その387 『感謝の念』
「……だが、お前にしかできないこともある」
レパードの言葉に、レッサがきょとんとした顔をする。
「明日のお茶会だが、お前自身も用心しろよ」
その言葉に、聡いレッサは、すぐに悟った顔をする。
「『魔術師』ですね」
レパードは頷いて返した。
「あいつらは、他人の心を変えることを何とも思っていない。イユもそうだが……、レッサ、お前自身が狙われる可能性も十分あるんだ」
勿論、レッサがイユを心配して、同行を申し出たことはよくよく承知している。しかし、『魔術師』の狙いは、何もイユに限らない。ましてや、レッサは妙にジェシカに気にいられたからこそ、用心は必要だ。
「矛盾するようだが、いざとなったらイユを頼れ。戦いならあいつの方が上だ。だが、あいつはそれ以外はからっきしだからな。フォローしてやってくれ」
心得ているというように、レッサが頷いた。
「わかりました、適材適所ですね」
「そういうことだ」
それから、ふと頬を緩める。
「……こうしていると、何も変わらないなって思います」
「?」
よくわかっていないレパードに、レッサが続けた。
「十二年前、僕ら以外に飛行機関が分かっている人がいなくて、必死にセーレを飛ばした頃とです。あのとき、船長がジルを雇ってくれましたけど、ジルとうまくいかないことがあって」
レパードも当時の話を思い出して、苦笑いした。
「あぁ、あの時な」
ジルが子供に飛行機関を任せるなんてどういう船だと泡を吹いて怒鳴りに来た頃が懐かしい。正論だが、他に飛行機関をいじれる者がいなかったのだから仕方がなかったのだ。
「ジルが一人で飛行機関を受け持とうとしたあれか」
当然、一人で飛行機関を動かすなんて芸当は、機械マニアのライムでも無理な話だ。それが分かっていたから、人を寄こせと再三押しかけられたが、飛行機関を預けられるほどの腕の持ち主が他に雇えなかったのだから、どうにもならなかった。
「そうです。『子供の玩具じゃないから飛行機関には触るな』ってジルが怒って。それを受けたライムが、『自分から飛行機関を取り上げようとする悪魔がいる』って言って、ものすごく怒りだして、口論になって……。そんなとき、船長が宥めてくれたんです」
「俺が?」
ジルの様子はよく覚えているのだが、そのときレパード自身が何を言ったのか、不思議なことに全く覚えていなかった。
「はい。『子供には子供の、突飛な発想ができるという武器があるんだから、ジルはそれをうまく使うべきだ』って。『人手不足なのは変わらないのだから、とにかく周りを頼れ。ここにいるのはただの子供たちじゃないから、まずはきちんとそれを認めてやれ』って」
思い出したように笑うレッサが、「そのときのジルの台詞を覚えてますか?」と聞いた。
「いいや、全く」
「『この鬼が!』って言っていました。船長は鬼じゃなくて『龍族』なんですけれどね」
そこまで言われると、当時のジルの叫びが、頭のどこかで蘇った。確かに、当時は大変だったが、今となってはこの話も思い出話だ。今のジルは、ライムやレッサ、ヴァーナーたちの腕を認めているし、手が足りないときは時々クルトも呼んで手伝わせている。あの時は血気盛んな印象だったが、飛行機関が安定しだした頃には、随分と話の分かる男になっていた。
(今となっては、か……)
正確には今はもう、セーレの飛行機関は灰と化している。それに気づいて、レッサにつられて笑いかけた笑みが引っ込んだ。
「あのとき、ジルが船長に掛けられた言葉と、今回船長が僕に掛けてくださった言葉は、大元は同じ意味でしょう?こんな状況になっても、十二年前と変わらないものはあったんだなってそう思ったわけです」
レパードの様子を見つめながら、レッサは三日月形に目を細めて、嬉しそうに言葉を紡いだ。その姿は、頼れなどという助言はいらないのではないかと思わされるほどには、レパードよりもずっと先を進んでいるように思えた。
「そして、それは船長がこうして来てくれたから、実感できたことです」
レッサは、レパードへ言葉を贈る。それは、まがいなき本音であった。
「船長、生きていてくれて本当にありがとうございました」
心からの感謝の言葉に、レパードは頭を掻いた。最近の子供たちはレパードを揃って泣かせようという作戦でも立てているのではないかと、疑いたくなる。
「大袈裟な奴だ。俺は襲われたセーレにはいなかった。目と鼻の先の都にいただけだ。無事に決まっているだろ?」
「ですが、刹那は帰ってきませんでした」
繕ったつもりで、レッサの返答に詰まった。確かに刹那は帰ってこなかった。彼女が裏切り者だったからだ。それは分かっている。だが、大事な仲間が一人欠けたという事実は、変わらない。それに、傷だらけで死にかけたのは、イユだけではない。斬られた傷は、まだ塞がりきってはいない。レパードもまた、無傷ではすまなかった。
「船長は、自分が船長になることを嫌がってましたけれど、でもセーレを立て直すには、やっぱり船長がいないと駄目なんです」
先を見据えた目で、レッサが紡ぐ。それは違うと、レパードは否定したくなる。レパードは、あくまで代打だ。セーレにあるべきは、カルタータの彼らであるべきだ。
「その意味でも、本当に良かったです」
そう断言するレッサは、「俺なんていても仕方がないだろう」という、レパードの言葉などまるで意に返さなかった。
「船長ならそういうと思っていました」などと、軽く返される。
「でも、セーレは、今となっては船長あってのセーレです。それを認めてください」
あくまでも、彼らは、レパードを必要とする。それが嬉しいのか苦しいのか、レパードにはよく分からなくなった。それでも、全面的に認めてはいけないと、本能が告げる。
「違う。お前たちが主役なんだ。ありがとうって言ったがな」
帽子を手でくしゃくしゃと潰した。しかし、まだこの言葉を紡ぐには、足りない。
「それは俺の台詞だ、馬鹿」
真っ直ぐに見つめるレッサの視線に耐えられなくて、その髪をごしごしといじった。




