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カルタータ  作者: 希矢
第八章 『手繰り寄せて』
395/994

その395 『紅茶と焼き菓子と』

「私のことはいいから、聞いてみたいことがあるのだけれど」

 これ以上突っ込まれる前にと、イユは気になっていることを切り出した。

「ワイズはあなたのフィアンセなのでしょう?それなのに、好きな人が別にいていいの?」

 ジェシカは、「当然です」と言わんばかりの口調で言い放つ。

「あなたは周囲が決めた縁談に、『はいそうですか』と受け入れますの?」

 その言葉で悟る。二人の様子を見るに仲がよさそうではなかったが、何かあるらしい。

「どういうこと?自分たちの意思で決められないの?」

「わたくしたち貴族は、血を重んじます。どこぞの馬の骨と交じり合って、血を薄めることはあってはなりません」

 よくわからないが、そのあたりも貴族のマナーの一つらしいと解釈した。何故、そこまで血にこだわるのかは、イユにはよくわからない。

「勿論、それが我がフランドリック家を発展させるものなら、わたくしも一族の女。受け入れる覚悟はできています」

 手元の紅茶を飲んだ。セーレで紅茶をいれても、ここまで濃くはならない。薄味になれているイユには、この屋敷の紅茶は濃すぎて、苦味が感じられる。

 ジェシカは、苦い紅茶で良いらしい。イユに合わせて、静かにティーカップに口をつける。その味が当たり前で、何の抵抗感も抱いていないようだ。

 それなのに、ジェシカは、今の味に不満があるように、少々乱暴にティーカップを置いた。がしゃんと、音が響く。

 奥にいるフェフェリの額から冷や汗が落ちた。確かに、お嬢様にしてみれば、はしたないかもしれない。

「ですが」

 ジェシカの大きな瞳が、イユを見つめる。その瞳は揺れてはおらず、ただ真っ直ぐだった。


「わたくし、未亡人になるのはごめんでしてよ」


 一瞬理解が追い付かなかった。その言葉を頭のなかで、何度も咀嚼する。未亡人とは、どういう意味か。手繰り寄せた答えに、胸の内で、衝撃が走った。自然と重くなる口を、こじ開ける。

「……どういうこと。ワイズって長くないの?」

 イユの葛藤を微塵も感じていないのか、ジェシカがすんなりと頷き返す。

「公にはなっていませんから、知らなくて当然ですわ。ですが、隠しているつもりでも、わたくしにはわかります。日に日に顔色が悪くなってきていますの。呪いが進行している表れですわね」

 ワイズの顔が浮かんだ。確かに、子供にしては血色が悪く、どこか老成していると感じた。今にして思えば、あれは何かを諦めたような顔だった。

 イユの嫌いな『魔術師』だ。それが、残り少ない命だとして、どうだというのだろう。

 そう、心に言い聞かせるが、衝撃に戦いた心の暴れ馬の手綱を、上手く引けない。淡々とその事実を受け入れているジェシカを見ているせいでもある。人の死が話題になっているというのに、この子供はまるで本のなかの登場人物の話でもするかのように、淡白だ。これが、はじめからそういう人間であると知っていたのなら、もう少し落ち着けた。美少年を見て頬を赤らめるような純粋な子供の発言だから、現実と思えない。

 結局、どう受け止めていいのかわからないイユにできたことは、ただジェシカの言葉を黙って聞くことだけだった。

「折角アイリオール家から後継ぎがやってきても、すぐに死なれるようなら我が一族は破滅を迎えます。いくら決まっていることとはいえ、すぐにでも撤廃できないのが悔しいのですわ」

 人の死が近いという現実を語りながら、ジェシカにあるのは家のことだけなのだ。そんな彼女に、違和感が拭えない。何故そこで、ワイズの延命という手段は出てこないのだろう。イユがそのことを口にすると、ジェシカは小首を傾げてみせたのだ。

「助からないことは、確定ですわ。延ばすことも厳しいでしょう」

「それは、どういう」

「どちらかというと、今生きていることのほうがおかしいのです。それほどに、強力な力と臭いを感じますの。いっそのこと……」

 小声で呟いたジェシカの言葉に、更なる息を呑む。


「早く死んでくれればよいですのに」


 そう、彼女は笑みすら浮かべながら、冷酷に言い放ったのだ。

 イユは目の前に敷居を設けたくなった。

 こんな恐ろしい思考をする人間とはかかわり合いになりたくない。やはり、『魔術師』は狂っている。自分には決して、受け入れられない価値観だ。

「とはいえ、まだ結婚までは時間があります。ワイズは十二歳になったばかりで、まだ成人の儀を迎えていませんもの」

 何とか、もう一口紅茶に口をつけるイユに、ジェシカはやる気を滾らせて、宣言する。

「だからわたくし、急いで理想の男性を探していますの!」

 急に思考が少女らしさを纏うから、ついていけない。

 それでも、その理想の男性がレッサだと気づいて、イユは恐る恐る口を開いた。あべこべなはずのジェシカの言葉には、しかし有無を言わせぬ何かがあって、発言しにくい空気だったのだ。

「あの……、レッサは貴族の血を引いていないんだけれど、それでもいいわけ?」

 本人曰く、どこぞの馬の骨のはずだ。

「それはそれ、これはこれ、ですわ」

 ジェシカのいっそ、さっぱりとした宣言に、イユの目が点になる。

「は、はぁ……?」

「レッサ様が貴族でなくてもわたくしの理想の範疇ですもの。それならばレッサ様を手本に、貴族の貴公子を見つければよいのですわ」

 言っている意味がまるで分からない。確かに、ジェシカは隠し立てをしようともせず、自分の考えをぽんぽん述べている。それなのに、網で風を捕らえたかのようだ。

 辛うじて頭を働かせて、ジェシカの言いたいことを纏める。つまり、レッサのような見た目の貴族を、ジェシカはこれから頑張って探すということだろうか。それならば、イユのことを恋敵のように睨みつけていたのはどういうことか。たとえあくまで手本であっても、よその人間と仲良くなっている姿は見たくないということなのだろうか。

(ついていけそうにないわ)

 あまりの価値観の違いに、頭痛がしてきた。やはり、頭がおいつかない。

「そんな顔をなさらないで。大丈夫です。たとえ貴公子を見つけたとしても、レッサ様が一番ですわ。お立場こそ難しい仲ですけれど、心だけはずっとお慕いいたしますわ」

 そんな心配はしていないのだが、むしろ妙な面倒に巻き込まれるぐらいならさっさと見放してほしいほどなのだが、ジェシカは意に介さない。

「ですからわたくし、少しでもレッサ様のことを詳しく知りたいですわ。教えて下さる?」

 意気揚々に口を開いたジェシカに、イユは戸惑う。こんな人物に、余計なことは言いたくなかった。

 それでも、目を輝かせて期待を寄せるジェシカの視線が、徐々に潤んでくるのを見ると、

「何を聞きたいの?」

 と聞いてしまう。女のイユでこれなのだ。男ならきっと、ぺらぺら全てを話してしまう。

「レッサ様のお人柄、能力、魅力的なところ、何でも構いませんわ」

 故郷と言われたらどうしようかと思ったが、幸い候補には入っていない。とりあえず無難なところで挙げるならば、仕事内容だろうか。

 イユなりに検討したうえで、口を開く。

「レッサは、飛行船の航空機関をみている人よ」

 イユの発言に、ジェシカは「まぁ!」と感動した様子だ。無難な話題に飛び付いてくれて、心底安堵する。

「あの若さで機関士ですの?さすが、レッサ様ですわ」

 なるほど、世間では機関士は感心される類らしい。イユはヴァーナーに馬鹿にされた当時を思い出す。よく、「お前はそんなことも知らないのか」と言われたが、おかしいのはイユではなくヴァーナーの頭の良さなのだろうと思うことにした。

「そうよ。それでか分からないけれど、知識欲が凄いの。よく仲間のヴァーナーと話しているわ。私じゃ何を言っているか全然分からないけれどね」

 頬を赤らめて感動している様子だけを見れば、文句のつけどころのない美少女だ。だからか、これぐらいなら良いだろうと、つい口を緩めて、第三者の名前を出してしまった。

「ヴァーナー様というのは、同僚ですのね」

 ジェシカの確認するような口ぶりに、焦りすら感じる。それを無理やり押し留めて、敢えてなんでもないことのように、話す。

「そうよ。ヴァーナーとレッサは、仲が良いの。ヴァーナーは口が悪いから、レッサとは対照的な男ね」

 ヴァーナーを恋敵と思われては敵わないので、念のため男というところを強調しておく。さすがにヴァーナーという名前で女だとは思われないと思うが、どんなことをジェシカが思いつくか分からないから、保険だ。

「それで、お人柄はあなたからみてどうかしら?やはり、お優しい?」

 すぐに質問を切り替えたあたり、本人の興味をひかなかったのだろう。他の男の話は、どうでもよいということらしい。

 ほっとしつつも、改めて感心する。今、人柄を聞くということは、人柄も知らずに一目ぼれをしたということだ。改めて、恋愛脳だなと妙な感心をした。

「そうね。私が荷物を持っていると、代わりに持とうとしてくれるときがあるから、優しいとは思うわ」

「ふふふ、想像通りの御仁ですわね!」

 つい大声をあげてしまったジェシカは、「まぁ」と頬を赤らめた。こほんと咳払いをしてみせる。何せ数歩先に当の本人がいるのだ。さすがに気まずかったのだろう。

「ここまでくると、益々欲しくなってしまいますわ」

 ジェシカのさらっとした一言に、イユの顔が強張った。

 それに気が付いた様子で、ジェシカがにこりと笑みを浮かべる。

「弁えていますから、本人の同意のないうちは無理やり攫うことはしませんわ」

 何も言っていないのに、どうしてそんな言葉が出てくるのだろう。イユは背筋が凍る思いをした。「本人の同意のないうちは」など、本人の心すら意のままに操る『魔術師』が言っても何の説得力もない。むしろ、魔術を使うと暗に言われた気分である。

「あら、顔色が悪いですわよ。そういえば、『魔術師』にひどい目に遭わされたと言っていましたものね」

 今思いだしたように、ジェシカがそう呟いた。

「大丈夫です。わたくしは、嘘はつきません。確かにわたくしも『魔術師』ですけれど、シェイレスタの『魔術師』みたいに、無理やり気に入った女性を攫うことはしません」

 ジェシカの言葉に、何か勘違いを引きずったままであることに、イユは気が付く。それにしても、気になる内容だ。

「シェイレスタの『魔術師』が、攫うって……?」

「あら、違いましたの?わたくしはてっきり例の人攫いの件だと」

 勘違いさせたままにしておいても良かったが、人攫いの話を聞くなら、誤解を解かないといけない。

「違うわ。私はシェイレスタの出身ではないもの。でも、その話は一体?」

「まぁ、そうでしたの。わたくしの早とちりでしたのね。でしたら、余計にシェイレスタではお気を付けになって。女はシェイレスタでは身分が低いのです。わたくしは貴族ですけれど、それでも女ですから、いろいろと不便を感じていますわ」

 街の様子をみるだけでは感じられないその差は、しかし貴族社会においては当たり前のように横行しているらしい。

「とにかくシェイレスタの都で、女が一人で歩いてはいけません。もし『魔術師』の目に適ってしまったら、彼らはその権威を持って、その女を『異能者』として特別区域へ隔離しますから。そうしたら、そこから出るのは至難の技ですわ」

 その内容に、イユはぎょっとなった。知らなかった。あの特別区域にいたのは、全員が全員、『異能者』とは限らなかったのだ。『異能者』というレッテルを無理やり張られた普通の人間もまた、あの中にいる。

「あら、余計に不安にさせてしまいましたわね」

「……気にしないで、大丈夫だから」

 ジェシカはその言葉を文面通りに受け取ったらしかった。

「それは良かったですわ」

 と笑って、プレートに手を伸ばす。

「ふふふ。それでは、最後のお菓子もいただいてしまいましょう」

 すっかり自分のペースなジェシカは、笑みを浮かべたままシュークリームというらしいお菓子を、自身の皿に載せた。初めに半分に割って、先を一口サイズに切ると、丁寧な動作で口元に運ぶ。

 同じように真似たイユも、シュークリームとやらを口に運ぶ。初めて食べるお菓子に、動作が慎重になる。舌に触れた途端に、クリームがジュッと溶けたような心地がした。

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