その393 『前談』
大人しく頷きながら、レッサからの指鳴らし音を聞く。先ほどの「美味しいわ」が敬語になっていなかったことを指摘しているようだ。咄嗟に敬語が話せるほどには、イユは『魔術師』を敬っていないのだから、それぐらい大目に見てほしい。
「それって美容によいお食事も摂っていないということですわよね……」
どこか落胆した様子でイユを見つめるジェシカが、よく分からない。
「そういうことになるわ……、なりますね」
何とか敬語を紡ぐも、どうにもぎこちなさが抜けない。それでも何とか返せたぞ、と安堵しているところに、ジェシカから質問が降ってくる。
「お肌のケアは何かなさっていますの?」
肌のケアとは何のことだろうか。イユは思わず自身の手に目を遣った。あまりにも聞き覚えのない言葉に、頭がついていかない。
「何もしていないけれど」
イユの言葉の後で、指を鳴らす音が響く。
「まぁ、秘密ということですか。何かあるのですわね」
一体、この少女は何を言っているのだろう。イユはぽかんとしてしまった。
「いえ、本当に何もしていません。そんな余裕は、ありませんから」
何とか敬語で返し終わる。
そこに、ジェシカは羨ましそうな視線を向けてくる。
「それで、そのすべすべの肌ですの?絶対嘘ですわ」
どうにもこうにも、イユの肌が気になるらしい。確かにイユの肌は、異能のおかげで怪我の類は一切ない。だが、まさか『異能者』だからですとは言えまい。
困惑しきった様子のイユに、ジェシカはようやく嘘でないと気づいたのか、続けた。
「黙っているだけでは納得はできませんわ。ですが、わたくし、今ようやく理解しましたわ」
「はい?」
何を理解したというのだろう。イユの更なる困惑を読んだように、答えが返る。
「よく、教育係が言うことをです。よろしくって?民には答えを与えておけばよいのです。その答えが間違っていようが当たっていようが、答えがあれば民は納得し、それ以上言及しませんわ」
イユは何度も目を瞬いた。このジェシカという少女は、何を言いたいのだろう。
「その理屈だと、あなたに、嘘をついてでも答えろということになるけれど……」
「わたくしは、民ではなく為政者ですわ!」
フェフェリが、額の汗を一所懸命白いハンカチで拭っている。
イユは、改めてジェシカが言わんとしていることを吟味してみた。民には答えを与えておけばよいというのは、教育係の教えらしい。間違っていてもよいというところに『魔術師』の奢りを感じるのは気のせいだろうか。そうやって、『魔術師』としての教育を受けているのだと思うと、やはり目の前の少女がただ惚れっぽいだけの人間には思えない。
「そうね。旅の最中にこれでもかっというほど風を浴びているわ。あと青い空の下に皮膚を晒している。きっとそれで、肌がこうなっているのよ」
噓八百を並べてみると、ジェシカは明らかにむっとした顔をした。
「嘘は禁止ですわ」
さすがにそれでは騙されないらしい。指の鳴らす音を聞いて、イユは口調を改める。
「庶民には嘘を吐いてもよくて、ですか?それでは、このお茶会は対等ではありません。女友達と過ごしたいとのことでしたけれど、そんな環境では友など到底できません」
口調はともかく内容が問題ありとみなされたのか、指の鳴らす音は消えなかった。
ジェシカの顔色を見れば、あからさまに強張っている。恐らく今まで自分に立てついた人物がいなかったのだろう。怒っているというよりも、これまで一度もなかった相手の反応に、戸惑っているようにも見えた。
仕方がないと内心で溜息をつき、イユはすぐに続ける。きっと、今までジェシカに会った人物は皆、こう話したのではないかと予想しながら、そのように口を動かす。
「心配せずとも、ジェシカ様のお肌はお綺麗でいらっしゃいます。私はそこまでこだわる必要はないかと思いますが」
褒められたからか、ジェシカの顔が途端に明るくなった。
「まぁ、そう思われますこと?」
どうにも切り替えの早い少女だ。イユの典型的な誉め言葉に飛びついてくる。それはまるで、先ほどまでのイユの都合の悪い発言を、頭から追いやりたいがための言動にも思われた。
「実は香りにもこだわっているのです。ウルリカの花の香もよいのですけれど、少し飽きがきますでしょう?それで、今は少し涼やかな香りを足しています」
ジェシカが視線を茶髪のメイドに向けると、メイドがテーブルに小瓶を置いた。可愛らしい水色の小瓶をみて、すぐに香水だと気づく。
「そうね、涼やかな香りは私も嫌いじゃないわ」
甘ったるいウルリカの花にうんざりしていたので同意すれば、後ろから指を鳴らす音が返った。そういえば、敬語を失念していた。
「ふふ。趣味が合いましてよ」
ぎこちなく笑ってから、ジェシカが紅茶に口をつける。イユも合わせて紅茶で唇を湿らせた。
今が機会だ。二段目に乗っていたお菓子へと手を伸ばす。
ジェシカも同じように手に取るのを見て安心したイユは、すぐにそれを皿に載せた。後で聞いたが、このお菓子はスコーンというらしい。かじった途端に、さくっという食感とともに仄かな焼き菓子の匂いが鼻腔をくすぐる。
赤い果実のジャムを塗れば、気になった粉っぽさもなくなり、一気に食べやすくなった。これは、意外と美味しいかもしれない。そんなことを思いながら続けて、隣にあったクリームチーズを塗る。しっとりとしたチーズが、焼き菓子にマッチし、素朴な自然の味を感じさせられる。
「美味しいかしら?」
「えぇ」
ジェシカの問いかけに、イユはすぐに肯定した。
「わたくしのシェフは、焼き菓子が得意ですから」
当然とばかりに言ってから、ジェシカは「それでは」と話を切り替える。ちらりと、レッサとシェリーを一瞥した。ジェシカの背後のメイドたちが距離を取ったのをみて、背後のレッサたちも距離を取ったのだと分かる。恐らく、会話が届かない位置まで控えたのだ。
「そろそろ、本題と行きましょうか」




