その364 『一方その頃』
頭の中が、白紙になった。暫く放心していたのだろう。不安げな受付の女の視線を受けて、何か言わなければと思う。しかし、あまりにも唐突なその言葉に、レパードの思考は受け付けなかった。
今、なんと言われたかと、何度も言葉を吟味してしまう。
訃報。つまり、死んだことへの知らせだ。それが、よりにもよって、マドンナのが、届いたという。
「何かの悪い冗談だよな?」
そんな風に聞くだけの行為でさえ、口が強ばってうまく話せた気がしなかった。
「先ほどギルドに入ってきたばかりの情報ですので、真偽はまだ調査中です」
「調査中……、そりゃ、そうだよな」
乾いた言葉しか返せない。足に力が抜けて崩れそうだった。
ワイズが不審そうな視線を向けてきているのには気づいている。それでも、うまくいつも通りを装えない。
ここ数日、悪夢を見ている気分だ。喪うものが多過ぎて、頭をがつんと殴られ続けている。これ以上殴られたら、吐き気をこらえきれなくなりそうだった。
「何で、そんなことになった?」
女はふるふると手を震わせた。
「殺されたそうです。恐らくは、暗殺ギルドかと」
ギルドのリーダーが、ギルドに殺されたとはなんとも皮肉な話だった。
「暗殺ギルドということは、背後に依頼主がいますね」
ワイズの言葉に、周囲がしんとした。それはつまり、誰かがマドンナを討ちたいと考えていたことになる。
「そうかもしれません。それも含めて調査中です」
受付嬢の曖昧な頷きに、レパードはこれ以上問いただすことはできまいと察した。マドンナが誰かに殺されたということは、今となっては一国の王族が殺されたのと同じほどの衝撃がある。下手をすると、戦争になりかねない出来事だ。安易な発言は出来ないだろう。
レパードは、他の情報が転がってないか、受付嬢から一通り話を聞き出す。セーレのことはやはり知らず、周辺の情報も大してもっていなかった。鳥から手紙が来ていることもなく、当然のように怪しい『魔術師』の情報などない。そもそも、シェイレスタの都より情報がこないようだ。ある情報はたった一つ。皆が皆、サンドリエに関心を持っているのか、その情報だけは豊富にあった。だが、それにも理由がある。
「つまり、サンドリエからみると、ここが最も近い街になるってことだよな?」
レパードの確認に、ワイズは頷いた。
「ええ。だからギルドの人数が増えて迷惑してるんです」
ワイズの空気の読まない発言に、受付嬢が困った顔をする。目の前で迷惑などといわれたら、それは反応に困るだろう。
「ギルドがあるなら飛行船はあるよな?乗せてほしいんだが」
「あいにく、今は空きがないようです。最短で明日でしょうか」
受付嬢が、手元にある予定を見ながら回答する。受付嬢が確認しているのは、ギルドの飛行船の乗り合い表だろう。運賃を要求する代わりに、自分たちの使う船に人を乗せるのは、ギルドではよく使う手段だ。マドンナの方針で大金は要求できないことになっているからお駄賃程度にしかならない。だが、『龍族』や『異能者』を乗せているセーレでは間違ってもできない金儲けの仕方である。
「どちらに向かわれますか?」
受付嬢の質問に、レパードは腕を組んだ。
どこに向かうべきか、最適解が分からない。リュイスを連れ去った『魔術師』たちは、どこに向かったのだろう。シェイレスタの都ではないはずだ。ブライトはわざわざシェイレスタの都から出て、三角館までレパードたちを連れた挙句、サロウと克望に引き渡した。そうなると、シェイレスタにはいない可能性が高い。イクシウスかシェパングか。リュイスを抱えていたのは、克望だった。それならば、シェパングだろうか。だが、シェパングのどこにいるのか。
「シェパングだ。そこなら、どの街でもいい」
どのみち、ここにいても分かることはない。それならば、シェパングで『魔術師』の情報を探るよりない。レパードの宣言に、受付嬢は「かしこまりました」と了承する。手続きが完了したのだ。
「戻りますか」
「そう、だな」
ワイズに声を掛けられ、大人しく頷く。他に仕掛けられる手がないか考えたが、思い付かない。本来ならマドンナを頼るところだったが、それが使えないのだ。痛手だった。
「おにぃちゃん!」
唐突な声に振り返ると、ワイズに向かって少女が突進するところだった。緑色の髪に、褐色の肌。見覚えがないわけがない。エッタだ。
しかし、エッタはどういうわけか、レパードのことをちらっと見ると、視線を反らす。そのよそよそしい反応に、天真爛漫な彼女らしさが感じられない。それで気が付いた。よく見れば、服装と髪型が変わっている。
取っつかれたワイズは、明らかに困った顔をした。
「ダメですよ、レッタ。外では、他人の振りをするように言いましたよね?」
小声だから、近くにいたレパードにしか聞こえなかっただろう。レパードは少しして思い当たる。さきほど、ワイズを襲ったチンピラたちが、人質をとることを考えるかもしれない。だから、ワイズはエッタたちを外では遠ざけているのだろうと。
それにしても、レッタは、エッタとは非常に似ているが別人らしい。つまり、彼女たちは双子のようだと感付く。
「でも、イユおねぇちゃんがいなくなっちゃったの」
その発言にレパードの顔が、強ばった。
「お船に戻るんだって。一応伝えた方がいいって、おばあちゃんが」
イユのしそうなことだ。イユが戻るという船は十中八九、セーレのことだろう。あの馬鹿と口のなかで呟く。まさか、一人で砂漠に出るつもりかと。
ちらりとワイズの視線がレパードに移る。そこに、更に声がかかった。
「ワイズ様!ようやく、見つけました!」
ばたばたとギルド内に駆け込んできたのは、四十ぐらいの男だ。
「急患です!」
と叫ぶ。
「どんな具合ですか?」
ワイズの質問に、レパードは心のなかで突っ込みたくなった。この『魔術師』、医者の真似事もしているらしい。
男が捲し立てる。
「外からきた少年なんですが、正直、生きてるのが不思議なくらいの有り様で。あんなちっこいのに、あちこち傷だらけで見てられません」
外からの患者。レパードは、もしもの可能性にすがりたくて、口を開いた。
「その患者の名前は?」
突然乗り出してきたレパードに、男はたじろいだように、口を閉ざした。暫くして、ようやく開く。
「いや、そんな話せる状況じゃ」
それもそうだろう。怪我人が大怪我をしているというなら、口が開けるはずもない。この感じだと、意識があるかどうかも怪しい。
「その患者は、火傷をおっていなかったか?」
そんなに上手くいきはしないだろうとは、思っていた。ただ、もしセーレの誰かなら、あの火の中だ。火傷をしている可能性が高い。
「いや?それは、ないが」
男の言葉に、やはり別人かと思わされる。我ながら、期待しすぎだ。
それまで黙っていたワイズが、そっと男に頷いた。
「わかりました、今すぐ向かいましょう」
それから、レパードへと向き直る。
「レッタを宿まで送っていってもらっても、よいですか?」
ワイズの言葉に反論はできまい。
「ああ」
イユが気がかりでならない。だが、イユが飛び出した詳細を詳しく聞くにも、戻る価値はある。
「くれぐれも、勝手に外に出ないで下さい。入れ違いが怖いですから、待機でお願いします」
どうやら、勝手な行動をされると疑われているらしい。
「分かっているよ」
答えながらも、じっとしていられる自信はなかった。




