その374 『飛び散る赤』
「クルト?クルトなの?」
見間違いようもない、細身の中性的な姿。
更にその隣に見知った顔を見て、開いた口が塞がらなくなる。
「レッサまで?!」
生きていたのだ。ベッドの前で無傷で立っている二人に、胸がいっぱいになる。何故彼らがこんなところにいるかは分からない。しかし、生きていた。それだけで今は十分だ。
喜びのまま、一歩を踏み出したイユは、そこで気が付いた。
ベッドで眠る誰かと、その前で意識を集中させているワイズに――。
「本当に、船長とイユ『は』、無事だったんだ」
レッサのしみじみとした感想に、イユは釈然としないものを感じる。その言い方だと、誰かが無事でなかったように聞こえるではないか。そう、反論したくなる。
よろよろと近づいたイユに、背後からレパードの乾いた声がかかった。
「シェル……だよな?」
ベッドから覗く髪は、薄水色。けれど、それも殆どが包帯に巻かれていて、一部が覗いている程度だ。近寄ったから、顔の部分も確認できた。包帯から覗いたその色が、青く腫れているのをみて、声を失う。
「何が……、あったの」
辛うじて絞り出した声は、枯れていて殆ど言葉になっていなかった。それでも、クルトたちに、言いたいことは伝わったらしい。クルトが説明をする。
「ボクたちもよく分からないんだ。訳あって、セーレの外に出ていたら、急に何かが焦げる匂いがして……、戻ったらセーレが燃えていたんだよ」
らしくもない、クルトの声が涙声だ。あの自身の生死にすら淡白な少女が、今回の出来事に動揺している。
クルトの説明の続きは、レッサが引き取った。まだ、レッサは落ち着いている。いつも、イユは不思議な気分になる。レッサは日ごろ大人しくてヴァーナーのからかいの対象となっている印象が強いのだ。しかし、彼は何があっても、きっと誰よりも動じていない。
「慌てて戻った僕たちは、危険を承知でセーレの中に飛び込んだんだ。だけれども、誰も見つけられなかった。代わりに、セーレの外で、シェルを見つけた」
びっくりしたよ。そう、レッサは続ける。
「シェルは弓矢で目を射られていて、体も、見張り台から落下したのか、ボロボロだった。慌てて、皆でシェルをこの街まで運んだんだ。けれど、怪我がひどすぎて、医者は無理だって言うから」
「ワイズを当たったってわけか」
レパードの言葉に、レッサとクルトが頷く。
医者が治せない傷。イユは息を呑んで、シェルを見やる。包帯で巻かれた顔に、いつもの元気なシェルの面影はない。包帯から覗いた片目は閉じられていて、意識もないようだった。
「シェルは、助かるの?」
思わず訊ねたイユに、誰からも答えはない。クルトは落ち込んだ顔をしているし、レッサは傷ついたような悔しそうな顔を浮かべている。ワイズは目を閉じて、魔術を駆使し続けているようだ。その隣に立っていたフェフェリも、辛そうに眼を閉じている。レパードを見返すが、彼の顔は、血を失ったように蒼白で、強張っていた。
「ねぇ、シェルは助かるの?」
答えを知りたくて、声を絞り出す。誰からも何も返事がない。沈黙が、イユを包んだ。
その沈黙が、何よりの答えのように聞こえた。焦燥が、イユの心を揺らす。誰でもよい、嘘でいいから、助かると言ってほしかった。ようやく、再会できたのだ。セーレが燃えて、皆が死んでしまったと思ったところに、降って湧いた希望だった。駆け付けたその先で、まさに命の灯が消えようとしている仲間を見ることになるとは、思いも寄らない。
否、知っていた。屋敷を進みながら、待っているのが誰なのかと不安が膨らんだ。重傷者がジェイクでないならいいななどと、そう考えるので精一杯だった。シェルや、リーサに当たっては考えることさえ憚られた。そうして不安を、敢えて圧し殺してしていただけだった。そうでもしないと、今みたいに胸が苦しくて、かきむしりたくなるのだ。
「助かるって、言いなさいよ……!」
スカートの裾をぎゅっと掴んだ。そうすることで、肩が震えだすのを何とか抑えた。けれど、視界が滲んでくるのは、どうしても抑えられなかった。
息がしづらいと感じる。心が、出口を求めて、喚いた。誰かを失うことになる苦痛が、そんな心を押し潰そうとしている。
できることなら、セーレの皆には、イユのためにもいつも笑っていてほしかった。間違っても、こんな傷だらけで死にそうな場面を見せて欲しくはなかった。それなら、見ない方が幸せだ。どうして、イユを置いて行ってしまうのか。シェルには、まだまだ一緒にいてほしいのに。
「喧しいですね」
イユの思考を遮ったのは、ワイズの苛々を隠さない声だった。思わず顔を上げたイユに、鳶色の瞳が鋭く刺さる。
「どうせ何もできないのだから、静かにしていてください。集中できません」
ぐっと歯を噛みしめた。今ここでワイズに反論したら、きっとワイズはシェルの治療に集中できなくなる。それが分かったからだ。
何もできない。事実だが、辛かった。だがそう言われたからこそ、思い浮かんだことがあった。祈りだ。何もできないことがあると、人は祈りを捧げようとする。リーサならば、シェルの無事を祈っただろう。
「……それで、結構です」
静かになったイユを見て、ワイズはそれだけを呟いた。いつもなら、ここにイユの頭の悪さをなじる一言が入りそうなものだが、今日ばかりは静かだった。ワイズも、シェルを助けようとしてくれているのだと、実感する。『魔術師』とはおかしな生き物だ。普段は、イユのことなど玩具のように扱うのに、何故こういうとき手を差し伸べようとするのだろう。助けることで、イユたちに貸しを作るのが目的だろうか。それにしては、貸しばかりな気がする。
ワイズがそっと杖を持ち上げる。それで、より治癒の力を注いだことが分かった。シェルのうめき声が僅かに漏れて、はっとする。痛そうな声だったが、意識が戻りかけているのではないかと期待する。
そのとき、ワイズがむせた。白いベッドに、鮮やかな赤色が飛び散る。
「え?」
理解ができなくて、イユは目を瞬いた。




