その383 『お屋敷の寝室』
「うわっ、凄い」
先に入ったクルトの声が響いた。イユも、思わず感嘆の溜息をつく。通路の先、まずイユたちの目に飛び込んできたのは、5人は一緒に寝れるのではないかと思うほどの大きなベッドだった。天蓋から零れたレースカーテンが、そのベッドの大きさを更に主張している。驚くべきは、そのベッドの更に向こう側にももう一つ同じベッドがあることだ。セーレの個室なら間違いなく片方のベッドが入っただけで足の踏み場もなくなりそうだというのに、ここでは当たり前のように二つもベッドが置かれているわけである。
ベッドの反対側には、大きな鏡のついたドレッサーが用意されているが、そのドレッサー自体がぴかぴかと輝いていた。手前の引き出しも、棚の上に置かれた照明も、イユが見てもはっきりと高価だと分かるのが恐ろしい。
引き込まれるように中に進んだ二人は、ベッドの奥に階段があるのに気が付いた。登ってみるとその先に、ソファとテーブルが置かれた部屋がある。その先にはバルコニーもあった。
「入浴は、こちらの部屋をお使いください」
テーブルとは対面の場所にある部屋を指して、シェリーが礼をする。中は、イユの知るシャワー室とは大きく違っていた。まず、広かった。その場で手を広げてくるりと回ったとしても体が壁にぶつからない。おまけに、その床は全て大理石でできていて、高級感に溢れている。大きな部屋にぽつりと置かれた真っ白なバスタブがきらきらと光っていて、その前にたてかけられた全身の映る鏡は、ぴかぴかに磨かれていた。
「何か御用がありましたら、こちらのベルでお呼びくださいませ」
最後にシェリーが、扉の前にあるベルを紹介する。通信機器のように会話はできないが、シェリーがどこにいてもベルが鳴ったかどうかわかる仕組みが用意されているらしい。
「それでは、お休みなさいませ」
シェリーが礼をして、帰っていく。一通り説明を聞いたイユは、あまりの部屋の豪奢さに、暫くぼおっとしていた。
「イユ」
クルトに呼びかけられてはっとする。クルトが、目だけで頷いた。イユもシェリーの足音から彼女が遠ざかったことを確認して、頷き返す。
「話してもよさそうだね」
クルトは盗聴器の類がないかを、部屋の紹介の間に、チェックしていたらしい。
「そうね」
とイユも頷く。
「はぁー、もう本当にくたびれたよ。気を遣うことばっかりでさ」
敬語をろくに使えもしなかったイユたちだが、一応会話内容には気を付けていた。下手なことを話して、『魔術師』に情報を渡したくはない。レパードは耳を隠していたし、イユも『異能者』であることは伏せてある。最も、ワイズには事情がばれているので、それ以外のことはオープンだ。ワイズもレパードのことを『龍族』だとかイユが『異能者』であるだとかは言い出さなかったあたり、気を付けているのだろう。代わりに『手』のことは言うなという無言の圧を感じたが。
「本当に。おかげさまで、さすがに眠いわね」
欠伸を押し殺すイユに、クルトが目を向けてきた。
「船長がやたらイユのことを気に掛けていた感じからして、相当無理したんじゃない?」
「……ちょっと、二人を背負ってマゾンダの街まで歩いたぐらいよ」
異能のせいで足の腱が切れていても歩いていた話は、しないでおいた。心配する者をこれ以上増やしても仕方のないことだ。
「念のため聞くけど、まさか砂漠のなかを二人を背負いながら歩いたの?」
それでマゾンダの街までの話を代わりに持ち出したわけだが、何故か向けられる視線の種類が変わらない。
「そうよ?」
「あぁ、なんとなく察したかも。そりゃ、船長は立つ瀬ないね」
クルトは呆れたように肩を竦め、「早く寝なよ」と声を掛ける。
「お風呂は朝入ればいいしさ。ボクは早朝から動きたいから、先に失礼するけど」
「分かったわ。先に寝かせてもらうわね」
イユはすぐにベッドに飛び込んだ。感じたことのないベッドのふかふか具合に、身体が吸い込まれそうだ。
その間に、クルトがせっせとシャワー室のある二階に上がっていく。こうして思うと、誰かと一緒に同じ部屋を使うという経験は初めてだ。セーレは個室だったし、イニシアの宿は一時的に場所を借りただけで終わった。イルレレのように目が覚めたら誰かがいたという経験はあるが、それと今の状況とは少し違う気がする。
イユはそっとシーツを握りしめた。ベッドに体が沈み、その感触に疲れが一気に湧き出る。瞼が自然と塞がっていく。意識が落ちるまで、そう時間はかからない。
(……なんて、眠れるわけないわね)
シャワー室から零れる僅かな水の音を聞く。人の体は疲れ切ると、存外眠れないものだ。それなら疲れを意識しなければよい。そう思うのだが、今は異能を使う気分にはなれなかった。レパードが心配していたからというのもある。しかし、それ以前から感じてはいた。異能の使い過ぎは、体に無理をさせてしまう。だから、時折異能の力を切る。最も体を苛む痛みは無意識に追いやっているのだろう。そうでなければ、足の健が切れている状態で平然と歩くことはできないはずだ。
(自分の心配ばかりしている場合ではないわね)
どうしても、セーレの皆のことが気がかりだ。偶然、セーレが襲われたとき、クルトたちはその場から離れていた。だから、彼女らは助かった。そんな幸運が、他のセーレの皆にも与えられていると良い。そう願いたいが、そんな風に楽観的になれないのも事実だった。レッサの言うように、イユたちが努力することで彼らが助かれば良いのだが、イユにはどうしてもそんな安易には受け止められない。
(理想を語るつもりはないわ。けれど、出来れば一人でも多く助かってほしい)
シェルの命が助かっても、射抜かれた右目が治ることはないだろう。それを知っている。だからこそ、自分の手では救いきれないものの大きさをはっきりと意識する。そのうえで、可能性があるなら、その可能性にしがみつきたいと思った。




