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カルタータ  作者: 希矢
間章 『灰色世界のケモノたち』
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その37 『脱獄作戦』

 牢に戻ったイユは、他の女と同じように座り込んでいた。食事の時間が待ち遠しかった。寝てしまわないように気をつけて目だけ閉じる。身体を休めることを意識した。今までは全く気付かなかったことだが、意識を集中させると鞭で打たれた傷がどんどん癒えていく。いっそのこと痛みも感じなければいいと思ったら、嘘のように痛みがひいた。これなら動けるという確信があった。

 夕食の時間は、女たちに紛れてパンと水をいただいた。気づいたことがある。数名がパンと水を何回も貰いにいっているのだ。兵士たちの歩みは食べ物を渡しながらになるから遅い。すぐに食べて飲んでしまえば、確かにもう一度貰いに行く時間があった。今までこうしたことを考えもしなかった自身の愚かさに唖然とした。知ってしまえば使わない手はなかった。

 食べ物の支給には限りがある。死んでしまったあの女ならば、余分に手に入れた食べ物を弱っている誰かに渡したのかもしれない。

 けれど、イユにその余裕はなかった。

 イユは生きなければいけなかった。あの女の生き方では、女のように死んでしまうことが明白だった。わかっていてその道を進む気にはなれなかった。

 抵抗のためと言うが、結局のところ女は優しすぎた。女は丈夫だった。きっと、自分のためだけに飲み食いをしていれば、もっと長い間生きていくことができたに違いない。

 優しいから、死ぬのだ。ならば、優しくなる必要などない。それが、辿り着いた答えである。


「さわらないで」

 牽制の声も聞かず、手がイユの手元へと伸びる。

 身を竦めることでやり過ごし、すぐに残りのパンを口の中に押し込んだものの、イユを叩こうとする気配があった。

 すかさず、手を叩き落した。思った以上に大きな音が、牢内に響き渡る。

 一瞬、沈黙が世界を支配した。女たちの動きが残らず止まり、視線がイユに集った。

 イユはそれらを全て無視して近くの床に座り込んだ。わざと寝息を立ててみせる。構うなよという合図のつもりだった。

 伝わったのか、それ以上誰も近寄ってこなかった。


 最も、イユにはどうしても、食べ物に飢えた女たちを責める気にはなれなかった。ここでは弱者から死んでいく。ならば、少しでも強くあるために奪うことも必要なのだ。むしろ手本にすべきだとさえ感じた。そうすればイユは暫くの間生きていける。

 だが、そこまでしても『暫く』でしかない。

 異能者施設にいる限り、死はとても身近な存在である。数ヶ月は生き延びても、いつかは疲弊し立てなくなるだろう。死体をたくさん見てきたからこそ、子供ながらに理解できる。

 だから導き出された結論は、異能者施設にいてはいけないということだった。生きると約束したからこそ、隙をみて脱出しないといけないと強く思った。




 あの日から、世界が変わってしまったようだった。

 今までは兵士を見る度にびくびくしていただけだった。それが一心不乱に観察するようになった。あくまで兵士の怒りを買わない程度に、耳に意識を集中し目を凝らして、その行動を探った。

 連れていかれる作業に、何か規則性がないかも検討した。

 牢にいる女の数に合わせて外の作業を行う頻度が変動していることには、すぐに気づいた。単純なことだ。兵士は、異能者の数が増えると外で作業させて減らそうとするのだ。

 そうなると、今度は異能者の数が大事になった。

 くたくたな状態で牢に帰ると、真っ先に異能者の数を数えた。数は毎日変動している。増える時もあれば、一気に減るときもある。

 異能者が多くやってくる前の日には衣服を縫う作業が増えることがわかると、その日の夜は十分に体を休めるように調整した。

 だが全てがそのルールに則って動いているわけではない。特に連続で外の作業をさせられるときはそうだった。数が増えているわけでもないのに、吹雪の中に放り出された。

 そういった場合、死体は男のことが多かった。だから男たちは女と違い、常に外で労働を強いられているのかもしれないと想像した。

 吹雪でも構わず男たちに作業をさせるから、死者が増える。増えすぎた死者を埋める人手が不足するから女を使う。分かってしまえば、シンプルな構図だ。

 だがわかったところで脱出につながる糸口は見つからない。

 そもそも、牢には窓がないのだ。地面も堅く、掘るという手も使えない。抜け出すための出口は、兵士たちが開け閉めする鉄格子の扉だけだ。

 そして運良く扉を抜けたとしても、外に出るためには長い通路を歩かねばならない。通路には隠れられるような場所もないので、兵士に見つかることなく外に出るのは難しいだろう。

 おまけに兵士たちは鞭のほかに銃も所持している。一度脱走を図ろうとした女が撃たれたのを見たので、間違いない。

 そうなると、牢からの脱出は極めて難しいのである。


 それならばいっそ、牢から出たときに逃げ出すのが良い。そう考えたイユは、作業の時間をより観察する時間として使うようになった。衣類を縫うときには必ず兵士が部屋の出入り口に立っていることに気がついた。他の作業のときも同じだった。過去に逃げようとした人間がいたのだろうか、その場所にいる兵士は視線を向けられるだけで警戒した様子を見せることがあった。

 一番警戒が緩いのは、外で作業をするときだ。寒さが酷いのと吹雪いていることがあるせいで、兵士の視界も多少狭まるようである。

 考えてみれば、わざわざ鉄格子の扉を超えなくとも施設のなかから抜け出なくとも、はじめから外にいられるという点で外での作業中に脱走することは魅力的に映った。


 だが、そこには最大の障害が待ち受けている。

 柵だ。建物と同じ高さほどもあるのである。施設全体を覆うように伸びているそれに、一切触れることなく外に出るのはまず不可能だと考えられた。

 すすんで柵に触れにいき異能者施設はおろか自分の肉体にも別れを告げようとする人々の存在を、知っている。よく見かける光景だった。あれはわざとなのかもしれない。兵士たちは異能者に柵を掴む機会を与えてやっている可能性すらある。ある意味での慈悲だ。

 逆に言えば、触れれば必ず死ぬと断言されているのも同じである。多少の傷みをこらえられるからといって、無理に掴めばイユもまた命はないだろう。


 飛び越える必要があった。少しも掠ることなく、建物ほどの高さのあるそれを乗り越えなくてはならなかった。


 そのための方法として一つに思いつくのは、同じ高さの建物から飛び移ることだ。けれど、これは無理である。建物は異能者施設一棟しかあらず、仮に異能者施設の屋根に登って柵を越えようにも柵と施設は離れすぎている。鳥にでもならない限り、柵を飛び越えることはできまい。

 そしてもう一つ思いつくとしたら、それは死体の山だった。イユにとって、もう生きていないそれは物体にしか映っていない。それらを使えば登れるのではないかと思った。何度も吟味して考える。

 高さはクリアできる気がした。ある程度埋められた日は難しいが、吹雪いている日が続いたときの死体の山であれば、ぎりぎり飛べることのできる高さに感じられる。

 けれど、そこまで登る手段が見つからない。幾ら視界が悪かろうと、死体の山を登る異能者は目立つ。兵士に見つかって撃たれる姿が容易に想像できた。

 掘ることも考えた。柵を乗り越えられないならば、抜け道を自ら掘って進めばよいのだ。幸いにもスコップは渡されている。

 けれど、イユが試しに掘った穴は他の異能者によって死体を投げ入れられてしまった。また、幾らなんでも一日で抜け道を作ることは難しかった。次の日には吹雪いて雪が積もっているか、他の異能者によって穴を広げられ、死体が埋まっている始末である。かといって、あまりに死体の山から離れた場所で掘ることもできず、兵士にも異能者にも邪魔されないように掘るのは実質不可能だと結論づけた。




 結局、どの案も八方塞がりだった。


 だが、諦めるつもりはなかった。ここにいたら必ず死ぬ。それならばもっとも良い案を見つけ、託すよりほかにない。

 決して、焦らなかった。何より、命がかかっている。子供とは思えない冷徹さで一つ一つの案を吟味し、全てを観察し尽くした。気づいたときには外の世界と隔たれた施設にいながら、小さな手がかりを元に季節の動きを推測できる程度にはなっていた。


 そうしたイユでも最終的に浮かんだ案は、一番危険な綱渡りのようにしか思えなかった。


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