その367 『ともに、生きる』
ようやく言えた言葉が、どれほどイユを傷つけることになるか、想像はついていた。レパードのことはどうでもよいだろうが、レパードと離れることで、セーレとの繋がりを立ち切ることになる。ラダやラビリたちとも関わるなと言ったつもりだった。そうして、セーレのことを一切忘れるのが最も良い。
「エッタたちには、会ったか?あいつは幼いが、悪いやつらじゃなさそうだ。ヴァレッタも、『異能者』だからといってお前を差別しなかった。暫く、あそこで休んだらいい。あそこが嫌なら、ギルドを通してどこか探すこともできる。なくなったセーレの代わりに、お前が安心して住める場所を探そう」
返事がないのを良いことに、一気に捲し立てる。そうして話しきってから、恐る恐るイユの瞳を見返した。イユの表情を見るのが、怖かったのだ。
ところが、イユの瞳は変わらず、きりっとレパードを見つめ返していた。そこには、恐れも不安もなく、ただ、意思があった。
「お断りよ」
そして、明白に、イユはレパードの意見を両断してみせた。
「聞いていなかったのか。このまま一緒にいると、死ぬかもしれないんだぞ?」
レパードが浴びせた言葉を、イユは汗でも拭うかのように振り払う。
「今更死んでやるつもりは、さらさらないわ。でもね、レパードのいいなりになるつもりもないわよ」
てっきり、傷ついた顔をすると思っていたのだ。それが、今のイユから見えるのは、怒りに近い、迷いない意思である。それを見たレパードの方が、焦燥を顔に出した。本来の彼女らしいといえばらしいが、それではイユがレパードについてきてしまう。
「レパードは、私をセーレの一員として接してくれたわ。砂漠で焚き火を囲んだとき、声が出なかったけれど、嬉しかったの。だからその気持ちに、嘘はつかないわ」
それがレパードの振りまいた優しさなら、すぐに撤回しなければいけない。
「俺にはそんなつもりはない。それに、それはお前の状態を知る前のことだ」
「関係ないわ。結局は、私がどう受け止めたかよ」
何でこういうときだけ、強気に戻るのか、レパードにはさっぱりだ。
「加えていうと、俺はお前をどこかで見くびっていた。だが、お前は一人でセーレまで行って戻ってきたんだ。そんなお前なら、幾らでも好きな場所にいけるだろう。この世界は広い。探せば、お前が気に入る場所はある。セーレに、拘る必要はないんだ」
イユは、もうレパードの庇護に入る必要はないのだと、会話のなかでレパードは認めた。そうして、新たな居場所を提案した。
ねぇ。イユは、逆に問いかけた。まるで、レパードの会話など聞いていない様子だ。
「レパードは、自分に誇りって持っているかしら?」
その脈絡のない質問の意味が、全く分からなかった。
「誇り?そんなものは……」
縁がない。
言い切る前に、イユが答える。
「思い出したの。私の母が、『自分に誇れる自分になれ』って言っていたこと。でも、私は、誇りなんて微塵も持っていない。顔を見ればわかるわ、今のレパードと同じよ」
つまり、レパードは今、そういう顔をしているのだろう。大体想像がついた。ついこないだまでのイユの、生気のない顔を見てきたばかりだからだ。
「だから思ったの。過去の自分はどうしても誇りには思えない。それならせめて、これからは、胸を張って生きていくことにしようって」
今からでも遅くないと、明言する。後悔ばかりするのは、終わりだと。
「私は、セーレの一員であることを選ぶわ。そのために、全力を尽くす。この思いに嘘はつかないわ。嘘をついたら、誇りなんて持てないから」
イユの宣言に、口のなかが渇いた。敵わない。心がざわめく。こんな真っ直ぐにぶつかってくる少女を前にして、意見を変えられるほど、レパードは前を向けていない。
「たとえ、それで死んじまってもか?」
唯一の反抗を、イユはあっさりと砕いた。
「そうよ。私の生き方は、私が決めるわ。誰かに影響されたとしても、誰かに強制される謂れはないもの」
誰かというのが、暗示をかけた『魔術師』たちを指すというのは、分かった。暗示については、悩んでいなさそうなのが、イユの強さだと感じた。普通の人間はわからなくなるだろう。心を魔術で無理やり曲げられたのだ。どこからがイユの意思で、どこからが魔術の影響か、きっと考えてしまう。いやイユも、考えたのかもしれない。
そう推測したから、反論の言葉を増やせた。
「だが、お前のなりたい存在は、母親の言葉通りの存在なんだろ?それは、良いのか?」
レパードの反論を、微動だにせず否定してみせる。
「別に私がそうなりたくなかったら、一蹴していたわ。私のなりたいものと一致しているから、引き出してみせただけよ」
とうとう反論の術を失ったレパードは、イユの言葉を聞く側に回った。
「私は、自分が後悔しないためなら、使えるものを何でも使ってやるわ。たとえレパードがどれだけ嫌がっても、置いていっても、レパードについて行って、地の底まで追いかけてやるのだから」
イユのはっきりとした宣言に、
「そりゃ、凄いストーカー発言だ」
と何とか軽口で返す。
ここまで言い切られてしまったら、いっそのことせいせいした。レパードがなんと思おうが関係なかったのだ。レパードでは、イユの意思を曲げられないことが、はっきりした。
(悪いな、ワイズ)
親切心で提案してくれただろう『魔術師』に、心の中でだけ謝った。イユが大切なら尚のこと、ワイズの言う通り、切り離すべきかもしれない。しかし、レパードにはやはりイユを手放すことができない。こんなじゃじゃ馬は、己の意図した通りに動くはずがない。だから、意見をぶつけられたことに、清々しいほどの嬉しさがあった。何よりも意見を曲げられたレパードこそが、イユの発言を本当は心待ちにしていた。そのことに、はっきりと気づいてしまった。
(俺はお前の親切心を踏みにじる)
たとえそれで儚い命に終わったとしても、彼女の生きる意味はここにある。そして、喪い続けたレパード自身もまた、真っ直ぐな彼女の存在を求めている。それは、贖罪などではないだろう。ラヴェには悪いが、これはレパードのエゴだ。手に届くものを守りたい、そのためにはレパード自身も生き永らえたいという、勝手な思いだ。だが、不思議と、それでいいと思えた。それほどに、イユの強気な姿勢に胸を打たれたのだ。レパードには、イユが迷路のなかで壁ごと蹴破って出口にたどり着く存在に見えた。その強さと真っ直ぐさが、今のレパードには欠けていた。
「イユ」
その呼び掛けは確認だった。言うべき言葉を呑み込んで、欲望のままを口にする。
「だったら、これからも、セーレの一員でいてくれ」
それに、精一杯の笑みでイユは、答えた。
「当たり前でしょう」
愚問だと言わんばかりだ。
「私は我儘な人間よ。だから自分のしたいように生きるわ。そして、私が今したいことがセーレで在り続けることなのよ」
だからと、強気な少女は続けた。
「これからもずっと、よろしくお願いするわ」
レパードは袖をめくった。
「あぁ、改めてよろしくな」
殆ど同時に差し出された手を、互いに握りしめる。
不思議と、ここから始まるのだとそう思った。




