その380 『主との面会』
ジェシカがいるという自室までが、また遠かった。長々と続く廊下を進んでいく。途中、階段を登ると、絨毯の色合いが深い緑色から若草色に変わった。踏みしめる感触の違いを感じていると、レパードからぼそりと声がかかった。
「待っていなくてよかったのか?」
「どういうこと?」
素で理解ができないイユに、レパードがぽつりとつぶやく。
「先にいるのは、『魔術師』だぞ」
レパードは、シェイレスタの都の地下で、イユの反応を見ていたから心配になったのだろう。しかし、正直なところ、言われるまで考えてもいなかった。シェルが助かったことや、クルトやレッサに会えたことに意識を取られていたのだ。
だが、レパードの指摘ももっともだ。この屋敷に来てからセーレの仲間に会えたとはいえ、それは屋敷の主とは無縁なところである。主が何を考えているかは、実際に会ってみないと分からない。
「平気よ。用心はしていくわ」
「……なるべく、控えてろよ」
レパードの言葉に、そっと頷く。レパードがいてくれると思うだけで、だいぶ安心感があった。
「クルトは、できるだけ静かにしているんだよ」
その隣で、レッサがクルトに同じように声を掛けている。
「え、なんで?」
無邪気に聞くクルトは、『魔術師』に対してイユほどには思うところはないようだ。
「君じゃまともに対応できそうにはないから……、敬語は苦手だよね?」
その指摘に、クルトが「えへへ」と笑ってごまかした。つまるところ、肯定だ。
「じゃあ、ボクたちは大人しく控えてよっか。ねぇ、イユ?」
振られたイユとしては、同じ敬語不得手仲間だと言われた気がして、むっとなった。残念ながら、その解釈は間違ってはいない。
「仕方ないわね」
イユの言葉に、にこにこと笑みを浮かべるクルト。仲間を見つけたことがそれほど嬉しいらしい。
ワイズがそんなクルトを見て、やれやれという仕草をした。完全に呆れている。
「こちらでございます」
フェフェリの声に、振り仰ぐ。彼は、ある扉の前に立っていた。その扉の先から覗く部屋に、イユは息を呑む。
天井から吊り下げられた、爛々と輝くシャンデリア。中央のテーブルには花が飾られ、テーブルも椅子も、つやつやと光っていた。
中に入ると、壁に掛けられたウルリカの花の絵に目を奪われる。赤い花が額いっぱいに描かれた絵、橙色のウルリカの花の背後で音楽隊が演奏をしている絵、洞窟の一角に咲き乱れる青いウルリカの絵。どれも写真かと見違えるほどの出来だ。
「それでは、こちらでお待ちください。私めは、お嬢様を呼んで参ります」
「頼みました」
フェフェリの言葉に、ワイズが頷いて答える。
その間も、見慣れない豪奢な部屋に、四人は目を奪われ続けている。
「わっ、凄い。この置時計、かなり精巧だよ」
クルトは、真っ先に、近くにあった古めかしい時計に張り付いた。この時ばかりは、レッサも目を輝かせていた。あの二人は、こうしたものに目がないようだ。
呆れた様子のレパードは、椅子に座ろうとし、その椅子の座り心地に驚いて再び立ち上がっていた。絵画を眺め終わったイユは、クルトたちに付き合いきれず、意味もなく暖炉の前に立つ。そこにも、額が飾られていた。複雑な幾何学模様の紋章に、目を奪われる。
ワイズは各々の様子を見ながら、「どうして騒げるのかが分からない」という顔で大人しく座っていた。
そんなふうにそれぞれが過ごしていると、時計の針が何回か、かたかたと動いた。
紋章にも見飽きたイユは、壁を背にして、周囲を見回した。こうして待たされると、『魔術師』は偉そうだななどと感想を抱く。
どうせ部屋を移動するのなら、本人の今いる部屋に押し掛ければいいのだ。と考えてしまうのだが、それを近くにいたレパードに告げたところ、「安心しろ。やっぱり、お前は庶民だ」と言われてしまった。何を安心しろというのか。レパードの言いたいことが、解せない。
そうしていると、ようやく、「トントン」とノックの音がした。
レッサがクルトを急ぎ古時計から引きはがし、椅子に座らせる。イユも大人しく隣に座った。
「はい」
一行が無事に着席したことを確認したレパードがそう声を張る。フェフェリの声が扉越しに返った。
「失礼いたします」
扉がもったいぶるように開くので、思わず身を乗り出してしまう。そこをレパードに肘で小突かれた。
「皆さま、お待たせしましたわ」
聞こえてきた声は、少女のものだ。高くてはっきりとした声は、耳に心地が良かった。
僅かな足音を立てて、声の主が入場してくる。初めに目に留まったのは、赤色の流れるような髪だった。そこに、小ぶりのウルリカの花が挿されている。白色が、程よく髪に映えていた。
身長は、イユより頭一つ分低い。ワイズぐらいだろう。ぱっちりと開けられた大きな桃色の瞳は、吸い込まれる心地さえした。ほんのりと紅をさした唇が、白磁の肌に映えている。見るからに柔らかそうな肌をふんわりと包むのは、若菜色のドレスだ。金糸で複雑な花模様の刺繍のされたドレスは、淡いながらも、豪奢であった。
にこりと、目の前の少女が笑みを浮かべる。途端に、雰囲気が和らぐのを感じた。可憐、その言葉がこれほど似合う少女も珍しい。思わず、ほぅっと息をつきたくなる。年はワイズぐらいだが、数年もすれば絶世の美女と呼ばれることだろう。
その少女の目がワイズを見つけて、吊り上がった。
「どうしてあなたがここにいるのですわ?」
その険のある口調に、可憐という雰囲気は木っ端微塵に吹き飛んだ。
「おや、僕がここにいてはおかしいでしょうか」
いっそ清々しいほどの声で、ワイズが返す。それが火に油を注ぐことになっているらしく、少女の手がわなわなと震えている。
「相変わらず、生意気な御仁ですこと」
つんとした表情を向けると、少女は今度はフェフェリに向き直った。
「フェフェリ。お客様はワイズの連れなのですわ?でしたら、わざわざわたくしが出向く必要はありませんの。下がらせなさいまし」
フェフェリがそれを受けて困ったような顔をする。
「お嬢様。せめてワイズ様にはご敬称を。ワイズ様はあなたのフィアンセでございますよ」
その言葉の衝撃に、クルトとレパードが思いっきりむせた。きょとんとしているイユは後で説明を受ける。なるほど、クルトたちに黙れというのは酷だろう。まさか、毛嫌いしている様子の少女とワイズが将来を誓い合った仲とは思いづらい。
「ちょっとなんですの?」
二人があまりにむせるものだから、さすがの少女もワイズ以外の連れに視線を向ける。きょとんとしているイユは勿論、むせているクルトとレパードに、弁解する余裕はない。当事者であるワイズは、知らん顔だ。代わりに、席を立ったのはレッサだった。
「連れの者の、ご無礼をお許しください」
レッサは中々に優雅な身のこなしで、礼をしてみせたのだ。イユはそれまで知らなかった。カルタータの都に住む者は、学校で行儀作法も習っているなんてことは。
「まぁ……!」
そして、そのとき紛れもなく少女は頬を紅色に染めた。言われてみれば、レッサの見てくれは悪い方ではない。普段はヴァーナーと一緒に機関室に籠っているから埃まみれだが、『魔術師』に会うと分かっていたからか、埃ぐらいは払ってある。
そういうわけで、少女の態度ががらりと変わった。
「とんでもございませんわ。わたくしこそ、ご挨拶もなしに失礼しました」
今度はクルトが必死に笑いを押し殺しているが、少女はレッサに夢中でそこは気にならないようだ。これでもかというほど優雅な礼をしてみせる。
「わたくしはジェシカ・フランドリック。このマゾンダの街の領主でございます。以後、お見知り置きを」
その挨拶に、クルトの笑いが一気に引っ込んだ。




