その381 『ジェシカ』
イユはクルトの態度に、内心で首を傾げる。態度の急変に、気にならないと言えば嘘だ。少しして思い当たったのは名前だった。
フランドリック。それは確か、イクシウスの風切り峡谷でも聞いた名だ。他でもない、ラビリが話してくれたのだ。フランドリック家は、かつてイクシウスを裏切ってシェイレスタについた者と、イクシウスに残った者との二つに分かたれたと。前者の子孫が、目の前のジェシカらしい。後者はラビリが仕えている『魔術師』であるから、クルトとしては確かに複雑なのだろうと解釈した。
「私はギルド『セーレ』に所属する、レッサです。こちらが船長のレパード、そしてクルトにイユです」
レッサの挨拶に合わせて、レパードが席を立ち会釈する。その仕草を真似て、クルトとイユも辛うじて合わせた。
「レッサさまとおっしゃるのですね。良いお名前ですわ」
ただ、ジェシカにはレッサしか見えていない様子だ。そんな様子に、後ろで控えたフェフェリが冷や汗を流しているのか、一所懸命ハンカチで拭き取っている。少し同情してしまった。
「この度は、ワイズ様に私の仲間の治療を、ジェシカ様には仲間の為に寝所をお貸ししていただき誠にありがとうございました」
「そのようなこと。当然のことをしたまでですわ」
ワイズが、何とも言えないような冷たい視線をジェシカに送っているが、彼女はどこ吹く風だ。『魔術師』は他人からの視線に動じない教育でも受けているのだろうかと、首を捻りたくなる。
「そうだわ。レッサさまさえよろしければ、今晩は泊まっていかれて」
こちらから提案するまでもなく、ジェシカから言い出されて、イユたちとしては願ったりかなったりだ。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
何があるか分からないなと思いつつも、内心安堵する。なんだかんだで一番ほっとした顔を浮かべていたのは、レパードだった。レパード自身はイユたちに控えていろといっていたが、対応に自信がなかったのかもしれない。
そうやって、他人のことを考えていたのがよくなかったのだろう。気づいたとき、ジェシカはイユたちを凝視していた。
「ねぇ、もしよろしかったら、女子同士でお茶会をいたしませんですこと?」
ジェシカの突然の言葉に、反応が遅れる。
「……え?」
ぽかんと口を開けているクルトとイユに、焦れたようにジェシカが語りだした。
「わたくし、同年代の女友達とお話したことがありませんの。折角泊まられるのですもの。仲良く致しません?」
そうはいうものの、ジェシカの目に映るのは、敵意だ。桃色の瞳に宿る、ぎらぎらとした意思に、イユとしては身に覚えがない。どうして急変したのかと、額に汗が浮かぶ。
「しかし、お嬢様。もうご夕食の時間です」
フェフェリが止めに入ると、ジェシカがあからさまにむっとした顔をした。
「誰が今日お茶会をすると言いましたの。わたくしは明日以降で構いませんわ」
「申し訳ないんだけれど……、じゃなくて、申し訳ないんですけれど」
クルトがすかさず間に入ろうとして、敬語がうまく使えず言い直す。
「ボク……じゃなかった、私は明日ギルドに赴かないといけないため時間が取れないのです」
イユはすぐさま便乗する。
「私もそうよ」
レパードとレッサからの鋭い視線を受けて、さすがに口ごもった。
「……じゃなくて、私もそうです」
面倒な。そう思うが、これで敵に回さずにすむなら確かに楽なのだ。そう自分に言い聞かせる。
「あなた、レッサさまと同じ金髪のようですけれど、ご兄弟かしら?」
イユたちの発言を全く無視した唐突の質問に、クルトは何か感づいたように答えた。
「そう、ボクらは家族……みたいなものですよ」
『みたいなもの』という部分は、イユの耳に辛うじて聞こえるほどの小声である。
その言葉に安心した様子を浮かべるジェシカをみて、イユもようやく気が付く。ジェシカは女友達とお茶会をする気はない。彼女の目的は、敵の排除だ。つまり、イユたちはレッサの恋敵になりうると、勝手に判断されたわけなのだ。
年上の好きな相手ができた子供が、同じ年頃の女に敵意を抱くというのは、イユには経験がないのでよく分からないが、あり得なくはない気がした。しかし、相手が相手なだけに、微笑ましいとは微塵も思えない。『魔術師』であれば、魔術で人の心など容易く変えてしまえるのだ。却って子供なだけに、魔術が使えるならば、恐ろしい。
ジェシカは、兄弟と聞いた限りで、クルトのことは一旦は捨て置くことにしたらしい。ジェシカの視線が、くるりとイユに移る。
「二人ともがギルドに出掛ける必要はないですわよね?あなたがお相手下さらない?」
さらっと逃げたクルトに、恨みがましい視線をぶつけたくなった。
「ジェシカ様。大変申し上げにくいのですが……」
何と返答したものか悩んでいると、レパードが渋々とばかりに口を開く。
「彼女は、昔、『魔術師』様に怪我を負わされたことがございまして、そのときの心の傷が癒えていないのでございます」
レパードの慣れない敬語は、相変わらず似合わない。だが、今はこの敬語をあてにするしかなかった。
「まぁ、そうでしたの。……都の人攫いかしら。わたくし、同じ『魔術師』としてあなたに謝罪したいですわ」
ここはどう答えるのが良いのだろう。よくわからず、イユは「ありがとうございます」などと返していた。それを受けて、ジェシカがにっこりと笑う。
「ぜひお茶会にお招きして、『魔術師』が悪い者でないことを証明しなくてはなりませんね」
待て。どうしてそうなる。そう、大きな声で反論するところだった。レパードの助け舟がおかしな方向に転がっている。これでは、ジェシカの術中に嵌ることになる。
「待って、私はその……」
しかし、何と答えればよいのだろう。謝罪は不要ですなどと言うのは、失礼に当たるという奴ではないのだろうか?それなら、お気持ちだけで結構ですというところか。そこまで考えて、我ながら良い発言な気がしてきた。
敬語を何も知らないわりには、冴えている。リュイスの敬語を常に隣で聞いてきた甲斐があったというものだ。そう、強気になったイユははっきりと答えた。
「お気持ちだけで結構です」
ところが、ジェシカは譲る気がないようで、強気な口調を変えない。
「まぁ、そうおっしゃらないで。少しの時間で構いませんの。だから、ね?」
何が、「だから、ね?」なのだろう。そこまで押されると、なんと答えてよいのか分からない。むしろ、断れないようにわざと仕向けられた気がする。勝てない。そう、はっきりと悟った。『魔術師』相手に話術で勝てるわけがない。ブライトやワイズを見ていれば、既に知っていたことのはずだ。
「でしたら」
その場の空気を割って入ったのは、レッサだった。
「私の同行を許してはいただけないでしょうか?彼女はその、人前に出ることが滅多にない為、ジェシカ様に粗相をしてしまわないか心配なのです」
これぞ、救世主。そう拝みたくなった。しかし、よくよく考えれば、人前に出れば粗相をするとは、散々な言われような気もする。
戸惑った顔を浮かべたジェシカに、レッサは立て続けに言葉を掛ける。
「勿論、折角の女性同士のお茶会に水を差すようなことはしたくありません。ですから、給仕の方と一緒にお声が届かぬ位置まで下がっております」
ジェシカの口は、はっきりと「そ」という言葉を作って、固まった。察するに、「そんな、給仕と一緒にいるぐらいなら隣にいてほしいですわ」とでも言いたかったのだろうか。しかし、それでは自分自身が述べた「女子同士のお茶会」を崩すことになる。それで、言い方を変えたらしかった。
「そんな、申し訳ないですわ」
それから、ジェシカはにっこりと笑みを浮かべた。張り付いた笑みの裏で、何かを天秤にかけたようだ。想像するに、レッサの提案を断ってレッサの恋敵を倒すべきか、レッサの提案を受け入れてレッサが近くにいる状況を喜ぶべきかを比べたのだ。
「ですけれど、それでよいのでしたら、ぜひお言葉に甘えさせていただきます。本当は、お客様にそのようなことを申し付けるのは気が退けるのですけれど」
ちなみに後で聞いたところだと、ジェシカがレッサ相手にぞっこんなためにこの扱いだが、庶民であるイユたちは足蹴りされてもおかしくはない立場らしい。給仕の真似事などして当然ということだそうだ。とはいえ、これは、ワイズ談なので、ジェシカへの悪口も入っている可能性はある。
ちらりと、ジェシカがイユを横目に見る。そこに、はっきりとした敵意を感じて、背筋が凍る思いをした。それで、イユは気がつく。レッサに助けられたと思ったが、ジェシカからみると、レッサがイユを庇ったように見えたのではないかと。つまり、イユは全く望まないうちにはっきりと恋敵認定されてしまったようだ。
「あの……」
誤解を解かねばと口を開いたところで、ジェシカはにこやかに手を合わせた。
「それでは確定です。明日、招待させていただきますわ」
間違いなく、この場でイユの意見は求められなかった。その目は何も言うなと言っていたし、口を開こうものなら魔術で焼き殺されそうであった。
そういうわけで、何故かこれで、話が確定してしまった。どうしてだか、『魔術師』の少女相手に、平穏とは思えぬお茶会に呼ばれることになってしまったのである。




