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カルタータ  作者: 希矢
間章 『灰色世界のケモノたち』
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その38 『月は少女を見ている(終)』

 死体の山を確認したイユは、決行することにした。

 天候は視界の最悪な吹雪で、男たちも多く駆り出されている。そして、死体の山は柵を越えんばかりに積み上げられている。何日も何ヶ月も待って、ようやく必要な条件に合致したのだ。実行するならば、今において他にない。

 はじめのうちはそつなくいつもの作業をこなし続けた。夜になり視界が更に悪くなる。掘られた穴の様子には厳重に注意を払った。

 あらかた埋め終わりだした頃を見計らって、イユは一切の力を抜いた。冷たい雪の地面に出迎えられ、視界が真っ白になる。

 続いて、倒れた音を聞きつけた兵士による、鞭の衝撃があった。

 皮膚を打つ断続的な痛みを、顔に出さないように気を付ける。生暖かい感触に血が流れているのを感じた。

 どれほど打たれようとも悲鳴も上げず、ぴくりとも動かさない。そうするには、鋼のような意思が必要だった。涙一つ流れぬよう、じっと耐え続ける。

 しまいにはイユの短い髪を引っ張り上げられ、頬まで叩かれたが、ずっと目を閉じたまま、されるがままになることに徹した。

「死んだか」

 髪を掴んだ手が外される。どさっと顔ごと雪の中に沈んだ。

 異能にはつくづく感謝しなければならないと憎々しげに思う。痛みを感じない、体力を限界以上に引き出せるという二点のほかにも大きな利点があったことに気付いたからだ。

 力を一切体から抜いてしまう。生きている者が必ず持っている『力』がイユからなくなると、まるで死んだようにしか見えなくなるのだ。

 兵士の勘違いは、至極当然のことだった。ましてや、夜の吹雪で視界は最悪ときた。呼吸の有無を確認することもなく、兵士はイユを『死んだ』と判断しきった。

 兵士の命令でイユの体は男たちによって担ぎ出される。身体が重力に逆らって思いっきり投げ飛ばされる感じがした。

 イユの意識が一瞬吹き飛んだ。

 この場で意識が飛ぶことの恐ろしさに、ぎょっとする。何よりも意識が飛ぶ寸前でうめき声を上げなかったかどうか、自信がない。ぴくりと動いてしまったかもしれない。そうした不安と恐怖に身を固くする。

 耳に意識を集中し様子を探る。兵士の怒鳴り声が聞こえて、いつもの演説が始まったことに気づいた。

 それから、人の感触を捉えた。それは、嘘のように冷たい感触だったが、肌触りは間違いなく人間である。

 死体だ。感触の正体を悟ったイユは心の中で笑った。あとは狙い通りの位置に飛ばされたかどうかだ。

 兵士たちの叱咤の声が続いている。いつものように、兵士たちは異能者たちの無能さをなじっている。

 不思議な気分だった。眠らないように必死に聞いていたそれが、今イユに見つかっていないという安心感を与えている。

 けれど、危険な状態なのは変わらない。寒さで身体が震えないよう感覚を鈍くし、動くための力を抜き続ける。これから暫くの間、じっとしていないといけない。上手く死体を演じ切ること。それが生き残るために選んだ道だ。

 鞭の音が耳に届く。

 異能者たちが施設の中へと誘導されているのがその音で分かった。


 そして、それは急にやってきた。上からの痛烈な衝撃だった。

 呻きそうになった声を意思の力で押し殺す。ここでばれたら、本当に死体の仲間入りをしてしまう。

 体に掛かる圧迫感に慌てそうになる心を落ち着かせ、考える。

 今、イユの体の上に人だったものの感触があった。男か女かまではわからない。わかることはそれが思った以上に重くイユを潰していることだ。

 退かすわけにもいかないので、ひたすら重みに耐えるしかない。肺に苦しさを感じたので、呼吸を乱さないよう最大限注意する。

 必死に重みと闘い続ける。そうして、ただ延々と待った。

 何時間もじっとその場で死んだふりをするのは想像以上の苦痛だった。身体が凍り付いて、死者になったかのような気分になる。

 兵士の所在が何度も気になった。耳に意識を集中させるが、しんしんとした空気は何の音も運んでこない。いい加減この重みから解放されたくて、仕方がなかった。

 とうとう我慢ならなくなり、ゆっくりと目を開けようとしたところで、イユの耳が音を拾った。

「見回りは終わったか」

 兵士の声だ。イユの体が強張る。

 『見張り』。その言葉が頭のなかで響いた。

 当然いるだろう可能性を全く考えなかった自身を叱咤する。少し想像すれば十分に予想できたことだ。にも関わらず、長い間ずっと異能者施設を探り続けていたからか、いつしか施設の全てを把握したかのように考え、驕ってしまった。

「はい。こちらは異常なしです」

 下っ端の兵士とその上司だろう。取り返しの付かない後悔に苛まれるイユの元へ、丁寧な言葉使いと私語を使う兵士の二人が近付いてくる。

「ご苦労。さぁ、お前も仲間のもとに戻るといい」

「はい、ありがとうございます」

 兵士の一人が雪の中を進もうとする気配がする。

「待て」

 突然の制止の声に、イユが反応するところだった。存在がばれたのかと思ったのだ。

「はい?」

 兵士が立ち止まって上司の方を振り返る。そうした絵がイユの頭に浮かんだ。

 そのときだった。

「お前、何の『異能』を使うのだったか?」

 唐突に耳に入ったその言葉に、イユの頭が真っ白になった。寒さとは別の理由で血の気が引いていく。

 イユの心情に関わらず、兵士たちの会話が続く。

「はい。魔物を操ることができます」

「そうか。それは吸血鬼でも可能か」

「はい。吸血鬼なら一度に三体まで操った実績があります」

「それは大した力だ。吸血鬼もとなると、知能のある生き物にも効くということだな」

 体が震えだしたくなるのを懸命にこらえていた。もし脱走の予定がなければ、兵士たちに飛びかかっているところだ。

 噛み締めた歯がぎりぎりと鳴って、慌てて力を抜いた。

「人でそれが可能かを試したいと魔術師の方々がおっしゃっていたのを思い出してな。お前は今から実験室へ赴くように」

「はい、かしこまりました」

 兵士たちが去っていく気配を背に感じながら、動揺する心を宥めるのに徹した。

 改めて先程の出来事を噛みしめる。何度吟味しても信じ難い話だった。今まで兵士は魔術師の使いか何かだと思っていたのだ。その中にまさか同じ異能者が混じっていたとは夢にも思っていなかった。

 どうしてあの異能者は逃げ出さないのだろうと、疑問が浮かぶ。

 兵士の立場ならば、いつでも脱走の機会はありそうだ。魔物を操る異能を持っているのならば猶更である。施設の外にいる魔物でも呼んで、柵を破ればよいのだ。

 けれど実際には、あの異能者は大人しく兵士の言うことを聞いていた。脅されているようにも見えなかった。呑気に自身の異能の実験にまで参加している有り様だ。

 思い出すと、ふつふつと怒りが湧いてきた。異能者でありながら同じ異能者に鞭を打ち、魔術師の仕組みを作る存在が許せそうになかった。それは与えられた食事を仕方なく奪い合う女たちとはまるで違う。すすんで魔術師の言うことを聞く彼らはもはや同じ人間とは考えられない。

 怒りのあまりに冴え渡った頭は、逆にイユに執着するなと訴えた。今考えるべきは脱出であり、生き延びることであると。

 その頭で、見張りがいるのならもう少し待った方がよいと判断した。あの兵士が戻ってくる可能性を危惧したのだ。


 イユが動く決心をしたのはそれから数時間経った後だった。ちょうどよいことに風の音が、吹き付ける雪がひどくなったことを教えている。視界が最悪であればあるほど、発見される可能性が低くなるはずだと、期待する。

 ゆっくり目を開けようとしたが、瞼が張り付いて中々動かない。目に力をいれてどうにかこじ開けると、視界の先は真っ白だった。

 今度は体を少しずつ動かし始める。数時間動かなかった体は思いのほか自由にならない。満足に動けるようになるだけで、相当の時間を要した。

 ようやく一段落つくと、改めて周囲に誰もいないことと、自分の位置を確かめる。死体の山は想像していたよりも高い位置にあるように感じた。イユ自身はその山の上の方で、男の死体の下にあった。

 目の前に異能者施設の影がぼんやりと浮かんでいる。施設の天辺から僅かに光が溢れてみえることがある。明かりだろう。この雪であれば明かりが漏れてこちらの動きが筒抜けになることはなさそうだ。

 それに、きっと異能者施設は隠してあるのだと思っていた。異能者には家族がいる者も多いはずだ。いくら周囲に止められたとしても、探せるなら探したいと思っている人もいるだろう。だから、明かりは見つけられないよう、最低限の暗いものを使っているはずだ。


 イユは男の死体をどかしてその上に登った。先ほどまで生きていた者だろうが、動かなければそれはもうただの物だ。踏みつけると柵までの高さを測った。柵はまだイユよりも高い位置にあった。少しでも掠ったら命はないだろう。

 だが、イユには異能があった。正直、今まで一度も試したことのない力だ。体力の限界を超えること、痛みを含めた感覚を制御することは散々してきた。

 しかし、脚力まで上げることができるのかは、わからなかった。

 一か八かだ。散々練った計画の中で一番助かる可能性が高いものを選んだ。それがこれしかなかったのなら、やるしかない。

 跳べと、強く足に訴える。意識を集中し、ありったけの力を注ぎこむ。異能者の誰もが飛び越えられずに終わったこの柵を、イユこそが越えてみせるのだと、いきり立つ。

 イユの体が、ばねのように空を舞った。


 一瞬だった。吹雪の合間から満月の光が覗きこむ。

 空を舞う少女のシルエットが、その光の中に浮かび上がった。

 再び風が舞ったとき、それは既にそこにはなかった。


 イユは雪に叩きつけられる衝撃を感じた。

 生きているか、自身に問いかける。柵を乗り越えることができたのだと改めて実感する。達成感が胸の内からじわじわと込み上げて、つい口元が緩んだ。

 だが、じっとここで雪に埋まっているわけにはいかない。

 外は吹雪だ。見渡す限りの雪原がそこにはある。雪が止んでしまえば、隠れる場所は何もない。今のうちに少しでも動いておく必要がある。

 そう判断したイユは、一歩ずつ確実に歩き出す。何度か足が雪に取られそうになる。施設の雪は何だかんだ踏みならされていたようだ。だから気づき、意志を強く持った。


 ここはもう、イユの知らない世界だ。そうして踏み入ったからこそ、まだ油断はしてはいけない。生きるために、足を止めてはいけない。命の危険がなくなる場所へ辿り着くまで、歩き続けなくてはならない。


 背後にあった異能者施設がだんだんと小さくなっていく。

 イユは一度も振り返らなかった。その時間も労力も、全てこの足に充てるべきだと思った。


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