その396 『お茶会後』
「船長の心配する気持ちが分かるよ」
お茶会が終わり廊下に出たところで、第一声、レッサに愚痴られた。声が聞こえない位置にいながらも、イユが叫んだり食べ物に飛びついたりしていたから寿命が縮まるかと思ったとのことだ。
さすがに、イユとしても反省する。幸いジェシカの機嫌を損ねることはなかったが、彼らの気苦労を思えば、敬語ぐらいはもう少し努力してもよかった。
「ですが、お嬢様にはとても良い経験になったと存じます。今までお嬢様の周囲は男性ばかりでしたので」
フェフェリのフォローらしき言葉に、イユはしかし突っ込まずにはいられない。
「シェリーたちがいるんじゃないの?」
「いえ、私たちのような給仕では、お嬢様のお相手は務まりません」
あくまで淡々と、シェリーがそれに返す。
そこまでいうのだから、嘘は言っていなさそうだが、釈然としなかった。何せ、ジェシカの周囲にいた給仕は、フェフェリ以外ほぼ女性である。
そもそも、フェフェリはそれをいうなら、男性ではなく同じ立場の人間と言うべきではないか。はじめイユに対等でないと指摘されて硬直したジェシカを思い返す。今まではあの可愛らしさと貴族の立場で、誰も何も彼女の言うことに反対しなかったに違いない。
そう思ってから、口の悪いフィアンセがいたなと思い出した。フェフェリの言いたいことも、少し理解する。
「そういうものかしら」
「そういうものでございます」
お茶会の帰りは、行きと同じこの四人だ。それ以外の給仕は全員、ジェシカの相手をしているという。そのため、初対面がいないから、幾分かは気楽だ。だからか、レッサが本音を吐露する。
「むしろイユで大丈夫だったのかな。他の貴族のご令嬢を考えると……」
レッサの不安そうな言い方に、イユとしては少し複雑な心境だ。レッサは、ジェシカが今後同じように貴族のご令嬢を招いた際、イユとの違いに戸惑うのではないかと、懸念しているのだ。全く、親切すぎるというものだ。そのうえ、イユでは役不足だと言われているのである。
ちょうどそのとき、段差を越えようとしたところで、ドレスを踏んづけそうになった。寸前のところでたくし上げて、ほっと息をつく。確かに、令嬢に向いていないことは自覚している。
「レッサ様のご心配はもっともですが、実は貴族というものは親密な間柄を示すために敢えて敬語を使わないものです。ですから、今回のお茶会でもイユ様はご心配になられるほど粗相はしておりません」
フェフェリの完璧なフォローに、ほっと胸をなでおろした。これで、後で帰ったレパードにお小言を言われる心配も減る。食べ物に夢中だったことは頭から忘れて、安心する。
「それは知りませんでした。……一庶民が描くイメージとは大きく異なるんですね」
イユははたと思い当たる。私語で話せとジェシカには言われたが、ジェシカ自身はずっと敬語のままだった。
別にイユ自身仲よくしようとは思ってはいないが、イユにだけ私語を求めたということは、イユにだけ親密になれと言われたと、そういう解釈でよいのだろうか。そうなると、ジェシカは対等だと言いながら、しっかりと線を引いていたことになる。
「それに、予習されたようでお茶会の流儀はきちんと守られておりました。さすがでございます」
フェフェリに急に持ち上げられたので、イユは先ほどの思考は一端置いておいて、胸を張ることにした。シェリーの入れ知恵があったからだが、それは言わない約束だ。
「お茶会までにマナー本を覚えていただきましたから」
そう思った矢先、シェリーにネタ晴らしをされてしまった。
「そうだったんですか。すみません、何から何まで」
シェリーに頭を下げようとするレッサに、イユは何とも言えない気持ちになる。できの悪い生徒の面倒を見てくれてありがとうとでも言いたげな雰囲気があるように感じるのは、気にしすぎだろうか。
「構いません。どうか御顔を上げてくださいまし」
シェリーもシェリーで、当たり前のようにそう返す。
「そういえば、お茶会の際にジェシカ様がおっしゃっていた、あれはどういう意味なのですか?」
レッサのいう『あれ』とは、『昼の神アグニスと夜の神パゴスに感謝の意を示します』という文言のことだった。
「砂漠の下でもお茶会ができることに感謝するって意味だそうよ」
早速叩き込まれた知識を披露してみせるが、レッサの関心はシェリーの発言に向いている。
「お気になるようでしたら、マナー本をお貸ししましょうか」
「ぜひ」
自分の知らないことならば、マナーですら興味の対象らしい。改めて感心を通りこして、呆れてしまった。
「レッサ様が、アグニス神やパゴス神にご興味をお持ちのようでしたら、そちらの本をお勧めした方がよいかもしれませんね」
「えっと、両方貸してもらえたら嬉しいです」
知識欲の権化め。イユは心の中で呟いた。すっかり、除け者気分である。
「承知しました。お写真の現像の件と合わせて、すぐにご用意させていただきます」
「助かります」
レッサの礼のあと、フェフェリが切り出す。
「お二人はこのあとどうされますでしょうか。衣服はお着換えになるとして、レパード様方が戻られるまでまだ時間があると思います。現像作業に移られてもよいですが……、シェル様のお見舞いに行かれますか」
フェフェリの提案に、イユはすぐに飛びついた。
「行きたいわ」
今朝は早起きしたはずなのに、行く時間がなかったのである。
「承知しました。今はワイズ様が看ていてくださっていますので、ちょうど合流できるかと存じます」
フェフェリの言葉に、固まった。
体調が悪いと聞いていたから、素直に部屋にいるのかと思っていたのだが、違ったらしい。素直にシェルを看るワイズに感謝してよいのか、怪我人を『魔術師』と一対一にさせてしまったことに危機感を覚えればよいのか、戸惑う。
医務室で暗示に掛けられた覚えのあるイユからしてみると、後者の不安が大きい。常にシェルを看る人を、イユたちの中からつけなかった無防備さを今更ながらに後悔した。そう、遅すぎる後悔だった。
イユの表情に気付いたのか、レッサも同じように頷く。さすがに切り替えたらしく、先ほどまで輝いていた瞳が、真剣な眼差しに変わっていた。
「ぜひ、お願いします」




