その384 『夜のバルコニーの女たち』
次に気が付いたとき、イユの周囲は真っ暗だった。イユはもぞもぞと体を起こす。知らない間に、眠りに落ちていたらしい。
(今は何時なのだろう)
洞窟のなかだと、魔法石の光が見えない限り、いつみても夜と変わらない。イユは時計を求めて目に意識を凝らした。ぼんやりと浮かんだ時計の振り子が、左右にゆらゆらとゆれている。端に行き着く度に、カタカタと音を立てた。時計の短針は、数字の二を指している。今が午後ということはないだろうから、深夜の二時だろう。まだ起きるには早い時間だ。
再び寝ようとしたところで、天蓋の向こう側がやたらと静かなことに気が付く。身を乗り出して、クルトが寝ているはずのベッドを見るが、中はもぬけの殻だった。
(眠れずに、どこかにいったのかしら?)
クルトのことだから、何か珍しいものでも見つけて作業をしているかもしれない。それでは、朝まで夢中になる可能性がある。早朝、ギルドに赴くのが辛くなるだろう。
イユは、ゆっくりと体を起こした。周囲を見回すが、どこにも人の気配がない。今の時間に部屋の外に出ているとは考えにくいから、二階だろうか。思案したイユは、ふらふらと階段を登った。
「クルト、こんなところにいたのね」
イユがクルトに声を掛けたのは、バルコニーだった。手すりに寄り掛かっていたクルトが、イユの声に驚いたように振り返る。その金髪が風になびいて、心なしかいつもより寂しそうに見えた。
「あれ、イユ?」
「眠らなくてよいのかしら?」
クルトは首を振った。
「なんか、ずっとこんな天井でしょ?どうにも寝付けなくてさ」
クルトが指を指した先には、洞窟の岩壁が広がっている。街の中でも最も低い場所にあるこの屋敷では、光は殆ど射さない。代わりに、魔法石のきらきらとした小さな光が、星のようにちらついている。
「分からなくもないわね」
同意を示しながら、イユもバルコニーの手すりに寄り掛かる。バルコニーからは、ウルリカの花が咲き乱れた庭が見えている。クルトの視力では真っ暗で何も見えないだろうが、イユにはわかる。赤や青、黄色、そして白色。あらゆるウルリカの花が咲き乱れ、群れている。その花が、まるでここにいる領主の力の大きさを示しているようにも見えた。
「明日、大丈夫?お茶会なんてらしくもないところに呼ばれちゃってさ」
クルトもまた、イユの心配を読んだように、そう話を振った。
「仕方ないでしょう。こっちが何を言っても、断るという選択肢はなさそうだったし」
「まぁ、そうだよね。怒らせたら怒らせたで、今からシェルも連れて立ち去れ、ぐらいは言われそうだよね。シェルを運ぶのは本人の負担になりそうだからなぁ」
クルトが、ジェシカを想像して、頭を掻いた。
「ボクは正直、あの子苦手だなぁ。『魔術師』だから危険っていうより、頭がお花畑な感じがしてさ」
イユはその発言に目を丸くする。
「意外ね。クルトはそういうの、気にしないタチだと思っていたわ」
最も言いたいことはわかる。あれが演技なのかもしれないから、まだ断定はできないが、レッサに惚れて恋敵を排除しようとするなど、考えが分かりやすいのだ。それが幼いですめばその通りだが、同じぐらいの年のワイズを見ているだけに、どうしても比べてしまう。悪く言えば我儘だ。よく言えば、無垢である。だから彼女が領主という時点で、マゾンダの街の将来を、不安にさせられる。
それはそうと、クルトは、他人は他人、自分は自分と割り切っている人間だと思っていた。だからこそ、苦手だという感想は抱かないだろうと。
「うーん、まぁ確かに気にするのがボクらしくないか」
煮え切らないクルトに、イユはふと、ジェシカと面会したときのクルトの様子を思い出す。
「ひょっとして、フランドリック家が絡んでる?」
姉がフランドリック家の片割れに勤めているからこそ、思うところもあるのかもしれない。そんなイユの考えに、クルトは頭を掻いた。
「うーん、どうかなぁ。姉さんのことを想うと確かに複雑だけどさ」
自分でもこの感情をよくわかっていない様子だ。
「まぁきっと、ボクも疲れているんだよ。気にしないで」
「らしくないわね。クルトは疲れ知らずだと思ったわ」
普段の生活を思い浮かべて指摘するイユに、クルトは首を横に振った。
「いやいや、ボク、そんな無敵じゃないからね?異能を使えるイユじゃあるまいし」
ぶんぶんと首を振り続けているクルトに、イユは首を捻った。
「クルトは、なんだかちょっと変わったわね」
クルトの動きが、その言葉にぴたっと止まる。
「そう?」
「クルトは、もう少しこう、あらゆることにさっぱりしている印象だったわ。シェルを見て泣きそうな顔をしていたの、ちょっと驚いたもの。クルトは、死んだら死んだとき、みたいな割り切りがあった気がして」
「そんな、ボクを血も涙もない人間みたいに言わないでほしいんだけど」
確かに、言い方が悪かったかもしれない。
「まぁ、イユの言いたいこともわかるよ。ボクは確かに、『人間死ぬときは死ぬとき』ってどこか割り切っているからさ」
クルトが認めたので、「ほら、そうでしょう?」というと、はっきりとむくれられた。
「いや、だって、そう思わない?永遠に生きられる人間なんていないんだよ。それなら、限りある生を、どう生きるかが問題だと思うんだよ」
「一理あるわね」
母からの暗示に掛かっていた頃は、死ぬことなど絶対に考えられなかった。けれど、今、イユの暗示は解かれ、そして、どうしたいかを考えることになった。だから今なら、クルトの言いたいことも頭ごなしに否定することはしない。
「そうそう。だからボクはやりたいことだけに時間を費やして、できるだけ毎日を楽しく生きたいんだって」
とてもクルトらしい意見に、イユは反目する。要するに、クルトは、自分の興味の惹かれるモノづくりさえしていれば満足なのだろう。
「……やっぱり今の言葉を撤回するわ」
一理あるわけがない。こんな思考の持ち主、ライムと何も変わらない。
「えー!いいじゃん。夢じゃん、やりたいこと尽くし!」
何だかクルトが喚いているが、イユは意見を変えてやるつもりはない。そう思ったところで、クルトが付け足した。
「イユにだって、やりたいことぐらいあるんじゃない?」
イユのやりたいこと。言われたイユに浮かんだのは、母の言葉だった。曰く、『自分に誇れる自分になりなさい』。
「……私は、セーレの皆を助けたいわ。一人も欠けずに、全員で集まるの」
零れた言葉に、クルトの目が一回り大きくなった。
「イユ、それは多分……、難しいよ」
イユは唇を噛みしめた。改めて言われると、悔しい。
既に死んでいる可能性が高い。リーサみたいに無力さを痛感するだけだ。
そんなことは、承知している。それでも、イユがやりたいことを本音で述べると、こうなってしまうのだ。
「それがどれだけ難しいことか、言われなくても分かっているわ。けれど、私は全力を尽くしたいの。誰も取り零さず、救いたいのよ」
握りしめた手が白くなっていることぐらい、夜の闇が深くてもクルトは気づいただろう。




