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カルタータ  作者: 希矢
第四章 『コノ素晴ラシイ出会イニ感謝ヲ』
39/1006

その39 『握られた手』

「目、覚ました」

 目を開けても、視界はまだぼんやりとしていた。蒼色の瞳が目の前で揺らいでいる。少し待つと、ようやく覗いている刹那の輪郭を捉えることができた。

「よく生きていたな」

 視界の端に、レパードらしき姿が見える。帽子をくしゃりと抑えながらも、横顔をちらりとイユへと向ける気配がした。

「ここは……」

 はっきりしない頭で、尋ねる。

「寝ぼけているのか。まだセーレの中だ」

 セーレという言葉を頭の中で繰り返す。異能者施設を脱して、汽車に乗り込み、イクシウスの都市インセートを抜けて、辿り着いた場所だ。このままセーレに乗って、安全な場所まで逃げることができれば良かったが、そうはいかない。烙印を見られたせいで、イクシウスの関係者だと疑われてしまった。


 リュイスのものだろう。遠くで布を絞るような音が聞こえた。

「刹那」

「うん」

 布は刹那へ手渡され、イユの額へと触れる。

 冷たい感触が伝わって、気持ち良さに目を細める。

「イユ、気分は」

「……へ、いき」

 体は熱くてだるかった。ナイフに塗られていた毒が、まだ体内に残っているのだろう。

「平気じゃないですよ。ずいぶんうなされていたじゃないですか」

 リュイスに言われて、改めて夢を見ていたのだと思い返す。異能者施設にいた頃の夢は、まるで毒そのもののようにずっしりと重くのし掛かってくる。それは目が覚めてもまだ続いているのか、手一本動かすのも辛い。

「それにあの毒なら、普通は死んでいます」

 死という言葉が過ぎったとき、急に頭が動き出した感覚があった。その感覚に突き動かされるままに、改めて身体の回復を異能で早めはじめる。結果的に、烙印を消す際に傷を治そうとしたことで毒が一時的に収まっていたのかもしれないと、予想したからだ。

「私、夢で何か言っていたかしら」

 うわ言を聞かれてはいないかと、すぐに確認した。弱みを見せると兵士たちに鞭で打たれる。それはイユがあの施設で学んだことだ。そして、兵士や魔術師に怯える声は、弱み以外の何物でもない。

「大丈夫。何も言っていませんよ」

 その答えを聞いても、安心はできなかった。本当かどうかが、わからない。リュイスはこういうところでも親切心を発揮する人間だと分かっていたからだ。

「でも、よかったです……、イユさんまで死んでしまうかと」

 その声は本当に安堵しているように見受けられて、イユには違和感がある。昨晩まではイユを殺そうとした人々が、何故今になって命を助けようとしてくれるのかが、理解できないのだ。それどころか、今でも怪しい動きを見せたら最後、殺されるのだろうと知っていた。ならば、さっさとイユのことなど切り捨てればよいのに、彼らはそうしない。

「その方が良かったんじゃないの?」

 口に出した声が、思いの外震えていた。

「私なんていないほうが、あなたたちにとっては」

 指まで、小刻みに震えている。それがわかっていて、しかし隠すことができなかった。


 きっと、言うことを聞かない声や指は全て毒のせいだろう。合わせて、昨日の震えも全てが毒のせいだと思われると良い。間違っても、怯えて震えているのだとは思われたくない。


「そんなこと、ない」

 刹那が震えに気付いてか手を握ってくる。彼女の手は、額の布と同じくらい冷たい。

「そうです。一人でも多く助けられるなら、それに越したことはないです」

 リュイスの言い方が、気になった。

「他の連中は、どうなったの?」

 ナイフでの襲撃。その被害者が他にもいるのかもしれないと、そう気が付いたからの質問だ。よくよく考えてみれば、見張りがいたはずなのに、侵入を許したのはおかしい。

 案の定、リュイスから悲しそうな返答がある。

「見張りのレイファとマシルが……」

 その二人は死んでしまったということだろう。レイファと聞いて、深緑色の三つ編みの少女を思い起こす。本当に一言挨拶を交わしただけの仲だ。そしてもう会うことはなくなった。人の死はいつ耳にしても、あまりにもあっけない。確かリーサが、格好良い人だと憧れていたと、記憶の断片を掘り起こす。彼女はショックを受けているのかもしれない。

 刹那が肩を落とす。

「レイファ……。毒に早く気づいていれば、助けられたかも」

「あまり、自分を責めるな。解毒剤もないのに生きているこいつが不自然なんだろ」

 レパードの言い方だと、まるでイユが悪いかのようだ。思わず反論しようと乗りだしたところで、咳き込む。

「レパード、ひどい」

 刹那にさすられる。

「悪かったよ。にしてもお前の異能って毒にも効くんだな」

「みたいね」

 咳をしながらも、どうにか答える。声が枯れているが、話せないほどではないようだ。

「みたいって、お前の能力だろ」

「そうだけれど、なんとなくで使っているだけだし」

 細かい仕組みを把握して使っているのは魔術師だ。異能者ではない。

「それに、こうしていろいろ使いこなせるようになったのは、最近なの」

「レパード。イユ、休ませる。お喋りばっかり、だめ」

 刹那がレパードに注意をするのを聞いて、イユも口を閉じた。正直声を出すのも辛かったから、助かった。

「分かったよ。とりあえずリュイス、修理の状況を聞いてきてもらっていいか」

「はい」

 リュイスが出ていく気配がある。部屋に一人いなくなっただけで、途端に少し寒々しくなった。刹那が気がついたように毛布を被せてくる。

「レパードは、どうする?」

 仕方ないと言って、レパードがその場に座り込む音がする。

「刹那だけじゃ心配だからな。俺は見張らせてもらう」

「私、心配?」

 何を思ったのか目の前にいた刹那が取り出してみせたのは、ナイフだった。きらりとその刀身が光る。身体が強張るのを感じた。緊張のせいでか、再びむせてしまう。

 レパードの苦笑が遠くで聞こえた。

「お前の腕を疑っているわけじゃないさ。保険だ、保険」

 ナイフを取り出されたイユとしては、生きた心地はまるでしない。それなのに何を思ったのか、レパードに対して頷いた刹那が振り返って言うのだ。

「わかった。イユ、寝ていていい」

 生憎、全くそのような気分にはなれなかった。寝ている間に刺されるかもしれないと、そう考えたわけではない。それでも一瞬立ち戻った死への恐怖に意識がはっきりしてしまった。

「刹那はいい加減ナイフをしまえな」

 レパードに注意されて、刹那がナイフをしまう。それから温かい飲み物を持ってきた。

 温度差の激しい対応に戸惑いつつも、ココアを口にする。心が落ち着いてくるのを感じると、大人しく目を閉じた。イユを殺す気なら初めから毒の治療などしない。頭ではわかっていたが、再度そう自身に言い聞かせる。


 セーレは、あそことは違う。ベッドもあるし悪臭はしない。誰かのうめき声や泣き声が聞こえることもない。それどころか傷ついていれば助け合い、不必要な暴力に晒されたり食事を奪い合ったりすることもない。ここにいるのはきちんとした人間だ。


 まだ体力が回復していないのだろう。そうしたことを考えるうちに、いつの間にかイユの意識は落ちていった。





 目を覚ますと、視界が真っ暗だった。視力を調整し、時計を探す。

「ん、イユ。起きた?」

 先に刹那の蒼い目と目が合った。

「今、何時?」

 出した声は、思いの外しっかりとしていた。

「夜十時ぐらい」

 烙印の件から少なくとも一日が立っていると気づく。思った以上に、体が疲弊していたのかもしれない。

 刹那がイユの額に手を当てる。

「ん、大丈夫っぽい。気分、どう?」

 体は重たくない。痛覚を超えて感じた熱っぽさもない。感覚を思いきって、人並みに戻してみる。背中の痛みがかすかに疼くぐらいなものだ。

「悪くないわ」

 体をゆっくりと起こす。いびきが聞こえたので見ると、レパードが地べたで寝ていた。見張ると言っていたが、これでは刹那のほうが立派な見張りになる。

「食べ物、どうする?」

 刹那が籠を取ってきた。レパードが持ってきていたものだ。

「食べたいわ」

 中に入っていたのはクッキーと生ぬるい水だった。それと、針と糸と黄色の布である。本当に持ってきていたらしい。

 クッキーをかじりながら、刹那に聞いてみる。

「イニシアまであとどれぐらいなの?」

 彼女ならいろいろと答えてくれるような気がする。

「明日には、着く」

 思っていた以上に到着が早くて、むせそうになった。

「大丈夫?」

 さすろうとする刹那を押しとどめる。少しは情報収集をする時間があり、多少はインセートまで行くための手段について考えられると思っていた。まさか寝ただけでこの飛行船とお別れになるとは思ってもいない。

「リバストン域は順調に抜けられそうなのね」

 聞くと、首を横に振られる。

「予想以上に船、ボロボロ……。できればイニシアで本格的に修理しないと、だめ」


 とはいえ話を聞く限り、気づいたら船が墜落しているということはなさそうだ。イニシアについてしまえばあとはもうセーレとは関係ない。修理についてはどうでもよい話だ。

 レパードにはまだ文句を言いたい。出来る限り、インセートへと連れて行ってもらえるよう説得したい。しかし殺されないだけでも感謝しないといけないのだろうとも思う。


「イユ、考え事?」

 刹那に聞かれて「ええ」と頷く。

「刹那は、この船にはどうやって乗ったのかしら?」

 参考になるかはわからない。それに答えてくれないかもしれない。

 だが、約束は破棄されたといったのはレパードたちだ。大人しくしていたが、もうその必要はない。情報を探ってもよいだろうと判断する。

「お願いした」

 素直に答えが返るが、簡潔すぎていまいちわからない。

「ギルドの伝手で教えてもらって、お願いした」

 イユの表情を読んだのだろう。刹那から補足がある。

「ギルドはどこにあるの」

 民間組織と言っていたはずだ。たびたび聞くその言葉に縋りたくなったが、その返答は今のイユには届かないものだった。

「イクシウス以外の場所」

 そういえば、リーサもギルドとイクシウスは不仲だと言っていたと思い出す。イクシウスにないというのはその所以かと苦く思った。

「刹那ならイニシアからどうやってインセートに渡るかしら」

 届かないものにすがることはできない。イユにとって今一番大切な質問をする。

「船に乗せてって、お願いする」

 しかし、返ってきた答えはあっさりしているだけに厳しかった。それが簡単にできるなら苦労はしないだろう。

「……でも、刹那がもし異能者だったなら?」

 答えが出ないのか、首を傾げられてしまった。

「私、異能者じゃない」

 こうなると、刹那からの情報収集を断念する以外なかった。確かに素直に答えてくれるものの、聞けば聞くほど絶望しか見えてこない。代わりにもう一つのやりたいことをやってしまおうと決める。とうに眠気は取れてしまった。立ち上がろうとして、止められる。

「動くの、早い」

「もう平気よ」

 納得いかないのか、首を横に振られる。

「……裁縫がしたいの。明日までにやらないと」

 縫えなくなる。

「暗いのに?」

 刹那の疑問は最もだろう。

「大丈夫よ、視力は調整できるの」

 しぶしぶながら刹那が黄色のドレスを取ってくる。

 唯一の見張りもいなくなり動き放題だと感じたが、逃げようとは思わなかった。逃げたとしても船の中だ。行き場はない。

「はい」

 刹那に渡されて縫い始める。修繕箇所は思った以上に多い。それら全てを綺麗に直すのは無理だろう。とはいえ、できるだけ頑張りたい。

「イユ、裁縫すき?」

 ベッドに座りながら作業をするイユの前で、椅子に座る刹那がじっと観察している。

「この裁縫はね」

 イユの言い方が不思議だったのだろう、首を傾げられる。

「リーサに教えてもらった裁縫は好きよ。前までいたところに比べたら……」

 先の言葉が上手く紡げなかった。どうしたことか、あの施設にいたときのことがうまく口にできないことがある。恐怖が這いずり、イユの口を塞ぎにやってくるのだ。

「前まで?」

 怯えるなと、心の中で叱咤する。もう過ぎたことなのだから、淡々と事実を言うだけで良いと自身に言い聞かせる。

「延々と同じものを縫うの、それだけ」

 ようやく紡いだイユの言葉に何を思ったのだろうか、刹那は特に言及してこなかった。

 沈黙のなか、針が進む。


「完成ね」

 服を広げてみる。完璧とまではいかないが、これが限界だ。

「イユ、早い」

 刹那が感嘆の声をあげる。

 彼女に衣服をしまってもらいながら、――――立とうとすると止められた――――、ふと聞いてみる。

「リーサは、今どうしているの」

 泣いていたリーサが浮かぶ。あの涙は、どういう意味の涙だったのか、イユには分からない。

「会っていない。会いたい?」

 自問して、分からなかった。会いたいような、会うのが怖いような感覚がある。

「……リーサ次第ね」

 そう言いつつ、もう会う機会はないのだろうと考える。明日にはセーレと別れるのだ。リーサだけでなくマーサやクルトとも二度と会うことはない。ぽっかりと心に穴が開いたような感じがする。たった数日間のことだ。にも関わらず、イユの心の中でそれらは大きな位置を占めていることに気付かされる。

「イユ、悲しい?」

 何かを感じ取ったのだろうか。服をしまい終わった刹那がやってくる。

 一瞬、吐露しそうになった。

「……別にそんなんじゃないわ」

 自分の気持ちを両断するように言い切り、ベッドに横になる。リーサのことだけではない。レパードが言っていた言葉が再生される。


『どうしてお前がその暗示にかかっていないと言い切れる?』


 言い切れない。否定し切れるわけがない。心の中の漠然とした不安が消せない。自分が自分でなくなってしまう気がする。

 異能者施設から脱した後、雪原を歩きながら一体何度死にかけたことだろう。それでも逃げきれたのは、実は魔術師がわざとイユを逃がしたのかもしれない。そのはずはないと言い切りたいが、不安は悪い方向にばかり想像を掻き立てるのだ。リュイスと会ったことも、実は仕組まれていたことかもしれない。汽車の中でどうにか捕まらずにすんだのは、イユのことを予め魔術師から知らされていたからかもしれない。セーレが現れたときなんだかんだで逃げ切れたのは、魔術師の思惑があった可能性もある。

 龍族を乗せた船に魔術師の息がかかった者を潜伏させること。それが魔術師の目的でないと、どうして言い切れる……?


「刹那?」

 彼女の手の感触に、はっとした。

「こうすれば、悲しいのなくなる」

 そう、優しくイユの手を握ってみせる。

 悲しくなどないと言ったはずなのだ。

「……別にいらないから」

 そう答えつつも、彼女のその冷たい手を振り払う気が起きなかった。決して安心したわけではない。不安は消え去らない。

 けれども、イユは知らないうちに眠りにつく。


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