その361 『関わり』
「それで、あれほど行きたがっていた割には場所がはっきりしないのね?」
再び地図を広げられて固まったイユを見て、アンナが呆れたような顔をする。
仕方がないではないか。イユは、心のなかで反論する。歩くのもやっとの状態で、なんとかたどり着いた記憶しかない。大体の方角と、目的地周辺の地形は分かるが、それ以上のことは分からないのだ。
「それで、その目的地には何があるんだ?」
舵を握りながら話をするヴェインに、イユは答えるべきか悩んだ。下手な情報は与えたくないが、着いたら彼らはどのみち知ることになる。しかし、イユは、『異能者』かもしれないと思われてもいるのだ。これで、恐らく『魔術師』に襲われた船などといったら、怪しさが増すことだろう。
とにかく、舵を握っているのは『スナメリ』だ。相手の考えを変えさせるきっかけは与えたくない。
「目的地には私のギルドの船があるわ。だから、それで着いたかどうかはっきりする」
精一杯秘匿したつもりで口にしたイユの言葉に、シリエが小首をかしげた。
「イユちゃんのギルドは、どうしてそんなところに?」
「知らなかったからよ。シェイレスタは初めてなんだから、地下街のことなんて知りようがないわ」
イユの答えに大人しく頷いてくれるのは、シリエだけだ。アンナもヴェインも、それで騙されてはくれない。
「それなら、シェイレスタの都に停めればいいだけでしょ。説明になっていないわ」
アンナの突っ込みが、先に来る。精一杯ぼやかした事実が、ヴェールをめくりあげるように剥がされる心地がした。
ヴェインがアンナの様子を見て、開こうとした口を閉じている。きっと、アンナがなにも言わなければヴェインが言うつもりだった。どのみち、逃げ場はなかった。
何を告げるべきか、イユは悩んだ。シェイレスタの都は目と鼻のさきだ。知らないでは通じない。かといって、嘘をでっちあげられるほどに、イユの発想は豊かではない。
「襲われたからよ」
観念して、イユはそれだけを告げた。嘘ではない。むしろ、認めたくない側の事実だ。たからこそ、喉がつかえる。苦い顔になる。胸が痛い。
シリエが「えっ」と驚いた声をあげる。それに、説明をしなくてはと思った。
「詳しいことは私も知らないわ。誰に襲われたかも全部」
どこまで告げるべきか悩みながら、イユは、付け足した。
「ただ、あそこには炎に包まれたセーレがある。それだけよ」
これで全てに納得してもらえるとは思えるほど、楽観的にはなれない。それでも、イユの発言に嘘はない。詳しいことは実際に知らないし、襲った犯人もブライトだと思っているがこの目で見たわけではない。そして、イユは炎で包まれたセーレを見た。だからこそ、口にするのが辛かった。
「セーレ?」
ここで鋭く突っ込むのがヴェインやアンナなら、分かる。今は飛行石の様子を見ているアダルタが話を聞いて戻ってくる可能性も、まだある方だ。ここで、他でもないシリエがその言葉に反応したのが予想外だった。
「今、セーレって言ったの?」
いつものシリエらしくない、切羽詰まった言い方に、イユは大人しく頷くよりない。
アンナも気が付いたのだろう、シリエに確認する。「シリエ、知っているの?」と。
シリエが、そっと顔を伏せた。
「……おねぇちゃんのギルドだ」
小さな独り言は、イユだから聞き取れた。それで、シリエが誰かの関係者かもしれないことに気づかされる。それでも、まさかと耳を疑った。世界は広いのだ。偶然出会った少女が、自分の所属するギルドの関係者など、そんなことは思いも寄らない。そして、一拍遅れて、その意味に気が付いた。
「誰が、あなたの関係者なの?」
おねぇちゃんというからには、シリエより年上の誰かだ。まさかシリエがカルタータに所縁があるとは思えないから、マーサやライムは外した。しかし、そうなると、思い当たる節がない。
シリエも、どこか決心をした様子で、イユに向き直った。
「イユちゃんの船に、レイファという人はいますか」
その名前に、目を逸らしたくなった。知らないと答えたかった。しかし、イユは、その名前を聞いたことがある。それどころか、一回きりだが、挨拶を交わした。
「いたわ」
そうかと、思い当たる。カルタータに関わりのない、シリエより年上の女といえば、確かに、イユの知る限り、あの褐色の肌の女しかない。だが、彼女は……
「私がセーレに来てすぐ、亡くなったわ」
重い口を開けば、シリエが驚愕の表情を向ける。
それもそうだろう。今、燃えているセーレに知り合いがいるかもしれない。その可能性に縋る隙も与えられなかったのだ。レイファは、とうに死んでいる。
それにしても、知らなかったとは思わなかった。確かに、シリエもレイファもギルドとして空を飛び回っている身だ。情報が入るのは遅いのだろう。
「そう、なんだ……」
イユは、レイファとは挨拶をした程度の付き合いだ。だから、シリエに何と話してよいのか余計に分からなかった。彼女がどんな人物か、口にできるほどに相手を知らない。ただ、シリエの様子を見て、大事な人だったのだろうなとは思った。
「セーレにはお別れを告げにいくの」
だからこそ、イユにはこう切り出すしかなかった。
イユの言葉に、悟ったような顔をするのがアンナだ。ヴェインが「そういうことか」と初めて辛気臭い顔をした。図らずも、シリエの知り合いと関わりのあるギルドだったということで、疑いは晴れたようであった。
「弔いをしにいくのね」
アンナの言葉に、イユはなんて答えればいいか分からず頷いた。
弔い。果たしてそうなのだろうかと、自問する。セーレが襲われた理由を突き止めに行く。それが理由の一つなのは間違いない。そして、もう一つがお別れを告げにいくことだ。それも、間違いはない。
だが、弔いに行くことになるかは、よくわからなかった。自分の中に、認めたくない部分がある。セーレの皆はまだ、きっとどこかで生きている。これは全て悪い夢に違いない。そんな思いが、捨てきれない。
「私も、いいかな?」
シリエの、遠慮がちな物言いに、イユは再び頷いた。心優しいシリエならば、きっと、中途半端な心持ちのイユよりもきちんとお別れを告げに行けるはずだ。




