その363 『生きる限り進む』
「帰りましょう」
それまで黙って見送っていたアンナが告げた。
「あなたは生きているのだから、前へ進まないといけないわ」
アンナの言葉は、イユの心をとんと突いた。アンナに頷き、イユは最後にセーレを見回す。黒こげのそこに向かって、心のなかで謝罪と、感謝と、もう一度だけ、お別れの挨拶を告げた。
そのとき、視界の端に、きらりとなにかが光った気がした。そこに、目を止めたイユは、あっと声を挙げかける。見覚えのある袋の上にペンダントの欠片とおぼしき欠片が光っていた。なくしたはずの、お守りだった。
こんなところに、あったのだ。風に飛ばされたのか、セーレとともにありたかったのか、イユは不思議な心地で、その袋に近付く。袋を手に取ったところで、その手は止まった。果たして、このお守りを持っていってよいのか、分からなくなったからだ。セーレを離れないといけないイユの代わりに、そのまま、ここで寝かせておいた方が良いような気がした。
だから、イユは、袋からそっと手を離した。そのとき、落とした勢いで袋の口から、さらさらとペンダントの欠片が溢れた。指でつかむ前に、それが、風に舞うようにして散らばっていく。
視線で追いかけたイユは、あっと再び声を挙げた。黒焦げだが、間違いない。それに気づいて、思わず手を取った。
「ここまで、本当にありがとう」
マゾンダに戻ったイユは、『スナメリ』の船員たちに礼を告げた。彼らは、約束どおりイユの行きたいところに連れていき、そしてここまで帰してくれたのだ。それどころか、約束だったお金を、目と鼻の先だったから不要だと言い切った。
「お金、本当によかったのかしら?」
改めて訊ねるイユに、アンナはきっぱりと答える。
「こっちも収穫あったしね、気にすることはないわ」
ひょっとすると、同情されたのかもしれない。彼らの考えないいろいろ想像できたが、理由は聞かず大人しく好意を受けておくことにした。どのみちイユにとっては全財産だが、彼女たちにとっては端金だ。
「イユちゃんはこれからどうするの?ギルドがあんなことになっちゃって」
シリエが不安そうに口を開く。
それこそ、『スナメリ』に入らないのかと言い出しそうなほどには、心配そうな表情だ。レイファのギルド仲間だからというよりは、単純に彼女の優しさがそうさせているらしかった。
「ばらばらになってしまったけれど、仲間はいるわ。まずは彼らと合流するつもりよ」
イユの言葉に、シリエが少しほっとした顔をした。最もその仲間の一人は、『魔術師』に攫われたきりどこにいったかも分からないが、そこは黙っておくに限る。彼らの優しさに触れたからこそ、下手な情報はこれ以上与えたくはない。
「今後、また何かあったら『スナメリ』を頼るといい。特に、魔物絡みはね」
アダルタがそう声を掛けてくる。彼女とは殆ど飛行石にかかりきりだったため、あまり会話ができなかったが、意外と親切な人物だと印象が変わった。
「私も、もしあなたたちが困ったら助けに行くから」
その言葉に、アダルタの隣にいたヴェインが鼻を鳴らした。イユのなかではこの男の方が一筋縄でいかない人物だと評価されている。
「今度はもっと楽しそうな依頼で頼むな」
と言い出す、この減らず口が原因だ。
「『異能者』が持ち込みそうな?」
切り返せば、ヴェインの口の端が上がる。
「そういうことだ」
どうも、スリルを求めている節が、どこぞの操縦士と似ているなと思ったが、口にはしないでおいた。からかい口調の裏には、しけた顔が見え隠れしている。この男なりの励まし方なのかもしれない。
「あぁ、なつかしやレンドルド」
そう思った途端に、何やら嘆く素振りをみせるので、よくわからなくなった。顔に出ていたのだろう、アダルタが呆れたようにイユに告げた。
「ほおっておきな。大蠍が空振り続きで昔を懐かしんでいるだけだよ」
アダルタの言葉に大人しく頷く。分からない境地には、分からないままでいるのがよい。
「とりあえずは、ギルドに向かうのよね?」
アンナの言葉に、イユは頷いた。目的地は決めてあった。それで、場所を聞いたのだ。
「えぇ。そろそろ向かうわ」
イユは一同を見回した。アンナに、シリエ、ヴェインに、アダルタ。セーレとは違うギルドの人たち。全員が全員、優しい人たちだと言い切ることはできない。だが、彼らのこともまた、嫌いではないなと思った。不思議と、居心地が良かったからだ。
それでも、イユの向かいたい先は決まっている。
「改めて、ありがとう。そして、さようなら」
飛行船から一人下りて、最後にもう一度振り返って、手を振った。この飛行船を何隻も所有しているところを想像する。これだけ大きなギルドだ。ひょっとすると、また会う機会があるのかもしれない。そのときは、どんな出会い方をするだろう。
向き直ったイユは、苔の生い茂った下り坂を進んだ。足取りは行きよりも、ずっと軽かった。未来の見えないドン底に落ちたと思っていた。けれども、セーレに向かったことで、見えたものがあった。セーレの最期も看取ることができた。そして、何より、これからやることが、はっきりしていた。




