その386 『夜のバルコニーの男たち』
レパードが物音に気付いて目を開けると、薄闇の向こう側にいるはずのレッサの気配がしなかった。
「レッサ、起きたのか?」
念のため声を掛けるが、返事はない。やはりここにはいないのだろう。どこかへ、出掛けたのだ。
(レッサのことだ、よっぽど大丈夫だとは思うが)
レパードが見る限り、クルトやレッサたちの方がレパード自身よりずっとセーレの襲撃に関して、落ち着いて受け止められているように見えた。それは、二人がレンドやミスタと一緒にいたこともあるだろうし、シェルが一命を取り留めたこともあるだろう。
それに、彼らが元々しっかりした人物であることも承知している。だから、今ベッドから抜け出したとしても、ちょっと風を浴びてくる程度のことに違いない。ほおっておいても大丈夫だろう。
(……そうはいかないな)
それでも、二人はまだ幼い。特に、レッサは仲良くしていたヴァーナーの安否が分からなくなっている状況だ。それで、何ともないなんてことはあり得ない。他でもない、本人が言っていた。自分はいつもヴァーナーの隣にいるだけだと。あんな話を口にするのだ。強がっているだけだろう。
レパードは、ベッドから起きると、階段を登った。何故だろう。レッサならバルコニーに出ている気がしたのだ。
階段を登った先で、見慣れた金髪が窓ガラス越しに映った。レパードの予感が当たったことを意識する。すぐにバルコニーに続く扉を開け放つ。
「レッサ、寝なくていいのか?」
レパードが声を掛けると、初めてレパードが来たことに気が付いたように、レッサが振り返った。風になびいた金髪が、金糸のように頬を流れていく。
「船長。すみません、起こしてしまいましたか?」
察するに先ほどの物音が、レッサの移動した音だろう。そうなると、レッサがバルコニーに出てから時間は大して経っていないことになる。一人で考える時間が欲しかったのだとしたら、逆に悪いことをしたかもしれない。そんなことをちらっと考えた。
「いいや、気にしなくていい。……眠れないのか?」
レッサは人差し指で頬を引っ掻いた。
「……はい。いろいろなことがあったものですから、目が冴えてしまって」
素直な答えに、レパードは「それもそうだよな」と同意する。
「俺も今回のことは、さすがに堪えた」
「船長も?」
レッサからみて、レパードはどのように映っているのだろう。意外そうな響きに、レパードはただ頷く。
「そりゃそうだろ。帰ってきたら、セーレがもぬけの殻で燃えているんだ。お前たちも驚いただろ?」
少し茶化した言い方をしたせいだろう。レッサの張りつめた緊張の糸が少し、緩んだ気がした。
「……そうですね。本当に驚きました」
レッサはバルコニーから外の景色を見やった。暗闇で何も見えないはずの外に、何を見ようとしているのかは、レパードにはよく分からなかった。
「驚きすぎて……、頭が真っ白になりました」
その声が少し上擦っていたから、レッサが強がっているだけなのだと、逆に分かってしまった。
「……ヴァーナーのことが、心配か?」
手すりを握りしめたレッサの手に、力が入っている。
「……はい」
押し殺した声を聞いて、声を掛けてよかったと思った。レッサはきっと、この動揺を表に出そうとしない。特に、年下のクルトやイユの前では猶更だろう。レッサの気持ちを吐露できる場を用意するのが、大人たちの義務だ。
「クルトたちの前ではああ言いましたけど、ヴァーナーは一人だと慎重なのにリーサのことだけは前に出ようとしますから」
ある意味、自分の心を守ろうとする行為なのだろうと、レパードはヴァ―ナ―の行動をそう解釈している。レッサも、同じなのかもしれない。レッサはいつもヴァーナーを隣で見てきたからこそ、ヴァーナーの行動原理がよくわかっている。
「……そうだな」
「心配してもどうにもならないってことはわかっているんです。セーレはもぬけの殻だった。それは骨も残らぬほどに燃えてしまったか、ヴァーナーたちがどこかに連れ去られたかの二択です。僕は、炎の広がり具合から後者だと睨んでいます。イユが持ってきたカメラのメッセージを見て、余計にそう確信しました」
きちんと分析できているあたりは、さすがのレッサだった。動揺のあまり景色も満足に見られないレパードとは違う。レッサは、どんな状況でも理性で判断できる人間だ。
「それなら、あとは探すしかないな」
「そうですね。道は見えてきたんです。あとはしがみついてでも、探すしかないですね」
すみません。そうぽつりと、レッサが呟いて、レパードに向き直る。なるほど、星の光に僅かに照らされたその素顔は、飛行機関の前で埃にまみれされるには勿体ないほどに、整っている。女の、ましてや子供の嗜好はよくわからないが、こういう線の細い美形を好むものなのだろう。
「余計な心配を掛けてしまいました。やることははっきりしているんですから、僕は大丈夫です」
「やることがはっきりしていても、心が追い付かないことはあるだろ」
レパードの言葉に、レッサは大人しく頷いた。
「はい」
「俺が言えた義理じゃないが、お前は一人じゃないんだから、俺らを頼れ」
言いながら、柄じゃないなと自嘲する。肝心な時にいなかったのだから、説得力がないにも程がある。
だが、レッサはあくまで素直に頷き返した。その素直さが、レパードには眩しいほどだ。
「はい」
眩しいからこそ、歪んでほしくないのである。




