その370 『二人の密談』
「お初にお目にかかります、ジャスティス・レイドワース様」
ドレスの裾を少し持ち上げて礼をするのは、桃色の髪の少女だ。深紅のドレスは、白いリボンが覗いているものの、不思議と華美でなく、その者の知恵の深さを表すかのようであった。
「これはこれは。遠路はるばるありがとうございます、ブライト・アイリオール殿」
礼を返すジャスティスの視界に映ったのは、周囲の様子を一瞥するブライトの姿だった。なるほどと、ジャスティスは感想を抱く。
大理石の白磁の床に敷かれた分厚い深紅の絨毯に、シャンデリアから映された少女と男の影が幾重にも散らばっている。部屋の隅には、イクシウスの鎧が飾られ、棚には見ただけで値が張ると分かる装飾具が並んでいる。今いるここは、ジャスティスの住む屋敷、その客間だ。そこに内密で踏み入るということは、相応の覚悟が必要になる。シェイレスタの『魔術師』たちの数知れない不審な死の話は、ジャスティスも聞き及んでいる。その死の裏に、アイリオール家の当主争いがあることも承知していた。だからこそ、当主候補であるブライトの反応が理解できる。この場で命を狙われることも、写真に記録され仮想敵国と繋がっていることを暴露されることも、想定される危険だ。故に、この少女はそうした罠がないかを確認したのだろう。
ジャスティスにとって、そうした聡明さはむしろ歓迎される類だった。愚か者とは手を組みたくない。ましてやそれが、シェイレスタの人間ならば猶更だ。
「そう警戒する必要はないですよ。ここには、私とあなた以外誰もいませんから」
外には、ジャスティスの従者が控えているが、それは言わない約束だ。ジャスティスは、白い歯をみせて笑いかけた。そうすることで、女の大半は、自分への警戒心が緩むことを経験で知っていたのだ。
「身の安全は保証します」
ところが、そう告げたジャスティスの前で、ブライトの顔はぴくりとも変わらなかった。見た目になびく類の人間ではないのか、顔に出していないだけかは分からない。ただこうした態度からも、信における側の人間だろうと、判断する。
「私の召使いの身の安全も保証いただきたいのですが」
ブライトの召使いは、控えの間で待たせてある。少女であるブライトより年上の、紫の髪を三つ編みにして手前に垂らした女だ。理知的な瞳は、衣服さえしっかりしていればどちらが『魔術師』か分からないほどの威厳があった。間違いなくただの召使いではない。恐らくは、ブライトの『手』だろう。ブライトに何かあったとき、真っ先に駆けつけてくるに違いない。
「勿論ですとも」
ブライトの言葉に、大きく頷きながらジャスティスは返した。そうすることで、相手の警戒心を少しでも緩める目的があった。書面でしかやり取りのしていない相手の懐に飛び込んだのだ。警戒心は持って当然だが、それだけでは話は進まない。
「さて、折角こうして会ったのです。固い敬語はなしにしましょうか」
ジャスティスの提案に、ブライトは拒んでみせた。
「私は準魔術師の身ですから、そのような恐れ多いことはできかねます」
本当にそう思っているのか、一旦退いてみただけなのかは、今の言葉だけでは測れない。ただ、こういうときは、厳しく命令することで、話が円滑に進むものだ。
「私は気にしないと言っている。敬語はなしだ」
言い切ったジャスティスに、ブライトもそれ以上の反抗はしなかった。
「畏まりました。……敬語はなしだね」
するりと切り替えたブライトに、ジャスティスは大仰に頷く。
「あぁ、それで頼む」
これでようやく本題に進めるというものだ。
「そなたからの依頼は、ダンタリオンの閲覧許可だったな?」
ブライトは神妙に頷く。
「そう。禁書の類もあるから厳しいことはわかっているけれど、そこをどうにかお願いしたいんだよね」
ブライトの言葉に、ジャスティスは苛々を隠さず、発した。
「率直に問おう。そなたの狙いはなんだ?」
「狙い?」
「何のために、ダンタリオンを求める」
ジャスティスは更に問い詰めた。
「私はそなたが、ダンタリオンの閲覧許可を建前に、私に異なる目的で会いに来たと思っているのだが違うのか?」
ジャスティスの予想に反して、ブライトは首を横に振った。
「違うよ。何を思ったのかは知らないけれど、あたしは本当にダンタリオンの閲覧許可が欲しいだけ」
「何のために」
「『魔術師』が知的好奇心で魔術書を求める以外に、理由が必要なんだっけ?」
ジャスティスは鼻を鳴らした。
「話にならぬな。それでは、許可など到底与えられない」
ジャスティスの言葉に、ブライトは大人しく口を閉ざしている。わざわざシェイレスタからイニシアにやってきて、ただ断られるためだけにここまでやってきたとは思いづらかった。
「失望したぞ、アイリオールの魔女よ。そなたは、聞いていた聡明さを持ち合わせていないようだ」
その気持ちを言葉にすると、ブライトは再び首を横に振った。
「買いかぶりすぎだよ。所詮あたしは、ただのしがない女だから」
その言葉は、ジャスティスの勘に障った。
「ますます失望だ、ブライト・アイリオールよ。そなたも、シェイレスタという国に毒されているとはな」
「というと?」
言わないと分からないのかと、ジャスティスは続ける。
「そなたは、魔術において右に出る者はいないと呼ばれる天才だろう?それに、アイリオール家といえば、シェイレスタでは王の右腕と呼ばれるほどだろう。それなのに、あの国は女だからという理由で、そなたを当主にすることもできないのだ」
ジャスティスは自身の想いを言葉として語った。
「悔しくはないのか?」と。




