ自身の怪我の具合までは、確かに話してはいない。
「平気よ」
「そうですね。背中から剣で串刺しにされたと聞いていますが、あなたの力なら、平気の類いですね。最も、僕が来たときにはかなり冷たくなっていましたが」
「全然平気に聞こえないよ、それ!」
そうやって心配されることは、承知していた。余計なことを言ってくれたなと内心舌打ちする。
「まぁ、普通の人間ならまず死んでいましたよ。幸い治療が間に合ったのは、イユさん自身の力が大きいでしょうね」
「…………それを、あなたは使うなというのでしょう?」
気になっていたことだ。この際、ぶつけてみる。イユではなく、レパードに異能を使わせるなと言ったことも、イユとしては気にかかっていた。最も、イユでは言って聞かせても頭に入らないだろうと思われたというのが、イユの想像だ。
「必要に迫られた場合は良いと思いますよ。しかし、あなたは自分の力に頼りすぎています。人間の体は無理をするようにはできていないんです。それを無理させている以上、相応の負担がかかっていることは、自覚すべきでしょう」
隣からやってくるレッサの視線が、辛い。今までは『異能者』だということで、心配をされたことがなかった。否、リーサには散々心配を掛けていた。
だが、リーサだけだ。レッサたちには特にこれといって、心配の声を掛けられたことはない。それが、今回の件で覆ってしまった。
イユは、彼らの前でだけは『異能者』で良かった。それが、少し無茶ができるだけの普通の人間に転落した。そうすることで、彼らの目が変わることに、不安があった。特にリーサには聞かせられまいと思う。これ以上、心労をかけたくないのだ。
「……自覚はしているわよ。なるべく気を付けているもの」
「それなのに周囲には伝えないんですね。その優しさは歪んでいますよ」
ワイズにきっぱりと言われて、イユは言葉に詰まった。
「強がったところで事実が変わるわけではないですから。失礼、余計なお世話でしたね」
本当にその通りだ。舌を突き出してやりたくなった。
「あんただって、同じでしょうが」
イユがそのことを知らないと思っていたのか、きょとんとした顔をされる。
「長くないんでしょう?ジェシカが言っていたわ」
「あの女は全く余計なことを言うんですから」と、ワイズの顔にははっきりと書いてあった。
「僕のは、ただの呪いですよ。ジェシカに何を吹き込まれたかは知りませんが、安静にしている限り大丈夫です」
ただの呪いとは、おかしな言葉もあるものだ。本人にとって不意打ちだったからなのか、突っ込みどころしかない返し方だった。
「安静にしているところを見たことがないわよ?」
ワイズはそれに何も答えなかった。まるで刹那のようなポーカーフェイスで、イユを見ているだけだ。
だから、イユには分かってしまった。ワイズの顔は、こう言っている。
「余計なお世話です」
と。




