その392 『始まったお茶会』
庭先では、ウルリカの花に包まれるようにして、白テーブルと椅子二脚が置かれていた。
「どうぞお座りになって」
ジェシカの合図で、イユは早速先ほど頭に叩き込まれたマナー本の知識を引っ張り出す。ここで、「分かりました」と言って、いつも通りに座ると、なんとマナー違反なのである。
「はい」と答えつつも、椅子の目の前で立ち止まる。
それを受けて、遠くで控えていたシェリーがそそくさと椅子を下げる。
イユとしては、椅子ぐらい自分で座ればいいのにと思うのだが、これがマナーだと言われたら、その通りにするしかない。しかし、全く意味の分からないルールであった。
イユが椅子に座った後、当たり前のようにジェシカも椅子を引いてもらって、着席する。値踏みするようなジェシカの視線が、一瞬シェリーに移った。「きちんと勉強させたのね」とでも言いたげな視線だ。シェリーは既にイユよりも後ろにいるから、その様子は見えない。ひょっとすると、会釈ぐらいはしているのかもしれない。
シェリーと同じように、レッサもイユの背後に控えている。一応、イユがあまりにもおかしな発言をしたら、指を小さく鳴らすことで合図が送られる手はずになっている。耳に意識を集中させれば小さな音でも聞き取れる、イユでしか通用しない策だ。
最も初めは咳払いでの合図をレッサと考えていたのだが、頻繁に咳払いをしないといけないレッサを想像して、イユが止めた。それでは目立つことこのうえない、というのがイユの言い分だ。
それを受けて、レッサがいろいろ諦めたような顔をしつつ、承知したのだった。
ジェシカの反対側には、見知らぬメイドが立っている。
茶髪をツインテールにしたメイドを見て、この屋敷はツインテールが正装なのかと首を傾げたくなる。最も不愛想なシェリーよりは、人懐こい表情を浮かべるこのメイドはツインテールが似合っていた。
それぞれが座り終わったことを確認して、フェフェリがさっとテーブルにティーカップを並べていく。その動き一つとってもとても様になっているあたりがさすがだ。
置かれたティーカップも、見るからに豪華な金色の縁取りがされていた。描かれている淡い色の花は淡紫色をしていて、ティーカップを眺めているだけで華やかな気分にさせる代物だ。こんなお茶会でなければ、綺麗だと素直に賞賛していただろう。
続けて、テーブルに置かれたのは、三段に分かれた皿だった。イユは知らなかったが、アフターヌーンティースタンドというらしい。本来は午後に行うものなのだからそんな名前なのだろう。
とにかく、その皿の上には、見たことのない菓子類が乗っている。見ていても、それが一瞬何の食べ物か分からないぐらいには、どれも精巧な作りをしている。そのおかげで、飛び付かずにすんだ。
それにしても、唯一それが何か分かったのは、一番下の段だけだった。真っ白なパンの中に鮮やかな緑色が飛び出ている。そう、サンドイッチだ。
イユたちも日ごろから食べる食べ物ではあるが、ここ最近は砂漠越えでひもじかったこともあり、サンドイッチという料理を久しぶりに見た心地がした。昨日のフルコースにも出てこなかったから猶更だ。
朝食にパンを食べたばかりだというのも忘れて、ごくりと喉が鳴る。
「失礼します」
フェフェリとは別の給仕がイユとジェシカの前で、カップに茶色の液体を注ぎ始める。香りで分かった。紅茶だ。
「では、『昼の神アグニスと夜の神パゴスに感謝の意を示します』」
マナー本を読んでいなかったら、「なにそれ?」と聞いていたところだ。シェイレスタの貴族たちは砂漠の下でもお茶会ができることに感謝をし、その意味で、口上を述べる。それからようやく、お茶会を始めるものらしい。
「そして、我らの勇ましき王に祝杯を」
記憶を頼りに述べたイユの後、ジェシカが両手の指の先を合わせた。これが宴会なら盃を掲げるらしいが、お茶会では手を合わせる風習だ。
「いただきます」
イユも同じように、手を合わせる。
「いただきます」
ジェシカが先に紅茶に口をつけた。それから、一口サイズに切られたサンドイッチを皿に盛り、一欠片かじってみせる。
なるほど、ああして食べるのだ。と食べ方を見つつ、イユも食べ始める。
本当は毒が入っていないことを相手に示す行為なのだろうが、食べ方を真似られるという点でイユにとって、このマナーは有り難い。
それにしても、驚いたのはパンの薄さだった。握りしめたら簡単に手の中で潰れてしまいそうなほどの、薄いパン生地だ。これは、ひょっとすると朝食を食べたばかりで腹に入らないだろうと、シェフがいらぬ気を利かせたのだろうか。とても不本意である。
そう思いつつも、口に入れた途端に感じたのは、じゅわっと溶けていくバターの感触だった。そこに、瑞々しいキュウリが加わる。素朴な味わいだ。
続けて手に取ったサンドイッチには、ハムが挟まっていた。具は一種類であることを徹底しているのだろうか、ハムにビネガーの香りが強めに出てはいるが、どちらかというと質素な代物だった。
昨日のご馳走を思い浮かべると、お茶会というものは、ボリューム不足のように感じる。だが、一日三食以上摂ることを考えれば、確かに妥協できる範囲かもしれないと思い直す。
最後の一つには、チーズが挟まっていた。白いチーズに浮かぶ黒い斑点を見て、すぐに胡椒だと気づく。頬張った途端、口の中でチーズのまろやかさと胡椒のピリリとした味がはじけた。一番美味しいかもしれない。たまらずもう一口頬張ろうとし――、
「こほん」
ジェシカが小さく咳払いをする音が、聞こえた。
何かと思って見やると、イユに意味ありげな視線を向けていた。サンドイッチを頬張り続けていたイユは、遅ればせながら気づく。そういえば、お茶会は社交の場だと言っていた。
ちらりと見やれば、フェフェリが遠くで困った顔を向けている。今回ばかりはジェシカに対してではない、イユに対しての困惑だろう。
まさかと思い耳を澄ませば、指を鳴らす小さな音が連続して響いていた。耳に意識をさせなければ、異能は効力を発揮しない。後でレッサに何を言われることやらと思いつつ、何とか平静を装ってサンドイッチから手を放す。
「お味はいかがかしら?」
「美味しいわ」
即答するイユに、ジェシカは「そうでしょうね」と言わんばかりだ。あれだけ食べていて、不味いという感想を抱ける方がおかしいだろう。
「お食事は普段あまりされませんの?」
丁寧な口調だが、要するに「飢えているのか」といわれているのと同義だ。馬鹿にされているような気分だ。だが、あれだけ食らいついた以上、見栄を張るだけ、空しいだけだった。




